路地裏の美術館-プノンペンの街角から

東洋のパリ。プノンペンにはその名のとおり、路地裏にひっそりたたずむ美術館がいくつもある。1975年4月17日、プノンペン陥落。クメール・ルージュが入城してくる姿をアル・ロックオフが伝えた外国人記者クラブ(FCC)から172番通りを西へ行く。メコン川とトンレサップ川から吹き付ける心地よい風は、東洋のセーヌ川と形容されたとか。

クメール文化を現代に伝えるプノンペン王立芸術大学もこの通りにある。カンボジア屈指の芸術家がここで絵をかき、芸術家の卵を育てている。大学のアトリエから運び出されたたくさんの絵は、172番通りに店を構える路地裏の商人に託される。歩道にせり出す油絵の数々は、何の変哲もない路地を華やかに彩る。通り全体が美術館のようだ。

店先で何かを削る若い店番は芸術家の卵かもしれない。段ボール箱をサンダル代わりに遊ぶ遊び盛りの男の子も美術商の息子。クメール芸術の巨匠はここから生まれるのかもしれない。

店先に並んでいる絵画に目をやる。カンボジアの農村部を描く絵は、夕日を背に農作業をする農夫と水牛を浮かびあがせる。伝統舞踊アプサラを踊る女性も美しい。

お気に入りの絵を見つけると、値段交渉が始まる。昔は値切り交渉に応じる店も多かったが、今ではあまり派手に値切ることはできない。良い絵には敬意を払えということなのかもしれない。値段はどこも10ドル程度から。良い絵には高い値がつく。

その中でも王立芸術大学で教えるラタナという先生は名高い。彼の描くカンボジアの農村部の情景は、目をつむっても鮮明に浮かんでくる。

お気に入りの絵を言うと、奥のほうからお父さんが出てくる。英語など解さない生粋のクメールっ子だ。それでいて笑顔は絶やさない。商売人の真髄ここにあり、といったところか。購入した絵は運びやすいように丸めてくれる。そのまま持って帰りたい場合は、木枠ののまま持ち帰ることができる。

プノンペンを訪れる際には、路地裏の美術館へ足を運んでみてはどうだろうか。

日本はなぜ呟かないのか?コンプライアンスと広報の狭間

「日本は何をしているのかわからない」

開発業界で仕事をしていると耳にタコができるほど耳にする言葉だ。日本の援助は見えない。これが定説となって久しい。関係者はもちろん、広報活動に力を入れて、この汚名を返上したいと努力している。しかし、努力と結果は必ずしもすぐに結びつくものではないのだろう。

開発業界では、ソーシャルネットワークの活用が一大ブームとなりつつある。研究者、実務家が、ツイッターやフェイスブックの公開アカウントから生の声を届けるのが広報活動の主流となりつつある。日本はどうだろうか。残念ながらヨーロッパやほかの主要援助国の後手をいく。組織の公式アカウント以外に、実名でSNS等で情報発信している関係者はどれだけいるだろうか。諸外国の同業他社に比べるとアリとゾウほどの差がある気がする。

ではなぜ日本の開発業界ではSNSが広報の主流となっていないのだろうか。

この質問に対して私の考えを書く前に、紹介したい記事がある。5月18日に英国開発学研究所(IDS)のホームページに投稿された記事だ。IDSは世界の援助関係機関の中で、SNSを活用した広報活動で最も成功している機関の一つだ。研究成果や開発業界をけん引する議論の発信にSNSを積極的に使い、約140,000のFacebookフォロワーがいる。

広報部長のジェームス・ジョージャラーキスは、IDSの成功を次のように説明している。

IDSのニュースや活動内容に限定して広報活動を行ったことは一度もない。むしろ、他の団体が発信する記事や活動を定期的に紹介している。IDSの成功の秘訣は以下の6つ。

1. 全てのSNSチャネルを活用し、ニュースや記事を迅速に発信すること。BufferAppのような便利なツールも活用する。
2. 自らの記事だけでなく、パートナー団体の記事も発信する。
3. 同様の関心を持つ人々を見つけ、フォローする。
4. フォロワーからのメッセージへは迅速に回答する。
5. 特定の人々にターゲットを絞る(卒業生や同僚を通じてその友人等への波及効果)。
6. メディアポリシーを作成し、SNSで積極的に発信する職員を支援・保護する。

The Povertist立ち上げから運営を振り返ると、これらの考えに実感を持って同意できる。では、これらの成功要因を日本が真似できないのはなぜだろうか。経験則から言えば、コンプライアンスと広報活動の利害が対立しているためかもしれない。

つまり、日本の組織は次の壁に直面している。

  1. 新しいサービスの使用:組織が大きくなればなるほど、新しい試みへの対応は遅くなる。コンプライアンスと責任問題が常に大きな壁として立ちはだかる。もし新しいサービスを使うことで何か問題が起こった場合、誰が責任をとるのか。長い長い議論の始まりで、気の遠くなるほどの事務手続きを経て、こうしたサービスの使用許可が下りる。ツイッターアカウント一つ作成するのにも多大な労力を費やしている組織は多いのではないだろうか。
  2. インターアクションのリスク:SNSの最たる魅力はユーザーとの交流にある。日本の組織はこうした交流を通じて何か悪いことが起きることを恐れる傾向にある。悪意のあるユーザーがコメント欄を荒らした場合、誰の責任となり、どう対処すべきなのか。ここでも責任問題が大きな壁となる。どんなにSNSのメリットがあっても、こうした小さなデメリットのほうが大きく目に映る。そういった企業文化が根付いている組織は多いのではないだろうか。

これらのリスクによって、日本はSNSのメリットを十分生かしきれていないような気がする。組織のニュースや活動に関するプレスリリースを共有するにとどまり、他団体のニュースへのコメントやそれらの共有を行っている組織はどれほどあるだろうか。責任問題からの脱却がない限り、IDSのようなSNSの活用は難しい。ではどうすべきか。

解決法はすでに示されている。日本の開発業界は、ジェームス・ジョージャラーキスの6番目の秘訣から学ぶことができるはずだ。メディアポリシーでSNSを活用した職員個人レベルの発信を推進し、擁護する。日本の援助をもっと可視化するためには、これが一番早い方法である気がする。

世界一の機関がいうのだからやってみて損はないはずだ。

卒業プログラムは途上国の子供の貧困を改善できるか?

社会保護は貧困層を救うことができるのだろうか。ここで重要なことは、一時的な貧困状態の改善ではなく、貧困から抜け出した世帯が二度と貧困状態へ舞い戻ってこないことだ。社会保護(Social Protection)は一般的に貧困の悪循環を断ち切ることを目的としている。言い換えれば、貧困が長期的に継続することを防ぎ、世代間の貧困の連鎖(親から子供への貧困の連鎖)を食い止める役割を担う。それにもかかわらず、社会保護の実務では、短中期的な効果を狙った案件が多い。どうすれば社会保護は本当の意味で、貧困の根を断つことができるのだろうか。

子供の貧困が一つのアプローチだろう。最近では、貧困からの卒業プログラム(Graduation Programme)が貧困と社会政策の議論の中心になりつつある。つまり、社会保護の受給世帯をいかに自立させ、自らの足で生計を立てる手助けを意図するプログラムだ。5月13日、英国開発学研究所(IDS)は「社会保護からの卒業(Graduating from Social Protection?)」と題する論文集を発表した。そこに、まさに子供の貧困と社会保護の役割の概念整理を行った論文が含まれている。

論文の中でIDS研究員キーティ・ローレンは、「卒業プログラムは2つの投資の罠を考慮すべき」としている。そうすることで、貧困の世代間連鎖を断つことができるという。

卒業プログラムが貧困の世代間連鎖の時間軸を見過ごす「失敗」を犯すことで、子供を要する受給世帯は、本質とは異なる部分で無駄な配慮を要求されることとなる。つまり、卒業プログラムが短期的な効果を求める仕組みとなっていることによって、受給世帯は中長期的な貧困の世代間連鎖を断つことではなく、短期的な成果を出すことを心がけなければならない事態が起こりうる。

同研究員の概念整理によれば、このような状況下にある受給世帯は2つの選択に迫られる。

1. 子供への資源配分

  • 経済的な配分(投資)先の選択:受給世帯は現金給付を受けた時、現金を世帯内でどのように割り振るか選択する必要に迫られる。これに関しては、現金給付プログラムが子供に良い影響を与えるといった研究が多く存在する。
  • 時間の使い方に関する選択:生産性の高い活動へ時間を割くか、利益は生まれないものの子供の世話に時間を割くか、世帯は選択を迫られる。

2. 子供の世帯に対する貢献

  • 生産性の高い活動:世帯の幸せと子供の幸せは両立しない。世帯がより多くの時間を生産活動に費やせば、子供の世話をする時間が必然的に減少する。
  • 家事や子供の世話:世帯の生産性を向上させるために、子供自らが世帯の活動へ貢献することも考えられる。

私見では、これらの考えに賛同する部分が大きい。社会保護は本来の目的である中長期的な貧困の世代間連鎖をいかに断ち切ることができるか、改めて考慮する必要があるだろう。ポスト2015アジェンダの中で、開発援助業界は絶対的貧困を向こう数十年でゼロにすることを目指している。そして社会保護は貧困と脆弱性の削減の主柱に据えられた政策である。これらの開発課題と解決策を結ぶために、子供の貧困に関する「2つの投資の罠」に着目したアプローチは有効な考え方の一つと言えるだろう。

次のステップは、このアプローチをいかに実践に応用することができるかにある。研究者と実務家に課せられた喫緊の課題と言えるだろう。

参考文献

Keetie Roelen (2015) The ‘Twofold Investment Trap’: Children and their Role in Sustainable Graduation.

ネパールが直面する次の課題とは?災害時の公共調達

大地震から半月以上が経過したネパール。依然として続く余震の中で復興支援が始まっている。ネパールはどのような課題に直面するのだろうか。5月13日、世界銀行の公共調達専門家フェリペ・ゴヤは次のコメントを投稿した。

「ネパール政府は2つの要求によって板挟みになるだろう。まず、国民の復興支援の要求に一刻も早く応え、迅速に物資やサービスを届けることを求められる。同時に、税金の無駄遣いをしないことだ。」

公共調達の大変さは、携わる者には共有できる感覚だと思う。基本は単純で「見積もりを取って安いほうに決める」ということ。ただし、誰が見ても安いことを証明する必要がある。その点がとても難しい。

何社見積もりを取るべきなのか。広く公示すべきではないか。「安い」の定義・基準は何か。そもそもどういったスペックの物資を調達すべきか。その理由は客観的に説明できるか。

こうした気の遠くなる自問自答を繰り返し、すべて書面に残し、組織決定していく。情報公開を求められた際、誰が見ても客観的な調達であるかどうかが重要となる。どこの国の政府機関も行っている調達プロセスだろう。全ては国民への説明責任のため。

今回のネパール政府が直面する課題の難しさは、調達の妥当性を説明する相手が国民であり、物資を要求している相手も同じ国民であることだ。早さとプロセスの緻密さは、両立しない。時間と労働力が無限でない限り、迅速さを求めれば、調達準備にさく時間が少なくなり、客観性に乏しいプロセスにもなる。しかし、対応が遅ければ国民からは批判が出るだろうし、迅速に対応したとしても、事後的に調達プロセスの透明性を示せなければ、組織だけでなく、個人にも責任が及ぶ。

「大至急必要な物資だから、どこからでも良いので買ってくる」ということにはならないのが公共調達の難しさなのかもしれない。

こうした状況を踏まえて前出の専門家は、事前の枠組み合意(Framework Agreement)が重要だと指摘する。つまり、サプライヤー、調達物資リスト、価格、スペック、配送など包括的な合意を事前に決めておくことで、災害時にはそれに沿った意思決定が簡素化できるというもの。イメージとしては、「業者の選定には数週間から数か月を要するが、すでに契約があれば、それに基づいて実施するだけ」というものだろう。

日本では東北大震災以降、防災の重要性が認知されつつあるが、災害時の公共調達においても、事前の準備が重要ということなのだろう。

今回の記事では、途上国の公共調達の現場で考えられる課題について考えてみた。

参照記事
Felipe Goya. Shaping a procurement plan for emergencies.

ネパール地震-人道援助から復興支援へ

4月25日の地震発生から一週間以上が経過し、人道支援から復興支援へと入りつつあるようです。残念ながら多くの犠牲が出ており、行方不明者の生存確率がゼロに近づきつつあります。これを受けてネパール政府は各国の緊急援助チームへ帰国するよう要請を始めているようです。

今回の災害援助では、ネパールという立地がスムーズな展開を阻んだという報告があがっています。山間に位置する首都カトマンズにあって、緊急支援物資・チームが到着するはずの空港は滑走路が少なく、物資を満載した大型機が着陸することは困難を極めたとのこと。それ故、日本の緊急援助隊をはじめ、各国の大規模な捜索隊チームの現地入りが遅れたことが、非常に悔やまれます。

The Povertistでは、地震発生当日から以下の4本の記事を掲載しています。Facebookが実施した安否確認サービスのは、Facebookの公式ページを通じて12,000人のネパール在住の方々へ届けることができました。一人でも多くの家族や友人の安否確認の手助けをできていれば幸いです。

また、現地で活動する日本のNGOの募金先一覧をまとめた記事は、SNSを通じてシェアがシェアを呼び、約3,500件のアクセスがありました。この記事を通じてどれ程の方が募金をされたのかは分かりません。ただ、これ程多くの方が「募金を通じて国際協力に参加しよう」と考えていることに驚き、嬉しく感じています。

少し違う視点ですが、様々な機関が行う募金・支援活動を日々モニタリングしたことで感じたことがあります。

民間企業がそれぞれの強みを生かし、寄付金を集めていく姿に、民間の強みを感じました。また、小規模でかつ地方に本部を構えるNGOの奮闘も目を見張るものがありました。どこよりも早く、自らができることを実施する姿勢に、日本国内のNGOのたくましさを感じます。

個人的な思いから、こうした国内の小さなNGOへの直接的な寄付金が増えるとよいと思ってきました。一方で、民間企業やクラウドファンディングなど新しいアクターの登場によって、援助資金の流れが少し変化していることも垣間見れました。ジャパンプラットフォームやJANICが民間企業や個人の資金の受け皿となり、活動しているNGOへ配分する形も良い試みなのかもしれません。

誰もができることから国際協力を始められる環境。日本にもそうした土壌ができつつあるような気がします。