携わっている仕事について書きます。

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開発援助プロフェッショナルの条件とは?-言葉のわからない親友

現地の生活へ足を踏み入れること

6年ぶりに降り立った東洋のパリ、プノンペン。開発援助業界へ足を踏み入れた場所へ帰ってきた。

王宮の裏に目立たない小道がある。月300ドルの下宿先が変わらずそこにはあった。大家さんを訪ねると、あの時と何も変わらない笑顔と人々と会うことができた。突然の訪問に躊躇することなくセットされた突然の歓迎会は、いつもお決まりの自宅前の路上。行き交う住民が、私の顔を覚えていて、声を掛けては帰って行く。言葉はわからないが、暖かい時間の流れが心地よい。

赤い手すり越しに、毎朝、私の出勤を待っていたバイクタクシーの溜まり場へ向かう。顔なじみのドライバーが目を丸くして大声で飛んでくる。

クメール語。何を言っているかわからない。再会。感動と込み上げてくる涙だけが共通の言葉だった。

思わぬ再開に気が動転する親友たち。ポケットからしわくちゃの紙切れを出した。いつかの飲み会の写真のカラープリント。嬉しかった。

英語を全く解さない親友たちに連れられ、タックマウ地区の自宅へ連れて行かれたことがあった。地方からの出稼ぎの若者たちが居住するエリア。真っ暗な夜道をどこへ連れて行かれるかもわからないまま、親友を信じてついて行ったのが懐かしい。

もてなされた料理もそれまで見たことがないものばかりだった。魚を発酵させて作るプラホック(独特の風味のタレ)に生野菜をつけて食べる。見たこともない赤貝は塩辛く、アンコールビールと絶妙のハーモニーを醸し出す。蚊取り線香も蚊帳も無い高床式の野外ステージで飲み会を見守っていたのはたくさんのヤモリたち。電灯に集まる虫をたらふく食べる姿が懐かしい。

言葉のわからない親友をたくさん持つこと
2009年9月からの半年間、私は国際労働機関(ILO)のカンボジア事務所で勤務した。初めて手にした給料は300ドルの小切手。プノンペン市民と同等の生活水準だった。だからこそ、カンボジアの人々と同じ空気を吸い、言葉のわからない親友と出会えたのかもしれない。

開発援助業界には、おかしな二項対立がある。ローカル v.s. インターナショナル。現地スタッフと国際機関の職員との間には超えられない壁があり、現地住民と外国人駐在員の間の垣根も高い。

現地の食事を口にせず、地元の青空市場へも行かない。外国人コミュニティで生活する西洋人や日本人コミュニティだけで生活する日本人。英語を話さない地元住民を怒鳴り散らす外国人。「郷に入っては郷に従え」とは真逆の、名ばかり「プロフェッショナル」がたくさんいる。

データやプレゼンが上手で、気弱な途上国の役人を説き伏せることがプロの仕事ではない。

言葉のわからない親友がどれだけいるか。通訳を連れて調査へ行っても出会えない、外国人には到底入り込めない場所に、地元の生活がある。

言葉のわからない親友を持つことができるか。それが、真のプロフェッショナルの条件。開発途上国で本当に良い仕事ができるかどうかは、言葉ではなく身をもって現地の生活や実情を伝えてくれる親友を持つことにかかっているのではないだろうか。

アフガニスタン地震被災地で支援を行う日本のNGO

アフガニスタン北部で26日、マグニチュード7.5の大きな地震が発生した。この記事を書いている時点での死者数はアフガニスタン・パキスタンで300人を超え、その何倍もの人々が被災している。紛争下の地域で大規模な被害が出ており、今後の人道支援がスムーズに進まないことが懸念される。

一般的に、紛争や災害が起きているときに最も不利(脆弱)な立場に置かれるのが、女性や子供とされる。今回は、紛争と災害が同時に起きたケースであり、女性と子供に対する手厚い支援が必要となるかもしれない。

 

アフガニスタンで活動するNGOの募金先
災害発生からまだ日が浅いことから、日本のどのNGOも、対処方針を発表していない。一方で、アフガニスタンに駐在事務所を構え、日ごろからプロジェクトを展開しているNGOがある。今後、募金窓口が開設されていくと思うので、募金先の検討の参考となれば嬉しい。

ジェン(Japan Emergency NGO: JEN)

2001年8月から活動。緊急支援、帰還民再定住支援、学校環境整備支援、衛生教育支援などで実績あり。10月27日、緊急支援出動を表明。

ジャパン・プラットフォーム(Japan Platform)

アフガニスタン・パキスタンで人道支援を行う日本のNGOへ出資している。2010年7月から2016年1月までに、11団体を通じて包括的な支援を行っている。案件一覧はこちらから。なお、これらの案件は、今回の被災を踏まえた対応ではない。今後、被災者支援に特化した募金窓口が開設されると思われる。10月26日情報収集開始。

難民を助ける会(Association for Aid and Relief: AAR)

1999年から活動。2002年1月に首都カブールに事務所設立。地雷回避教育、地雷除去、地雷・不発弾被害者支援を包括的に展開している。10月27日情報収集開始。

ピースウインズ・ジャパン(Peace Winds Japan: PWJ)

2001年7月から活動。緊急支援、学校建設、道路修復、井戸掘削、女性の収入向上など、幅広く活動を実施。

日本国際ボランティアセンター(Japan International Volunteer Center: JVC)

女性や子どもに対する支援に重きを置き、地域保健医療活動、教育支援、政策提言などの活動を実施。10月27日既往案件関係者の安否確認。

ジョイセフ(Japanese Organization for International Cooperation in Family Planning)

母子保健分野での支援に定評があり、アフガニスタンでも案件実施の実績あり。

シャンティ国際ボランティア会(Shanti Volunteer Association: SVA)

2003年から活動。緊急支援、学校建設、図書室支援事業、教員研修、読書推進事業などを展開中。

カレーズの会(KAREZ)

2002年から活動。南部カンダハール市で診療所を運営。

ペシャワール会(Peshawar)

1986年から活動。医療事業、灌漑事業、農業事業など、幅広い分野で地域に根差した活動を実施。

 

※緊急支援を実施している団体情報を随時掲載させていただきます。情報ソースとともに、こちらからご連絡お待ちしています。

 

日本政府の対応
現時点で日本政府の対処方針は発表されていない。今後の公式発表を待ちたい。安保法案が可決されてから初めての大規模災害となった。日本政府が実施する人道支援と自衛隊の連携がどのようなものになるのか、注目が集まる。特に、今回の被災地は治安上、支援団体が入りにくい地域が含まれるため、今後の紛争・災害時の人道支援の在り方を占う重要なオペレーションとなるだろう。また、各国政府もまだ対処方針を発表しておらず、早期の支援実施が望まれる状況にある。10月27日のプレスリリースで、「支援用意がある」と表明。

 

(2015年10月28日7時30分更新)

※被災地支援に際しては、それぞれの団体の活動内容、具体性をじっくり読み、募金先を考えてみませんか?「開発途上国の支援活動へ募金・寄付する際の心構え」も、支援先を決める際の参考として頂ければと思います。

IMF・世界銀行年次総会2015 – セミナー・ハイライト

今年もこの季節がやってきた。10月9日から11日の日程で、IMFと世界銀行は年次総会を開催した。今回の開催地はペルーのリマ。全世界の財務大臣・中央銀行総裁が一堂に会す一大イベントだ。年次総会では、プログラム・オブ・セミナー(POS)と呼ばれる各種イベントが開催されることが恒例となっており、近年ではインターネットを通じた生中継で全世界から視聴することができる。ここでは昨年度に続き、注目すべきPOSをピックアップしてご紹介したい。

オープニングイベント - 今日から2030年までに何をすべきか

今年の年次総会で注目すべきイベントを一つあげろと言われれば、間違いなくこのセミナーだろう。ジム・ヨン・キム世界銀行総裁、パン・ギムン国連事務総長、クリスティーナ・ラガルドIMF専務理事、ジャスティン・グリーニング英国国際開発相など、開発援助業界のリーダーが1時間自由討論を行った。20年後、私の世代が主役となるとき、日本の有識者もあの場に座りたいと思わせるイベントだ。

経済政策 - 不平等、機会、繁栄

このセッションは、社会的・経済的インクルージョン、不平等と貧困の関係、機会の平等の実務的な計測・モニタリング方法などを議論している。貧困撲滅と繁栄を組織命題に掲げるジム・ヨン・キム世界銀行総裁も登壇した。

産業政策 - ポスト2015開発アジェンダの実施へ向けて

こちらのイベントも興味深い。2030年までに誰が何をすべきか。経済構造は、産業政策はどうあるべきか。誰がどのような責任を負い、何をすべきなのか。ノーベル経済学賞受賞者であるジョセフ・スティグリッツ教授(コロンビア大学)含む有識者によるパネルディスカッション。

教育政策 - 公平な経済成長へ向けた質の高い教育

教育分野に関心のある方にとっては興味深いパネルディスカッションかもしれない。これまでの教育セクターのトレンドは、教育へのアクセスだった。つまり、就学率を改善し、退学率を下げ、より多くの子供たちが学校へ行けるようにする。それが教育セクターがこれまで注目してきたことだった。しかし、トレンドは徐々に変わりつつある。学校教育の質の向上をいかに達成するか。関心が移ってきている。このセミナーではバングラデシュ、ペルー、セルビアから大臣も討論に加わり、活発な議論が行われた。

農業政策 - 気候変動対応型食糧システムへ向けて

旱魃、洪水、天候不順。気候変動の影響は年を追うごとに実感に変わり、確実に開発途上国を脅かしている。2050年までに、私たちはどのようにして90億人を養う食糧システムを構築できるのだろうか。気候変動対応型食糧システム(Climate-Smart Food System)について有識者が議論を行った。ジム・ヨン・キム世界銀行総裁とルワンダの財務経済計画大臣も討論に参加している。

データと指標を制する者はSDGsを支配する

持続可能な開発目標(SDGs)が採択され、お祭り騒ぎが一巡した。賽は投げられ、いよいよこれから具体的な行動を起こしていくべきなのだが、開発援助業界には残念な慣習がある。採択されるまでは騒がれ、採択された後は大した注目を集めないという、援助業界の「あるある」ネタだ。

今回のSDGsも放っておくとそうなるだろう。議論を風化させず、前に進めるために、この場で少しずつ問題提起していくことは意味があると思いたい。

面倒な交渉は国連にやらせておけ、実施段階で支配する

SDGsが採択される前のことだった。世界銀行職員とSDGsについて議論していた時に示された見解だ。鮮明に記憶に残っている。

「SDGs採択までの面倒な政治的交渉は国連にやらせておけば良い。そこでどのようなゴールとターゲットが設定されようが構わない。目標が決まった段階で主導権を握る。設定されたターゲットをどのような指標で、どのような計測方法を使ってモニタリングすべきか。実務レベルの議論をリードできるのは世銀だけだ。そこで議論を支配すれば全てをコントロールできる。」

「私たちが世界で一番指標(計量・統計)に強い。どのようなゴール・ターゲットであっても、最後は世銀のスタンダードが世界のスタンダードになる。だから、交渉事に無駄な労力を割く必要は無い。指標を作る段階で、自分たちの思うように料理すればいい。」

事実、SDGsのゴールやターゲットは設定されたが、指標や計測方法は設定されていない。例えば、ゴール1は貧困撲滅だが、貧困の定義は決められていない。誰がどうやってモニタリングしていくのかも合意されていない。

その矢先、世銀が国際貧困線を1.90ドルへ改定したことは記憶に新しい。おそらく、ゴール1の貧困撲滅は、「1.90ドル以下で暮らす人々の数をゼロにすること」で定義されていくことになるのだろう。まさに先手必勝。

かなり強烈な意見だった。多くの開発パートナーが「SDGsに何の要素を入れるか」に注力する中、実施段階で議論をコントロールしようしている点は、「さすが」の一言に尽きる。

キーワードは「データ」-SDGsへ向けた日本の開発援助の課題

恥ずかしながら、「日本の援助はこんなに素晴らしいんです」と胸を張って言えたためしはない。それはなぜか。ほぼ例外なく、統計的に正しい手法で案件のインパクトの評価を行ってこなかったからだ。統計がすべてではないことは理解する。しかし、主観的に主張するだけでは誰も聞いてくれない。当然のことだろう。

日本語で「SDGs」と検索してみて欲しい。検索結果はどれも「SDGsが採択された」という事実のみ。日本国内の開発パートナー(政府機関、NGO、民間企業、市民団体、宗教団体等)が、どのようにSDGsへアプローチしていくつもりなのか、議論されている例は極めて少ない。

オールジャパンでSDGsへ取り組むためには、MDGs時代のままではいけない。変革のためのキーワードは「データ」だ。

世界銀行の全てがよいとは思わない。しかし、事実として、家計調査データをしっかり収集し、実施した案件のインパクトを分析できる体制を作っている。この点を日本も見習わなければならない。

日本の援助の決定的な弱点は、個人力。組織全体を見れば、高度な調整能力と事務能力は世界一。しかし、統計学の手続きに則ったデータ収集・定量分析に関しては、実施体制が全く整っていない。

2030年まで、まだ15年ある。自分たちが実施する案件を定量的に評価できる体制を整えたい。今からでも遅くはない。

ローマは一日にしてならず

こういう新しい試みを提案すると、すぐにでも成果を出したいと考え、外注しようとする動きになるかもしれない。しかし、内部人材を育て、外注せずに実施できる体制を作り上げることこそが重要なのだ。

いったん外注してしまえば、美しい評価結果は手に入るだろう。しかし、データ収集や分析の過程で、どのような処理がされているか把握することは難しい。

データや指標というのは、一見すると客観性を持っているように見えるが、分析者が望ましいと考える結果に恣意的に操作されていることが多々ある。

15年後に、「こんなに頑張りました」と後付けで、エビデンスもなしに作文しなければならない状況は、とても寂しい。

今から実施体制を抜本的に見直し、案件のインパクトを正しく評価できる人材の育成と実施体制を整えておくべきだと考える。

IMFx

国際通貨基金(IMF)が無料でオンラインコースを提供している。IMFxは、無料のオンラインコースを提供する大手edXとの連携で実現したもの。

 

たとえば、マクロ経済予測のコースが10月21日から8週間の日程で開講される。インターネット環境さえあれば、誰でも受講できるのが特徴だ。

また、録画なのでいつでも受講できるのも嬉しい。週日仕事で忙しい実務家も、週末の少しの時間で取り組める。

学問の秋。全世界のクラスメートと一緒に一流の知識を学ぶのも悪くないだろう。

カメルーンの街角でアフリカの芸術を着る

みなさん、こんにちは。

ポバティスト編集長の敦賀一平です。先週お送りした中央アジアのシリーズはいかがでしたでしょうか。

今週からはアフリカ中西部の国カメルーンを舞台にお届けします。

かつてヨーロッパの人々から「暗黒の大陸」と呼ばれたアフリカ大陸。文化も歴史もない。そう思われていました。しかし、街を歩いていると、そこで生まれた文化や芸術が日常に溶け込んでいる瞬間を、ふと垣間見ることがあります。

アフリカンプリント。

独自の模様と色使いに込められた作り手の思いとセンスに魅了されます。マーケットへオシャレをして出歩くアフリカの女性たち。アフリカで生まれた芸術が女性の日常を彩っています。

「色彩」は衣類の色だけではなく、多様性を表します。カメルーンの日常から開発課題まで。カメルーンで出会った「色彩」をテーマにカメルーン駐在員が日常をレポートします。

それでは、お楽しみに。

ユニバーサル・スタジオ・ジャパンが、サービス最低で有名なコムキャストに買収される

連休前の金曜日。

軽い足取りで帰宅した私を待っていたのは、衝撃のニュースだった。

愛すべき関西の遊園地「USJ」が買収されたのである。高校の修学旅行で行った思い出の遊園地だ。

そこまでは百歩譲ったとしてもだ。

買収先がなんと、コムキャスト。これは許しがたい。

コムキャストと言えば、サービスが最低にも拘らず生き延びていることで有名だ。

ウソだと思うのなら、検索してみてほしい。アメリカ在住者のブログがヒットするわするわ。

これまで、日本、カンボジア、アメリカでインターネット・ケーブル契約をしてきたが、ダントツでサービスが悪い。

悪くしようと思わなければできないレベルの対応をされる。

私の経験を話そう。

  1. 契約時、郵送でモデムを送らず、客にタクシーで40ドルの辺鄙な場所へ取りにいかせる。
  2. ワクワクして帰ってきたら、モデムが壊れていて使えず(ちなみに見た目からボロボロの中古)。
  3. クレームの電話をしたが、自動音声が対応。何度も英語で自動音声に応えるが、発音が悪いらしく、たらいまわしにされる。その挙句、電話を切られる。
  4. 担当者派遣を約束させたが、1か月先まで予約がいっぱい(どれだけクレームが多いのだろう・・・)。
  5. ようやく派遣されてきて原因が判明。モデムを取り換えただけ(初めから新品を送ってほしい)。
  6. やっと直ったので怒りを堪えて「ありがとう」と言うと、「どういたしまして」。1ミリも申し訳なく思っていない(なぜならその担当者が壊れたモデムを渡したわけではなく、会社のほかの担当のせいだからだろう)。
  7. 1年後無断で20%程度値上げされている。
  8. 解約したいがタクシーで40ドルかかる事業所まで行くのは嫌なので泣き寝入り。

ともかく、日本法人がコムキャストに買収されるのはとても残念だ。

買収されることを決めた方々が、あとで後悔しないことを祈るしかない。

それにしても不思議なのは、このようなサービスをしている会社がアメリカにはいくつもある。サービスが最低なのに、大企業を維持している。

資本主義が行き届いた社会では、サービスの良いビジネスが生き残り、悪い会社は淘汰されるものだと思っていた。

コムキャストの例は、必ずしもそれが正しくないことを意味する。

お客様は神様である日本法人がコムキャストのような企業に買収されるというのは何とも不思議。

コムキャストがUSJから客商売を学んで、より良いサービスを提供することを狙っているのであれば、コムキャストの経営陣を最大限評価したい。

 

※追伸

コムキャストが一点だけまともな対応をしたので、追記する。それがフェアだ。

1か月間モデムの故障によりサービスを受けられなかったが、最初の請求書はなんと満額、勝手にクレジットカードから引き落とされていた。

さすがに我慢できずに抗議の問い合わせをした。

するとあっさり全額返金。

クレームがあまりにも多すぎるため、担当者レベルの判断で金を返せる仕組みになっているのだろう。

私が本当のことを言っているかどうか、裏を取って調べるそぶりも見せず、即決だった。

クレームに対する返金のポリシーは日本にはない素早い対応だ。

いちいちクレームしなければならない社会は生きにくいことは間違いないが。

日本による中央アジア地域支援の展望

みなさん、こんにちは。

ポバティスト編集長の敦賀一平です。

2013年にウェブサイトを拡充して以来、開発途上国の貧困問題と開発援助について幅広く扱ってきました。世界各地で第一線で活躍する12名のエキスパートによる記事を掲載し、多くの国と地域をカバーしてきています。

ところが、ある特定地域のみ、まだ登場したことがありません。

中央アジアです。

多くの読者の方々にとって中央アジアは、シルクロードの時代で記憶が止まっているのではないでしょうか。

謎に包まれた中央アジア。

どのような開発課題があり、日本はどのような関わり方をしているのか。

明日以降、シリーズ「日本による中央アジア地域支援の展望」を連続でお届けします。

中央アジアで活躍するエキスパートが、少しずつシルクのベールをはがしていきます。

それでは、お楽しみに。

 

特集: 日本による中央アジア地域支援の展望

スティグリッツが語るアフリカの産業政策と経済構造転換

ノーベル賞が盛り上がっている。伝統的に日本は理系分野に強く、社会科学分野での受賞は少ない。特に経済学賞に至っては日本人は未だかつて受賞したことがない。先月、ジョセフ・スティグリッツ教授(コロンビア大学)が一冊の新書を世に送り出した。タイトルは、「アフリカの産業政策と経済構造転換(Industrial Policy and Economic Transformation in Africa)」。2001年のノーベル経済学賞受賞以来、スティグリッツ教授は一貫して政府の役割の重要性を説いてきた。「小さな政府」を掲げる新自由主義(ネオ・リベラリズム)に真っ向から反対し、開発途上国の経済をボロボロにしたワシントン・コンセンサスに疑問を投げかけてきた。

私がスティグリッツ教授と初めて出会ったのは、2012年11月。JICA研究所と政策対話イニシアティブの共同研究者会合の場だった。あれから3年が経過し、今回の書籍がようやく完成したことは感慨深い。

スティグリッツ教授以外の共同研究者も、各分野の第一人者ばかり。ベストセラー作家が一堂に会した、まさにオールスターゲームのようだった。それにもかかわらず、論文の執筆には加わらなかった私でさえ自由にコメントできる空間がそこにはあり、完成した書籍の謝辞の欄に僭越ながら登場させてもらった。内容もさることながら私にとって印象的な一冊となった。

思い出話はこのあたりでやめる。その代わりに書籍の内容を少し紹介したい。アフリカの開発援助にかかわるすべての人に読んで欲しい一冊だ。

アフリカの産業政策と経済構造転換をどのように実現するか?
サブサハラアフリカは1970年代後半から、「失われた25年」と呼ぶべき経済の低迷に直面した。スティグリッツ教授はこの原因をワシントン・コンセンサスに基づく経済改革の失敗にあると分析する。経済活動を市場経済に任せて政府は極力介入しない「小さな政府」。国営企業の民営化を通じて市場経済を促進する「規制緩和」。これらがアフリカ経済の低迷を招いたという立場だ。

でこそようやく年率5%を超える経済成長を達成しているものの、資源価格の高騰によるところが大きく、経済構造の根本的な転換は進んでいない。そのため、アフリカ全体で見れば一部の資源国が経済成長を牽引している状況であり、産業空洞化の解決の糸口は見えない。

この状況を踏まえ、本書は「ルワンダとエチオピアのケースから、アフリカ諸国は学ぶことができる」と主張している。資源のない(資源に頼らない)経済構造を模索し、産業の良いサイクルを生みだしている国だ。ルワンダは情報通信(IT)を自国産業と位置付け、学校教育で使用する言語を仏語から英語へ変更してまで、ITに強い人材育成を試みている。海運に恵まれない開発に不向きとされる陸の孤島が、アフリカの中心で一際輝きを放っている。また、エチオピア政府も産業政策に力を入れ、日本の教訓(カイゼン等)を積極的に取り入れるなど経済構造転換を図っている。

スティグリッツ教授は次のように語る。「経済成長を持続するためには、経済構造転換が不可欠。そのためには、政策立案者はワシントン・コンセンサスに対するイメージを払拭しなければならない。ワシントン・コンセンサスは教育の役割を過小評価し、改革の速度・優先順位・実施能力を軽視した。その一方で、市場経済の拡張と効率化を急速に推し進めることばかりに注力した。その結果が、失われた25年だ。」

経済成長に役立たずだったワシントン・コンセンサス
本書はこうした論調で始まり、農業、産業、財政、社会資本、ガバナンスなど、様々な視点から分析を試みている。特に最終章は面白い。ジュリア・ケイジ助教授(パリ政治学院)の「政策パフォーマンスの計測-世界銀行よりましな手法はあるか?」だ。

世界銀行が取り入れている国別政策・制度評価(Country Policy and Institutional Assessment: CPIA)は、ガバナンスの評価指標として世界中で最も影響力のあるデータだ。しかし、ケイジ助教授は、「CPIAは将来の経済成長を予測するための指標として不適切であり、政府の役割と能力にもっと重きを置いた指標とすべき」と分析する。世界銀行の政策評価はデタラメだったというわけだ。

この分析は本書の多くの見解をサポートするものである。ワシントン・コンセンサスに習った政策は経済成長・開発・経済構造転換を促進しないということだ。

イノベーションとカイゼン―アフリカはどちらを必要としているのか?

イノベーションが熱い。イノベーションは今、開発援助関係者の間で注目度ナンバーワンのトピックとなった。実務家、研究者、ビジネスパーソン、誰もがイノベーションという言葉を使い、その響きに魅了されている。英語では「Change the Game(ゲームを引っくり返せ)」が合言葉となった。9回裏2アウト。開発途上国はサヨナラホームランを狙うホームランバッターの登場を待ち望んでいる。イノベーションは昨日までの世界秩序を一瞬で変える魔法のようなものだ。開発途上国が先進国に追いつけ追い越すために、期待を一身に受けているのがイノベーション。画期的な技術革新とアイデアだ。

だが考えてほしい。開発と貧困削減のために、イノベーションは本当に必要なのだろうか。イノベーションがなければ目標を達成できないのだろうか。大きな疑問が残る。

もちろん、革新的な技術が重要な役割を果たしてきたことは否定しない。M-PESAは、携帯電話を活用したモバイルバンキングを広め、ケニアの貧困層へ金融サービスを届けた。フェイスブックとユーテルサットの衛星通信もアフリカの奥地へインターネットを届ける素晴らしい試みだ。こうした民間企業の取り組みはとても心強く、個人的にも期待感を抱いている。

イノベーションは宝くじのようなもの

私の心配は、政策立案者や開発援助従事者がイノベーションに注力しすぎることだ。技術革新を切望することは夢のあることだが、いつ当たるかわからない宝くじを待つようなもの。いつ何時、どのような技術やサービスがアフリカに提供されるか、誰もわからないのである。

民間セクターがゲームを引っくり返すようなイノベーションを生もうと努力しているあいだ、公的セクターは経済の土台を作るべく産業政策に力を入れるべきだろう。開発パートナーは開発途上国政府のそのような努力に寄り添い、サポートしていく必要がある。

イノベーションとカイゼンの違いはどこに?

先日、ニューヨークで行われたセミナーでジョセフ・スティグリッツ教授(コロンビア大学)は、「アフリカの将来を考えたとき、経済構造転換と産業政策が重要である」と見解を示した。その上で、「アフリカは日本の経験から多くを学ぶことができる」と付け加えた。日本の経験とは何を指すのだろうか。日本の産業政策と経済成長を支えたアプローチ「カイゼン」に他ならない。

カイゼンは文字通り「改善」のこと。日々の小さな問題に気付き、明日の自分に改善を促す。日本人にとって当たり前のことが、世界では「KAIZEN」として注目を集めている。

イノベーションが一人のカリスマと新しい技術によって生み出されるのに対し、カイゼンはどちらも必要としない。たった一人で、何も使わず、革命を起こすことができる。それがカイゼンの極意だ。一人一人がカイゼンを実施すれば、国民すべてが変革の立役者となる。

カイゼンの大きな特徴は、誰もが実践でき、誰もが結果を実感できること。それが一人一人のモチベーションとなる。技術も資源もいらない。焼け野原だった日本が生み出したアプローチ、カイゼン。だからこそ、無い無い尽くしのアフリカ諸国でさえ、その気になれば明日から始められるのである。

カイゼンは開発途上国にどのような影響を与えられるのか?
カイゼンは5つの”S”から成り立っている。整理、整頓、清掃、清潔、躾。日本人にとっては、いたってシンプルなコンセプトだ。

5つのSに基づいて、工場労働者は日々業務改善を求められる。病院でもオフィスでも同じだろう。日々の反省が業務の効率化につながるのである。

たとえば、一日の作業の終わりに身の回りの整理整頓を行うとする。そうすれば翌朝出勤したときに、何がどこにあり、何から手をつければよいか、迷わずに済む。床の掃除だって同じことだ。身の回りをきれいにしておけば、誰もが気持ちよく働くことができる。これらのカイゼンの結果、生産性の向上と効率化が見込める。日本人にとっては当たり前のことだ。

しかし、日本を一歩出るとカイゼンへの理解は非常に乏しい。カイゼンが利益に直結するものではないからだ。ゲームを一瞬で引っくり返す力はカイゼンにはない。そのため、イノベーションの魅力に取り付かれた人々にとって、カイゼンは数字に表れないつまらないものなのだろう。

だが、トヨタを見てほしい。日本の高度経済成長を支え、世界一の自動車メーカーとなった。そのトヨタが実践してきたアプローチがカイゼンであることを忘れてはならない。

カイゼンのよいところは、誰もが実践でき、一人一人が変化を実感できること。それが業務改善の好循環を生み、強い経済構造の土台を作るのではないだろうか。

カイゼンはイノベーション無き発明である
カイゼンは日々の小さな発明である。新たな技術を要さない発明だ。一人一人が主体となり、社会と国家の産業育成に貢献できるアプローチだ。

私は開発業界で仕事を始めるまで、カイゼンがそれほどすごいものだと思ったことは無かった。どちらかと言えば、「つまらないもの」と感じていた。

しかし、アフリカの援助にかかわるようになった今、カイゼンが日本人の根底にあるスピリットであり、日本の経済構造の根幹を支えていると感じる。

資源も技術もないアフリカの国々が日本から学べるものは何か。今となっては自信を持って答えることができる。

カイゼンの精神である。