便秘後のウンチ ー 「質の高い成長」というコトバができた裏側

最近、責任を感じることが一つあります。

「質の高い成長」の日本語訳を考えたのは私なんじゃないか?

Quality of Growthの日本語訳を考えたのは、私なんじゃないかって。とても分かりにくいですよね。「質の高い成長」って何だよ、という話です。ここをご覧の皆さんはご存知か分かりませんが、「質の高い成長」だとか、「質の高いインフラ」が、最近の日本のODAのキーワードになっています。

実は、JICAに勤務しているとき2012年頃から割と最前線で「質の高い成長」について、議論・定義の整理をしたり、研究案件に携わったりしていました。私がJICA研究所に着任した2012年頃、立ち上げから担当した研究案件に「Quality of Growth」と言うのがあります。JICA研究所とサセックス大学開発学研究所の共同研究案件と言うこともあり、卒業生である私が担当することとなりました。最終的には「成長は死んだ-質の高い成長の時代へ(仮)(Growth is Dead, Long Live Growth: The Quality of Economic Growth and Why it Matters)」というセンセーショナルなタイトルで2015年に出版したわけですが、「Quality of Growthの日本語訳をどうしよう」って頭を悩ませたわけです。2012年頃、企画書を作成する段階で散々ググッた結果、日本語訳がなかったのですよね。それで、「成長の質」ではなく、「質の高い成長」って勝手に命名しました。

そもそも英語の直訳なのですよね。当然、「すげー分かりにくい」わけです。たぶん、私だけの責任ではないのだと思いますが、JICA関連の文書で2012年頃からQuality of GrowthやQuality Growthを「質の高い成長」と和訳している文書があれば、結構な割合で私の責任な気がします。

余談ですが、同じような話で2010年頃、「Social Protection」を「社会(的)保護」という謎の和訳をしてネットに公開したのも私です。実際は、「社会保障」と大差なく使われているコトバなので、社会保障と和訳すべきだ、と最近になって業界の色々な方から言われます。新しいコトバをネットに公開すると当然、Google検索のトップに出てきますから、和訳を考える全ての人がそれ以降使うようになります。そうして、既成事実となっていくのです。

難しい言葉を簡単に説明することの大切さ

なんでこんな話をしたかと言うと、「英語のコンセプトに関しては直訳ではなく、かみ砕いて分かりやすいコトバに置き換えて説明しないと伝わらない」と感じることが最近多いため。そのたとえ話として、「質の高い成長」って説明できないな、と思うわけです。

ウンチを使って説明しよう

それで、何か身近なものに置き換えて説明することが大切だと。今日、トイレの中で思ったのです。身近なもので「質が高い」ってどうやって説明すべきか。

便秘後のウンチですよ。通常時の「質の低いウンチ」って、質量が低いので浮いてくるじゃないですか。ボットン、ポカーンっていう風に。でも、便秘後のウンチって、蓄積されて高密度で世の中に出てくる。ボットンの後は浮いてきません。結局のところ、「質の高い」って言うのは完成度や密度の話。どれくらい洗練されているかの問題ですね。今日、トイレの中で考え事をしながら流す前、浮いてこないウンチを目撃し、「質の高い成長」や「質の高いインフラ」って何だろうと考えていました。

質の高い成長って何ですか?

いつも困るけど、今後は説明しやすくなった気がします。一言で言えば、「便秘後のウンチみたいなもんですよ」といっておけばよい。

 

半分冗談ですが、難しいことを簡単に説明する能力って、大事だと思うこの頃です。