開発援助の実務をイメージで理解する - 第二回「社会保障の用語と援助潮流」
不定期連載コラム「開発援助の実務をイメージで理解する」。第二回は、「社会保障の用語と潮流」。持続可能な開発目標(SDGs)が採択され、今もっとも注目されているセクターがあります。『Social Protection』というセクターです。
ここで敢えてアルファベットで表現したのには理由があります。実はまだ、日本語でしっくりくる翻訳がありません。今もっとも「アツイ」分野として注目されているにもかかわらず、日本で認知度が低いのが原因です。実際、国際的な注目度が高いにもかかわらず、日本では知名度が低いために、「Social Protectionって何?」と聞かれることが最近多くなってきました。今回は、Social Protectionをわかりやすく解説したいと思います。
このコラムでは、開発途上国の実務の現場で使われる専門用語や援助潮流をわかりやすく、イメージで理解していただくことを目指しています。
Social Protectionとは?
Social Protectionと英和辞典を引くと、「社会保障」「社会保護」「社会的保護」と出てくると思います。このうち、社会保障はSocial Securityが語源です。あとの2つはSocial Protectionの直訳です。
社会保障、社会保護、社会的保護の違い
では、社会保障(Social Security)と社会保護・社会的保護(Social Protection)の違いはどこにあるのでしょうか。結論から言います。違いはありません。研究論文や実務的な報告書でSocial Security/Protectionを目にした場合、同じ意味ととらえていただいて問題ありません。「Social Securityの方が大昔から使われている呼び名で、最近はSocial Protectionという用語が流行っている」くらいのイメージです。
開発途上国の「社会保障」は日本人のイメージよりもずっと大きな分野
ただ、現在では、Social SecurityよりSocial Protectionの方が広く使われており、日本人が感覚的に持っている「社会保障」のイメージよりもずっと広い分野を指すことに留意する必要があります。
社会保障と聞いたときに、何を思い浮かべるでしょうか。医療保険、国民年金、失業保険などを思い浮かべる方が多いと思います。では、学校教育の無償化、学校給食、ワクチンの無料接種、無料検診、雇用創出のための公共事業はどうでしょうか。実は、これらも社会保障の議論の一環で扱われることが多いです。
イメージとしては、①お金やモノ(食糧・ワクチン等)の提供を通じて、②貧困削減に寄与する全ての社会政策、のことを「社会保障」と呼ぶようになっています。
医療保険や年金などの伝統的な社会保障のことをSocial Securityと狭義の意味で使い、最近出てきたSocial Protectionをより広義の意味で使う人もいます。このあたりは「趣味」の問題で、基本的には両方とも同じ意味で使われることが多いと考えて問題ないかと思います。
社会保障は財源によってカテゴリ(呼び名)が変わる
社会保障には2つの財源があります。加入者からの保険料(Contribution)と税金(Tax)です。保険料を徴収するスキームのことを、一般的に社会保険(Social Insurance)と言います。一方、税財源を使った社会保障スキームのことを社会扶助(Social Assistance)と言います。また、開発途上国では公共工事を通じた雇用創出を行うことで貧困削減を狙う政策もあります。これをPublic Workと呼び、同じく税財源で賄われるスキームとなります。他にも分け方はあるかもしれませんが、大分類するとこのような理解で問題ないでしょう。
社会保険(Social Insurance)
社会保険の基本的な考え方は、事前に保険料を支払っておいて、不測の事態に備えるということです。つまり、何かあったときのためにあらかじめリスク軽減策を講じておき、何かあったらお金(保険金)が支払われるという仕組みです。
社会保険制度(プログラム)の具体例をあげましょう。老齢年金(Old-age Pension)、医療保険(Health Insurance)、失業保険(Unemployment Benefit)などが一般的な例です。
社会扶助(Social Assistance)
社会扶助の基本的な考え方は、貧困層に最低限の生活を保障するということです。開発途上国では、貧困の定義拡大に伴い、所得だけでなく教育・保健サービスへのアクセスを保障することも、社会扶助の役割と認識されています。つまり、税財源で貧困層の最低限の所得と社会サービスへのアクセスを保障するスキームのことを社会扶助と言います。
開発途上国の社会扶助プログラムを支援している機関は主に、世界銀行、UNICEF、ILO、WHO、GIZ、DFIDです。これらの援助機関は、社会扶助のことを別々の用語やコンセプトで説明しているので、以下で少し捕捉します。ただ、結論から言えば、「すべて同じことを別の表現で言っているに過ぎない」と考え、「社会扶助のこと」を言っているとイメージすればよいでしょう。
※さらに細かく言えば、たとえ社会保険であっても、所得水準によって政府が掛け金を肩代わり(Subsidy)することもあります。特に、掛け金ゼロで65歳以上の老人全員へ定額給付する年金制度の場合、税源からの支出となるために社会扶助の一環とみなすこともあります。
現物支給(In-kind Transfers)
現金ではなく、現物を支給するプログラムの総称です。紛争や災害時の対応として食糧や生活必需品を給付するプログラムがあります。
現金給付(Cash Transfers)
現金支給プログラム(Cash Transfer)は、貧困層のターゲティング(Targeting)をミーンズ・テスト(Means Test)で行い、現金給付するプログラムです。簡単に言えば、家計調査データなどをもとに最も支援を必要としている人を対象に現金を支給するプログラムです。日本で言う生活保護などは、このカテゴリに近いのではないでしょうか。
一般的に、現金給付プログラムは貧困層にターゲットを絞って直接現金を給付するため、貧困削減に対する効果があるとされています。一方、精緻なターゲティングを実施することは、多額の行政コストを伴うことを意味します。特に、開発途上国の行政機関の実施能力では、適切にターゲティングを行うことが難しいのが現状です。実際に、開発途上国で実施されている現金給付プログラムのほとんどが、多くの貧困層をターゲティングできていないことも明らかとなってきています。つまり、高い行政コストと、受給者となるべき人々が実際には受給できていないこと(Exclusion Error)が、現金給付プログラムの最大の課題と言えそうです。
条件付き現金給付(Conditional Cash Transfers: CCT)
現金給付プログラムの中でも、給付にあたって受給者に義務を課すプログラムがあります。多くの場合、受給者は数ヶ月に一度のペースでモニタリングされることとなり、給付条件を満たしていない場合には給付が停止される仕組みです。条件によく用いられるのは、教育や保健の指標です。たとえば、現金給付を行う代わりに、子供に学校に行かせるように促したり(出席率)、妊産婦の定期健診や乳幼児のワクチン接種などを条件とすることが一般的です。CCTについては別の記事でも詳しくまとめていますのでご覧ください。
無条件現金給付(Unconditional Cash Transfers: UCT)
条件付き現金給付とは別に、条件を課さない現金給付プログラムもあります。ミーンズ・テスト(Means Test)を通じて貧困層をターゲティング(Targeting)し、現金支給をするところまではCCTと同じですが、給付に対してクリアしなければならない条件は課されません。
ベーシックインカム(Basic Income)
ターゲティング(Targeting)を行わず、全ての人々に現金を給付するプログラムをベーシックインカムと呼びます。ミーンズ・テスト(Means Test)をはじめ、ターゲティングに伴う行政コストが発生しないことが最大のメリットです。
社会保障の援助潮流の2つのアプローチとSDGs
開発途上国における社会保障分野をイメージでとらえるとき、2つのアプローチを考えれば良いと思います。世界銀行が掲げる「ソーシャル・セーフティ・ネット」と、ILOが掲げる「社会的保護の床」です。この2つのアプローチは似て非なるもので、経済合理性を追求する世界銀行と、社会保障は基本的人権と主張するILOのイデオロギーが真っ向からぶつかる部分でもあります。ただ、別の記事で解説しているとおり、組織間では協調していく方向で話し合いができています。あとは実務面でどこまで協力していくことができるかがカギとなりそうです。それでは、アプローチを順に説明していきます。
ソーシャル・セーフティ・ネット(Social Safety Net)
主に世界銀行の社会保障プログラムでは、ソーシャル・セーフティ・ネット(Social Safety Net: SSN)という用語が用いられます。以下で少し説明しますが、イメージとしては社会扶助の一環(ほぼ同義)と捉えてよいと思います。
SSNのコンセプトは、文字通り「安全網(Safety Net)」を「税財源(Social)」で張り巡らしておき、不測の事態(災害等)が起きたときに貧困へ陥らないようにすることです。そのため、多くの場合、最低限の生活を営むために必要な所得レベルを貧困ラインで定義することが一般的となっています。
ただ、世界銀行やUNICEFが開発途上国で実施している多くのプログラムを見れば、SSNは災害時のみ発動されるのではなく、貧困層に対して定期的に所得移転(Income Transfers)を行うことで貧困層を貧困ラインより上へ押し上げる役割を担っているのが現在のトレンドです。SSNの代表的なプログラムは、条件付現金給付(CCT)です。なお、貧困層のターゲティングは、「ミーンズ・テスト(Means Test)」や「Proxy Means Test」と呼ばれる資力調査(家計調査データを使用)によって決められることが一般的となっています。
社会的保護の床(Social Protection Floor)
ILOは社会的保護の床(Social Protection Floor)というコンセプトを打ち出し、最低限の所得と保健サービスへのアクセスの保障をすべての人へ届けることを社会保障の一つの軸としています。下図で説明します。
横軸が社会保障のカバレッジ、縦軸が社会保障制度による保障額と考えます。右へ行けば行くほどカバレッジは上がり、右端まで行くことをユニバーサル・カバレッジ(Universal Social Protection)と表現します。基本的な考え方は、保健セクターのユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)と同じコンセプトです。
「床(Floor Level)」というのは最低限の生活を営む上で必要な所得(Income Security)と保健サービスへのアクセス(Health Care)のことです。つまり、「最低限の生活水準を社会保障制度を通じて保障しよう」というのが、「社会的保護の床」です。具体的スキームとしては、税財源を使って貧困層を救済するプログラムが該当します。社会扶助やSSNのことを言っているとイメージして問題ないと思います。
また、垂直方向へ社会保障を拡充していくことも重要です。社会的保護の床はあくまで、最低限の生活しか保障しないわけですから、これに頼りきりではいつまでたっても貧困状態を行ったり来たりすることになります。そこで、お金に多少余裕がある人に対しては、保険料を自己負担してもらうことで高いレベルの保障を提供するプログラムが必要になります。社会保険がこれに該当します。
社会保障と持続可能な開発目標(SDGs)
開発途上国で社会保障が注目を集めているのは、SDGsが要因の一つかもしれません。SDGsには社会保障に関する目標やターゲットが多く含まれています。ここでは、社会保障が直接関係する目標やターゲットを抜粋してご紹介します。ただ、社会保障の間接的な役割も考慮すれば、「日々の生活に潜むリスクやショック(災害・病気・怪我等)」、「インクルーシブ」、「レジリエンス」、「貧困削減」、「不平等是正」といったキーワード全てに、社会保障が関係してくるとイメージしていただければよいと思います。
社会保障との関連性が強い目標とターゲット
目標1 貧困撲滅 (関連性:社会保険、社会扶助)
- ターゲット1.3 社会保障制度を通じ、貧困層・脆弱層を保護。
- ターゲット1.5 貧困層・脆弱層の強靭性(レジリエンス)を構築し、気候変動・経済・社会・環境変化などに起因するショック(災害など)に対する脆弱性を軽減。
目標2 食糧安全保障 (関連性:社会扶助)
目標3 保健 (関連性:社会保険、社会扶助)
- ターゲット3.8 ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)、保健サービスへのアクセス向上。
目標4 教育 (関連性:社会扶助)
- ターゲット4.1 初等・中等教育の無償化、教育サービスへのアクセス向上。
目標8 ディーセント・ワーク (関連性:労働条件・環境)
目標10 不平等是正 (関連性:社会扶助)
- ターゲット10.4 税制、賃金、社会保障政策を導入し、不平等を是正。
参考資料