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日本のODAに対する国際的評価と開発途上国による評価

開発援助の仕事をして久しいが、国際的には評価されなくとも、日本の援助について悪く言う開発途上国の人々に出会ったことは一度もない。日本の援助は良かった。日本のファンだ。そういってくれる人々が開発途上国には本当に多い。青年海外協力隊(JOCV)と一緒に活動を共にした人。日本国内で開催される研修へ参加した官僚。日本の文化や産業、日本人の心に触れたことがある人々が開発途上国で重責を担っているケースは本当に多い。

こうした事業は人とのつながりによって生まれるものであり、定量的に評価できないことが多い。エビデンスベースのアプローチが隆盛を極める中、定量的に計測できないこの手の事業は地味であり、「わかりにくい」とされる。また、こうした地道な技術協力は、人道支援とは異なり、派手な「絵」が撮れないことから報道もされない。

国際的に評価されることと、開発途上国のためになることの間には大きなギャップがあるのかもしれない。

日本はこれまで国際的なトレンドを気にせず、開発途上国のためにやるべきことを純粋にやってきた。国益や国際的な評価などは二の次。そういった下心の無いところが、他のドナー諸国と異なった日本の援助の特徴となり、異彩を放ってきた。事実、開発途上国の評価は高い。

新ODA大綱の中で日本は、国益を前面に打ち出した。日本がこれまで築いてきた下心の無い純粋な開発援助は続けられるのか。日本がこれまでのようにやるべきことを見失わず、ピュアに途上国のためになる事業を展開していくことはできるのか。

国内外の評価はいつの時代も賛否両論あるが、誰のために何をすべきなのか、見失ってはいけない価値が普遍的に存在することは言うまでもない。

日本が国際開発コミュニティに馴染めない理由

なぜJICAのプレゼンスが国際的に低いのだろうか?

Moto going Fast, Phnom Penh
Photograph: Ippei Tsuruga

開発援助業界において、日本のプレゼンスが低い。そう言われたことはないだろうか。日本がトップドナーであるアジアで仕事をしている方は感じたことがないだろう。アフリカやラテンアメリカで活動している方も、「プレゼンスは低いが認知されている」と感じるのではないだろうか。これがヨーロッパや、ましてやアメリカへ行くと、活動の認知度はほぼゼロとなる。

国際協力機構(JICA)で勤務する中で、先進諸国の実施機関、シンクタンク、国連機関と仕事をしてきたが、「JICAって何?」「日本は何をやっているかわからない」と言われることが多々あった。その度に活動の説明をするわけだが、少しずつ、国際開発コミュニティに日本が馴染めない理由が見えてきた。

専門性の深化など、克服しなければならない課題はたくさんあるが、ここではコトバの問題に焦点を絞って考えてみたい。

 

言語ではなく、コトバの問題

このトピックで議論すると日本の関係者からは、「語学力の問題」という声が多くあがる。たしかにそれも一理あるが、もっと大きな問題はコトバの違いにある。英語と日本語の違いではなく、専門用語の定義や概念の違いだ。

たとえば、国際保健の文脈で、日本はユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)を推進しようとしているが、国際的には社会的保護(Social Protection: SP)の分野に含まれると考える人も多い。UHCの本質は、貧困層へ保健サービスのアクセスを保障することであって、コミュニティヘルスや医療保険の拡充が具体的な活動の柱となる。一方、医療保険を含む、貧困層の社会サービスへのアクセスに資する給付プログラムは、SPで議論されることが多い。重複部分と重複しない部分を明確に説明できれば、開発コミュニティの理解が得られるだけでなく、SP分野との有益な連携も生まれることだろう。もちろん、世界保健機関(WHO)や世界銀行の国際保健分野の仲間内の議論であれば問題ないが、相手を見極めてコトバを使い分ける必要がありそうだ。

また、産業開発の文脈では、日本はKAIZENを広めようとしているが、英語で説明する場合にはTQM(Total Quality Management)といったほうが理解を得やすい。厳密にいえば異なる概念だが、ひとまずTQMから説明をスタートして、KAIZENはそれとどう重なり、どう異なるのか説明することで理解が得られる。

民間企業との連携についても、コトバの壁を感じる分野だ。日本で企業連携といえば、官民連携(Public Private Partnership: PPP)という用語を使い、公的機関と民間が連携してインフラ整備を行ったり、BOPビジネスを公的機関が支援したりすることをイメージする。一方、アメリカでは、民間企業との協力に関するキーワードはイノベーションだ。「開発における民間企業の役割」という会議へ出て、全く議論がかみ合わないと感じたことがあれば、このコトバの問題が理由かもしれない。

 

「人間の安全保障」は理解されているのか?

最後に、日本が長らく開発援助の主軸にしてきた人間の安全保障(Human Security)を考えてみたい。国際政治学や人道支援分野ではある程度認知されているかもしれないが、開発援助コミュニティではほぼ認知されていない。開発援助の文脈で人間の安全保障が使われるのは「欠乏からの自由」の観点。つまり、経済的な不自由、貧困からの脱却を意味する。似たような概念で、人間開発(Human Development)、包摂的成長(Inclusive Growth)、内包的開発(Inclusive Development)がある。人間の安全保障を専門としている方から「厳密には定義が異なる」と言われたことがあるが、多くの実務家は厳密な定義など気にしていないことの方が多い。実際、人間の安全保障というコトバを使うと、上記の3つとほぼ同じ意味で受け取られることが多い。

 

コトバの壁を克服すれば日本の開発援助は国際舞台でデビューする

このように、同じ分野で同じ目標に向かって活動しているにもかかわらず、使うコトバが違うことによって議論が噛み合わない場面を多々見てきた。

「定義や概念を日本が作り、リードするのだ!」という気概は否定しない。しかし、多くの場合、コトバの定義や概念は、国際機関や欧米諸国によって決められるのが実態だ。影響力の強いこれらの機関が決めるコトバと、日本が独自に生み出した概念にどのような重複と棲み分けがあるのか。日本側が相手の概念を理解したうえで説明しない限り、日本の国際的プレゼンスは向上しないだろう。逆に言えば、コトバの壁を克服すれば、日本のきめ細かな開発援助が国際舞台に華々しくデビューする日も然程遠くはないと感じる。

共同研究のススメ-開発援助の実務と研究の連携

実務家と研究者が開発を議論する際の課題-実務家の視点

共同研究が世界を変える。研究者同士の共同研究のことではない。研究者と実務家が計画から出版まで、対等な立場で取り組む共同研究だ。過去数年間、国際協力機構(JICA)の仕事を通じて、援助の実施機関にいながら、研究機関と共同研究を行う機会を多く得ることができた。その中で感じたことは、実務家と研究者の隔たりはまだ根強いが、協働することが求められつつあるという時代の流れだ。

JICAはエビデンスに基づく事業展開の必要性を認識し、2008年にJICA研究所を設立した。これによって実務家と研究者が同じ土俵で意見をぶつけ合う場が出来上がった。私は主に、海外の研究機関との共同研究を担当してきたので、今回はその経験から感じた現状と課題をご紹介したい。

課題を一言でいえば、重視するポイントの違いと能力のギャップだ。

古い研究者は実務を雑務と、古い実務家は研究を机上の空論と呼ぶ

まず、重要と考えるポイントに違いがある。実務家は研究の価値を理解できないことが多く、研究者は実務を理解していないことが多い。たとえば、研究論文の場合、過去の文献を引用して概念枠組み(Conceptual Framework)を作り、それに基づいて調査・分析・ケーススタディを行う。しかし、この概念枠組みは、多くの実務家が「机上の空論」とみなしていることが多い。さらに、研究者が使う言葉も、実務家にとっては聞いたことがないような「お経」に聞こえることが多い。

研究者の中にはこれを「実務家の不勉強」と切り捨てる人もいたが、私が出会った一流の研究者は平易な言葉で難しいことを説明する努力と技術を持っていた。たとえば、ノーベル経済学賞を受賞したジョセフ・スティグリッツ教授は、誰が聞いてもわかる言葉で議論を展開する。だからこそ、出版する書籍がすべてベストセラーとなるのだろう。実務家も研究者が使う言葉や理論を理解するよう努める必要があるが、研究者からの歩み寄りも必要だ。

時間の考え方も異なる。多くの研究は、タイムリーに分析結果を得ることができない。実務家が求める分析は、多少「雑」であっても、そこそこの説得力があればそれでよい。とにかく、必要な時に直ぐに手に入る成果なのだ。研究論文の場合、計画から成果まで3年~5年を要するものが多く、結果が出なければ案件期間が延長されることも多い。実務家が必要とするタイミングで結果が得られなければ、研究が実務へいかされることはない。実務家にとってタイムラインは死活問題で、遅れることは許されないが、研究者は早さより質を重視する人が多い気がする。

重きの置き方にも差がある。研究者は理論や分析手法が正しいかどうかに重きを置くが、政策提言の部分が極めて弱いことが多い。誤解を恐れずに言えば、多くの実務家にとって、理論や分析手法はどうでもよく、万人が理解できる平易なデータやロジックがそこそこ信頼できるソースから得られれば、それを使う人が多い。手法よりも政策へどう生かせるかが重要なのだ。

実務家は研究能力に課題があり、研究者は実務能力に課題がある

当たり前のことだが、実務家は研究能力を身に着け、研究者は実務能力を磨く必要がある。そうすることで、研究者と実務家が互いに歩み寄り、対等な立場で議論することができるようになるはずだ。小さい話をすれば、実務家と研究者が双方に「先生」と呼ぶ時代が来ると良いと感じる。現状では、実務家は研究者を「先生」と呼ぶ一方、研究者は実務家を「先生」とは呼ばない。ひどい場合には、実務家が研究調整を行い、研究者の身の回りの世話をすることがある。

実務家と研究者の間のギャップを埋めるためには、研究者がマネジメントと事務手続きを一人でこなすことができるようになる必要がある。一方、実務家は、概念枠組みを作って、分析する知見を習得する必要がある。しばしば、実務家の作業を『雑務』と考えている研究者に出会うことがあり、「マネジメントや事務手続きに無駄な時間を取られて研究に集中できない」と言われることがあった。それは実務家にとっても同じことで、『雑務』をこなしながら研究技術を身につけなければならない時代になっている。間違っても、研究者が自分の身の回りの事務手続きをできないからといって、実務家が雑務を肩代わりしてはならない。大切なことは、どちらか一方ではなく、双方が歩み寄ることだ。

今後、エビデンスベースの事業展開が今まで以上に求められることとなる。それは、実務家と研究者が強力なタッグを組む時代の幕開けを意味し、両方をバランスよくこなすことができる人材が求められることとなる。実務家はマネジメントと事務手続きだけでは不十分で、研究者は一部の学者しか読まないジャーナル投稿を考えるだけでは不十分な時代がくる。研究者が認める手法でモニタリング・分析し、エビデンスをベースに事業展開・改善を行っていくためには、実務家と研究者が共同研究を通じて学びあう必要がある。

戦争も知識は奪えない

2年に一度、国を跨いで引っ越しを繰り替えしていると、自然と身の回りのものが少なくなっていく。世間ではノマドという言葉が流行っているようだが、何も格好つけてやっているわけではない。

ショッピングへ出かけても、「どうせ引っ越しで持っていけないのだから買わない」ということが多くなる。そうしているうちに、捨てることを前提に買い物をするようになって、不要なものは身の回りから消えていく。

結局最近では、引っ越しの時はスーツケース2個に全財産が収まるようになった。生活必需品を厳選して持ち歩くとモノが減っていくのかもしれない。

 

「なぜ、子供の教育が大切だと思うのですか?」

スーツケースに荷物を詰めていると、必ずいつも思い出す話がある。カンボジアで聞いた話だ。

カンボジアの貧しい家庭では、子供の教育以外にもお金を使いたい部分は山ほどあるはずだ。

それにもかかわらず、誰に話を聞いても、必ず教育が最も大切だという。

それで聞いてみたのがこの質問。答えは核心に迫るものだった。

 

「戦争も知識は奪えない」

長い内戦を経てカンボジアの人々は、たくさんのものを失った。

戦争が起きれば家やモノは全て置いて逃げなければならず、国の経済もボロボロになる。

その結果、自国の通貨も信用できず、カンボジアで流通する貨幣はいまだに外国通貨(米ドル)がほとんどだ。

こうした歴史を経て導き出された答えが、「知識は何があってもなくなることはない」というものだった。

質の高い教育を受ければ、何があっても、家族を養っていける。

何気ない会話の中で交わされた言葉が、強く脳裏に焼き付いている。

今年中に世界の貧困がゼロとなることが判明

The Povertistは、途上国の開発と貧困問題の専門誌としてビジョンとミッションを掲げて発信してきましたが、今年中に世界の貧困がゼロになることが判明したので今日でサイト閉鎖します。

本当にそう宣言することができる世界がやってくることを祈って、2016年4月1日のエイプリールフールネタとしたいと思います。今日からから15年。開発途上国の仕事に携わる私たちとしては、節目の4月1日です。

ネタにつられてクリックしてしまった皆様、ご愛嬌ということでお許しください。フォローをやめてしまった皆様、是非フォローしなおしてください。

The Povertistは明日からも引き続き発信していきますので、引き続きよろしくお願いします。

 

参考: 国際機関が「貧困撲滅を達成した」と発表(2014年4月1日エイプリールフール投稿記事)

4月1日早朝、国連貧困撲滅委員会(United Nations Poverty Eradication Committee: UNPEC)が「貧困撲滅が達成された」ことを驚きとともに発表した。同委員会高官はジュネーブでのインタビューで、貧困撲滅が大きく前倒しで実現した理由を次のように語った。

「経済成長と所得再分配に関する政策が想定を上回るスピードで貧困削減を推進した。ただし、それらの要素よりも、我々が行った事業の効果が大きい。」

同委員会は昨年の世界的な好景気に乗じて、金融市場での余剰資産運用によって1,250億ドルの利益を計上した。これを原資として『Cash fro All the Poor (CFAP)』と呼ばれる現金給付プログラムを展開していた。同プログラムは、1.25ドル以下で暮らす世界中の貧困層を対象に均等に現金給付を行うもので、条件などは一切付さない。上述の高官によれば、「このプログラムの効果によって、足元の貧困率は0パーセントになった」と言う。

The Povertistのケニア特派員は現地の様子を次のように伝えた。

「ウフル・パークには、この素晴らしい瞬間を祝うために、1万人の群集が詰め掛けています。ここにいる全ての人々が笑顔で、この瞬間を祝い、未来の繁栄を願っています。」

不都合な真実

同委員会は同時に不都合な真実も伝えた。

「我々は貧困撲滅を受け、120万人の貧困削減専門家の契約を延長しないことを決定した。貧困が無くなった今、専門家を雇用する意義が無くなった。」また、開発学で有名な大学では修士課程のプログラムを閉鎖が相次ぎ、貧困削減分野で有名な研究機関の閉鎖も伝えられた。

貧困削減専門家はこれまで世界の貧困削減に真摯に取り組んできたが、彼らは今皮肉にも新しい職を探さねばならない。若手貧困削減専門家のジョー・クドウは複雑な気持ちを語っている。「貧困の撲滅は僕の小さい頃からの夢でした。ですから、今回の発表には喜ぶべきかもしれません。しかし、僕はこれからどうやって自分の家族を養っていくべきか悩んでいます。」

南からの支援

アフリカや東南アジアのリーダーは、こうした貧困削減専門家の苦難に応えようとしている。途上国の政府高官で構成される使節団は2時間前次のように語った。

「職を失った専門家のために、プールファンドを設置する用意がある。これはこれまで我々の国の人々に尽くしてくれた彼らの努力への恩返しだ。ファンドは明日、彼らの個人口座に退職金を振り込むこととなる。」

同使節団は次のように続けた。

「この退職金は条件付現金給付であり、条件を付ける。受給者はこの条件に見合った結果を示す必要があり、それを満たされなければ今後の支払いは行われないだろう。」

スウェットショップが開発途上国の貧困削減に寄与?

労働者を搾取して生産された衣類を買うことで貧困削減に貢献する?

大手アパレル企業が開発途上国のスウェットショップ(Sweatshop)を通じて利益を上げていると批判される一方、スウェットショップを擁護する人々も多い。スウェットショップとは、劣悪な環境・条件で労働者を働かせ、貧困層を搾取する工場のこと。

2月24日、英国のシンクタンクであるアダム・スミス研究所(The Adam Smith Institute)がスウェットショップを正当化するビデオを公開し、大きな波紋を呼んでいる。ジョアン・ノーバーグ(Johan Norberg)は、「私たちがスウェットショップで作られた衣類を買うことで、開発途上国の貧困削減に寄与することができる」と主張する。

アパレル産業の集積地として注目を集めているバングラデシュやカンボジアで劇的な貧困削減が進んだことを引き合いに、同氏はこの主張を正当化している。一方、投稿された記事のコメント欄には多くの批判が寄せられている。

ディーセント・ワークの推進と取り組みが開発途上国の課題

ジョアン・バーグ氏の主張は、ある意味で正しいが、いくつかの欠陥がある。

たしかに、発展段階を考えたとき、経済の発展を通じて賃金上昇が起こるものであり、開発途上国において低賃金であることは当然のことだ。だからこそ、「現時点で低賃金であることのみを取り上げてスウェットショップを批判するのは妥当ではなく、不買運動をすることで低所得者層を対象とした雇用創出を阻害することになる」という主張はある意味で合理的な回答かもしれない。

しかし、「スウェットショップがカンボジアの貧困削減に貢献した」とする主張にエビデンスはない。コメント欄でThe Povertistの記事も引用されているが、カンボジアの貧困削減に最も寄与したのは、農村部における所得改善であり、アパレル産業が貧困の半減に寄与したとする主張は説得力に欠ける。

何が貧困を半減させたのか?

世界銀行の推計によると、米の価格上昇(24%)、米の生産性上昇(23%)、農村部の賃金上昇(16%)、農業以外の収入(19%)、都市部の賃金上昇(4%)が影響しているとのこと。米の価格は37.1%上昇し、これが農民の収入を向上させ、生産を増加させるモチベーションにつながったとの分析だ。

また、そもそも劣悪な労働環境と契約条件で大きな利益を上げる外国企業を肯定している点にも批判が集まっている。国際労働機関(ILO)が提唱する働きがいのある人間らしい仕事(Decent Work)や持続可能な開発目標(SDGs)の目標8にあるとおり、労働環境の改善はすべての国における喫緊の課題として国際的に合意されている。

貧困層を対象とした雇用の創出だけでなく、労働環境や労働条件の改善も同時に推進することが、開発途上国に課せられた課題であることに疑いの余地はない。


参考記事

UNDPとJICAの予算と職員数の比較が面白い

予算規模はJICAの方がUNDPより大きい

国連の開発援助の中枢を担っているのが国連開発計画(UNDP)。日本の開発援助を担っているのが国際協力機構(JICA)。ここまでは多くの方がご存知のことだろう。しかし、組織体系や活動がどう異なるのか考えてみたことはあるだろうか。今回は予算と職員数の観点から、多国間援助(マルチ)と二国間援助(バイ)を担う両組織の特性に迫ってみたい。

まずは予算規模。「国連のほうが日本より多額の援助をしている」と漠然と思ってはいないだろうか。実は、年間予算を見ると、JICAが1兆円に対し、UNDPは4,500億円。JICAのほうが2倍以上の予算を運用していることになる。この違いは主に、JICAが資金協力と技術協力を行っているのに対し、UNDPは技術協力のみを実施していることによるものだ。

JICAの事業予算の内訳を見れば一目瞭然で、円借款:技術協力:無償資金協力=7,500億円:1,800億円:1,200億円と、円借款の事業規模が大きく、その大半はインフラ事業へ融資される。円借款は開発途上国への貸付であり、返済が前提となっている。そのため、無償で提供される資金協力や技術協力と比べて、大きな事業規模で支援を行うことができる。これにより、予算規模だけで見れば、JICAの方がUNDPを圧倒しているわけだ。

気を付けたいのは、予算の多少は事業の優劣に直結しないことだ。UNDPが技術協力に注力し、JICAが資金協力を軸に技術協力も併用しているといった特性について、むしろ注目いただきたいところだ。

職員の数はUNDPの方がJICAより多い

職員の数はどうだろうか。JICA:UNDP=1,800人:7,500人と、UNDPの方が多くの職員を抱えている。一方、契約ベースの専門家の数を見ると、9,000人:2,600人と、JICAの方が圧倒的に多い。JICAが少数の職員で事業展開の実施や方向性の決定を行い、各分野のスペシャリストは契約ベースで調達している点に特徴があり、UNDPはスペシャリストまで内部人材として確保している点に特徴がある。

職員一人当たりの予算規模は単純計算で、5.6億円: 0.6億円。私の経験からしても、JICAは新人職員が数十億~数百億円規模の事業管理を担当することも多い。国際機関や開発途上国の政府関係者と面会する際も、相手が自分よりも数十歳上の人であることがほとんどで、新人が大臣室でケニアの保健政策について大臣と直接議論する場面もしばしばある。若手職員の裁量や権限の大きさは、JICAが圧倒的に大きく、多額の予算を扱うことが多い。

予算規模と職員の数の違いから考える得意分野の違い

予算規模の違いは事業の違いにも表れる。インフラ事業の場合、案件あたりの予算額は大きくなる。一方、予算規模の小さい技術協力でも、調整や手続きにかかる業務量は同程度であることが多い。一概には言えないが感覚的には、案件あたりの事業規模を大きくすれば、予算総額は大きくなる一方、案件計画から実施までの「手間」はさほど変わらない。

JICAが少人数で大きな予算規模を運用できているのはインフラ事業を主軸としているためであり、技術協力を増やそうとすればもっと多くの職員が必要となるだろう。

このように、予算規模と職員数からマルチとバイの比較をしてみると、それぞれの強味が見えてくるかもしれない。

※この記事は1月15日に開催された開発フォーラム二瓶直樹氏による発表を参考に、執筆者の見解を加えて再構成しています。内容の責任は執筆者にあります。

社会保障 × ICT で開発途上国の貧困問題に立ち向かう

一見すると、ICTと社会保障は無縁のように思うかもしれません。しかし、開発途上国で社会保障制度を運用するために、ICTは欠かせないツールとなっています。

前回の記事

公共財政管理の3つの柱

前回の記事で、「公共財政管理(Public Finance Management: PFM)が開発途上国を変える」と書いた。ここでは、公共財政管理のポイントをご紹介したい。公共財政管理とは、公共部門の財政計画、予算編成、予算執行、経理・調達、会計報告、監査の一連の流れを管理すること。

公共財政管理には3つの柱(財政規律、資源の戦略的配分、効率的なサービスデリバリー)があり、各ステージで適切な管理を実現できるかがポイントとなる。

財政規律

実力以上の歳入を求めると歳入計画が甘くなり、財政支出が膨らむ。結果的に財政赤字が発生することとなる。例えば、一時的な資源価格の上昇によって、中期的な歳入計画を見誤ってはいけないということだ。また、選挙間近に人気取りのために補正予算を連発するようなことがあれば、財政規律が保たれているとは言えないだろう。

資源の戦略的配分

開発途上国では、少ない元手をいかに効率的に投資するかが重要となる。つまり、中長期的な開発計画に基づいた資源の戦略的配分が重要なポイントとなる。こうした認識を共有する国においては、中期支出枠組み(Medium-Term Expenditure Framework: MTEF)と呼ばれる中期計画を策定しているところもある。MTEFで決められた重点分野へ予算が重点的に配分されているかモニタリングすることが大切だ。

効率的なサービスデリバリー

経理・調達は適切かつ迅速に進んでいるか。効率的に運用されていないとすれば、どこに原因があるか。

公共財政管理の流れを把握するための7つのポイント

公共財政管理のコンセプトである三本柱をご紹介したが、実務家にとっては実務の流れを把握することはより重要となる。具体的には次の流れを把握しておきたい。

予算編成プロセス

まず、予算編成のプロセスを把握する必要がある。担当する国の会計年度は、何月から何月だろうか。また、内閣、議会、省庁、実施機関の予算策定に関する作業日程はどのようになっているだろうか。最終的に予算が確定し、実施機関へ予算配賦されるのはいつだろうか。1年の大まかな流れを把握しておきたい。

予算編成の作業日程

大枠を把握したら、もう少し細かくスケジュールを確認しておきたい。次年度予算の検討を開始してから議会の承認まで、だいたい8ヶ月程度を要するところが多いようだ。当然、予算編成の作業日程は国ごとで異なるため、以下の日程はあくまで参考として考えてほしい。

マクロ経済状況を分析。今後の経済状況の予測を行い、歳入の予測を行う。それに基づき、各セクターで使うことができる予算の上限を内閣が承認する。その後、各省庁で予算計画を作成し、概算要求に基づいて財務省が査定を行う。最終的には議会が承認することで、次年度予算が確定することとなる。

  • 8ヶ月前 マクロ経済枠組み策定
  • 7ヶ月前 セクター別予算上限確定、内閣が予算方針とシーリングの承認
  • 6ヶ月前 予算編成開始
  • 5ヶ月前 執行省庁 概算要求提出
  • 4ヶ月前 財務省による査定
  • 2ヶ月前 政府予算化案策定 議会へ提出
  • 0ヶ月前 予算が議会で承認

予算編成手法

予算編成のアプローチは大きく分けて2通りある。インプット・コントロールは、予算を項目ごとに積み上げで合計を予算計上する手法で、日本が採用している。歳出項目を積算することから項目予算とも呼ばれる。一方、アウトプットコントロールは、成果に応じて予算配賦するアプローチで、アメリカが採用している。業績予算とも呼ばれる。

中期支出枠組み(Medium-Term Expenditure Framework: MTEF)

国家開発計画の中期的な支出計画。3~5年ごとに進捗や予算執行状況を見直すことで、国家戦略に基づいた事業展開がされているかモニタリングすることを目的としている。内部・外部環境によってマクロ経済や歳入は常に変動するため、多年度にわたる中期的な見通しを立てたうえで見直していくことが重要。また、行き当たりばったりの予算計画ではなく、国家戦略に基づく予算配賦がなされているかを確認する目安ともなる。ただし、単年度予算の策定を代替するものではなく、あくまで目安。各年度の予算はMTEFの有無にかかわらず議会承認を必要とするのが一般的。

国庫管理(Treasury)

国庫管理は、現預金の管理(政府公金口座の管理)、資金配賦、債務管理からなる実際のお金の管理のこと。

予算執行サイクル

歳出権限、支出権限、支出負担行為、債務認識、支出など、予算執行の一連の流れを把握することが重要。個別案件の実施に際し、予算の未達が原因で事業が滞る場合は、どこで予算執行サイクルが目詰まりを起こしているのかを検証する必要がある。

監査

コンプライアンス監査、財務監査、業績監査など。内部監査と外部監査がそれぞれ牽制機能を果たしているか確認したい。

公共財政管理の実務への応用

PFMの視点は、大きく2つある。プロジェクト実施中のリスクにどう対処すべきか。実施中の案件のボトルネック(阻害要因)のうち、PFMが原因となっているものがないか確認する。この2点に合致する場合、予算計画から執行までの一連の流れの中で、どこで目詰まりを起こしているのかを検討する必要がある。

PFMのサイクルにおいて、問題の所在はどこにあり、どのような対処が可能なのかを考えることが重要。開発途上国政府のサイクルの中で、プロジェクトの業務フローがどこに位置付けられるか考えることが、問題解決の第一歩となる。

また、各国の弱みを把握するための便利なツールがある。世界銀行が開発したPFM診断ツール(Public Expenditure and Financial Accountability: PEFA)を使えば、国ごとのスコアを見ることができる。公共財政管理のサイクル項目ごとにスコア付けされており、ボトルネックがよくわかる。サイクルのどの部分で目詰まりを起こしやすいか、クセをあらかじめ把握しておくために効果的だ。

JICAの技術協力プロジェクトでは、全国展開の前に小規模なパイロット事業を行うことが多い。PDCAサイクル(Plan-Do-Check-Act)を通じて、問題の所在の確認と改善を繰り返すことで、目詰まりの起きない事業モデルが完成する。こうした地道な確認作業を経て、全国展開することが多い。

パイロット事業がうまく回るかPDCAサイクルで試行錯誤しながらモデルを作り上げる作業は、公共財政管理の実務への応用として良い例だろう。

※この記事は、2月10日に開催されたワシントンDC開発フォーラムで議論された内容をまとめたもので、文責は著者にあります。

ワシントンDC開発フォーラム

開発途上国の援助に携わる日本人関係者からよく聞く「ボヤキ」がある。「途上国政府が予算を確保すると約束したのに、パイロット案件が終わる頃になって予算がないと言われた。」小規模にテストケースとして実施していた事業が終わり、「よし、これから全国展開」というときに、開発途上国政府が予算を確保していない。こんな経験はないだろうか。梯子を外されたと怒る職員や専門家を幾度となく目にしてきた。

立ち止まって考えてほしい。公共財政管理を頭の隅において事業を実施してきたか?開発途上国の予算年度を意識した事業計画を行ってきたか?予算が確保されない原因を調査したか?

例えば、農業分野の取り組みは農業省をカウンターパートとしてやっていればよかった。しかし、公共財政管理を考慮せずに案件計画を行うと、プロジェクトの持続性が担保されない冒頭の状況に直面することとなる。

開発途上国の政府にとっては、農業へ投資をするか、教育へ投資をするかは、財源をどちらへ振り向けることが効果的なのかが焦点となる。一方、パイロット案件の専門家は、自分の案件を第一に考える。ここに意識のズレがある。担当案件をスケールアップして欲しいことはよくわかるが、政府にとっては他のセクターや案件との横並びで予算配分を考えることが重要なのは言うまでもない。

今、公共財政管理(Public Financial Management: PFM)に注目が集まっている。開発途上国の援助のプロフェッショナルには、公共部門全体を俯瞰し、財政計画から会計報告までの流れを大まかに把握しておくことが求められている。それぞれの開発途上国の公共部門に合わせた予算規模と業務フローで事業を計画し、実施・モニタリングしていくことの重要性が認識されつつある。

次回は、2月10日に開催されたワシントンDC開発フォーラムで議論された公共財政管理のポイントを振り返ることとしたい。