信頼ある国際協力と信頼のない国際協力

国際開発ジャーナルの今月号で、荒木さんが「信頼は国の宝」と題するコラムを寄せている。

冒頭、高度経済成長期の日本が、ODAを経済成長の一環として位置づけ、円借款事業などを積極的に実施していたことを紹介。そのうえで、現在の日本のODAも国際区としてのインフラ輸出に先祖返りしていると指摘している。

この見解と同じ印象を抱く開発援助関係者は、私だけではないだろう。実際、「国益」が明記された新ODA大綱が発表された昨年春、私は以下の記事を書いた。

新ODA大綱の中で日本は、国益を前面に打ち出した。日本がこれまで築いてきた下心の無い純粋な開発援助は続けられるのか。日本がこれまでのようにやるべきことを見失わず、ピュアに途上国のためになる事業を展開していくことはできるのか。

ーー日本のODAに対する国際的評価と開発途上国による評価(The Povertist:2016年4月15日)

国際的な日本の評価は、「国益ではなく、純粋にその国のことを思って腰を据えて援助を展開するピュアなもの」という印象が強い。そのピュアな部分を捨てて下心丸出しで援助を展開したとき、日本の援助はどうなるのだろうか。

改めて考えさせられる記事だった。