貧困のレンズを外すと道はずっと遠くまで続いていた

国際労働機関(ILO)で社会保障政策に携わるようになって変わったことが一つあります。

貧困からの脱却です。

私のバックグラウンドは、貧困と開発修士号(MA in Poverty and Development)。開発経済学を基礎とし、貧困や脆弱性を量的・質的に分析することを専門としてきました。

開発途上国の貧困層に裨益する支援に従事する。

この点は、今なお変わらない信念です。

貧困以外の角度から、貧困を見つめ直す

ややこしい言い回しですみません。これまでの私は、「誰が貧困層か」ということに主眼を置き、途上国の開発過程で最も貧しい人々を最優先に支援すべく取り組んできました。

つまり、「貧困」というレンズでフィルタを掛けることが、私の問題意識の根底にありました。

一方、ILOで仕事をするようになってからは、「労働者」というレンズが加わりました。

労働者というレンズで貧困・脆弱性に向き合うと何が違うか。

簡単に言えば、「貧困リスク」により重きを置いた思考回路になります。

たとえば、今日の時点でピンピン仕事をしている労働者がいたとします。

稼ぎもあり、家族を養っていたとします。

しかし、ある時怪我をしました。

社会保障制度はありません。

どうしましょう。

さらに、現在働いている労働者だけではありません。

児童労働だけでなく、子供の教育から職業訓練まで、人生を通じて社会保障でどうサポートするか。

そういう視点が入ってきます。

全ての人とその人生が視界に入る

貧困というレンズだけで社会保障政策と向き合っていると、貧困層にターゲットを絞った政策(生活保護など)しか目に入ってきません。

しかし、労働者というレンズを加えることによって、ほぼ全ての人とその人生が視界に入ってきます。

労働者という視点で貧困リスクを考えると、一家の大黒柱が障害を追ってしまった場合の補償、リハビリを支える制度が守備範囲に入ってきます。

その日暮らしの生活で食いつないできた労働者が老齢がゆえに働けなくなった場合、年金制度が無ければ大きな貧困リスクになります。

労働者が妊娠した場合、産休・育休制度が無ければ失業し、母子ともに貧困リスクに見舞われます。

貧困に向き合いつつ、貧困を別のレンズを通して考える

労働者というレンズが加わったことによって、私の視野は広がった気がします。

そして、私の考える国際協力の役割もずっと広がった気がします。

貧困というレンズだけで考えれば、仮に2030年までにSDGsが達成した場合、貧困は撲滅することになります。

少なくとも数字上は貧困はゼロとなります。

貧困削減政策を専門として、奔走する国際協力従事者は、どこを目指せばよいのか。

貧困削減を目標に仕事を続ける中、ジレンマを感じることもありました。

しかし、「労働者が直面する貧困リスクをしらみつぶしにする」という今の仕事に携わりはじめ、肩の荷が下りた気がします。

貧困のレンズを外すと国際協力の道はずっと遠くまで続いていた

組織が変わると、イデオロギーも変わるため、仕事自体はなかなか難しいです。

成長している実感もあまりないですが、こうして視野が広がるのは一歩前進ということでしょうか。

そんなことを考えながら、6月のジュネーブの曇り空を眺めています。