ミスター・マーケットに溺れる人たち

ミスター・マーケットとは株式市場のことで、投資家ベンジャミン・グレアムが使った言葉だ。日本、イギリス、カンボジア、ケニア、ニュージーランド。いろいろなところに住んできたが、ここまで資本主義を意識させられる国はなかった。

住居やホテルを探すにしても、マーケットが機能しているために、お得で安い物件はあまりない。遠くて安いところもない。遠くへ行けば行くほど宿代は安いが、タクシー代分を加えるとたいてい同じくらいになる。メトロやバスを使えば安くはなるが、時間と労力がかかる。感覚としては結局、機会費用を考えれば近くて高いところに留まるのとコストは変わらない印象だ。そういう国だ。

開発関連の会議で会う人たちでネオリベラリストも多い。

マーケットに任せておけばよいと考える人たち。社会を見れば納得する。

リサイクルはない。マーケットにおぼれる人たちはきっと無能な個人の努力など信じない。一人一人が心がけてリサイクルしよう。なんて、絶対に無理だと考える。一人一人が何も考えなくても市場原理でうまくいく社会を作ろうとする。ごみの分別が問題なら、有毒ガスが出ないくらいに強力な焼却炉を開発すればよい。そこへ投資することで大きな利益を上げられる可能性があるのだから市場に任せればよい。個人がちまちまごみを少なくする努力をする必要はない。と考えるだろう。

個人の行動、心がけを一人一人がやらなくとも、すべてが解決する。そういった社会を欲するだろう。

日本とは真逆の価値観である。もったいない。カイゼン。節約。日本的な規律とモラルは彼らに理解されない。金があれば市場に任せておけばよい。金はたまるだろうが、どちらの社会がしっくりくるだろう。私はしっくりこない。

開発の場面でも、市場原理に任せておけば合理的にすべてが解決すると考える人がこの国には多い。日本とアメリカのロジックの差が明らかに出る場面だ。