携わっている仕事について書きます。

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カメルーンの街角でアフリカの芸術を着る

みなさん、こんにちは。

ポバティスト編集長の敦賀一平です。先週お送りした中央アジアのシリーズはいかがでしたでしょうか。

今週からはアフリカ中西部の国カメルーンを舞台にお届けします。

かつてヨーロッパの人々から「暗黒の大陸」と呼ばれたアフリカ大陸。文化も歴史もない。そう思われていました。しかし、街を歩いていると、そこで生まれた文化や芸術が日常に溶け込んでいる瞬間を、ふと垣間見ることがあります。

アフリカンプリント。

独自の模様と色使いに込められた作り手の思いとセンスに魅了されます。マーケットへオシャレをして出歩くアフリカの女性たち。アフリカで生まれた芸術が女性の日常を彩っています。

「色彩」は衣類の色だけではなく、多様性を表します。カメルーンの日常から開発課題まで。カメルーンで出会った「色彩」をテーマにカメルーン駐在員が日常をレポートします。

それでは、お楽しみに。

ユニバーサル・スタジオ・ジャパンが、サービス最低で有名なコムキャストに買収される

連休前の金曜日。

軽い足取りで帰宅した私を待っていたのは、衝撃のニュースだった。

愛すべき関西の遊園地「USJ」が買収されたのである。高校の修学旅行で行った思い出の遊園地だ。

そこまでは百歩譲ったとしてもだ。

買収先がなんと、コムキャスト。これは許しがたい。

コムキャストと言えば、サービスが最低にも拘らず生き延びていることで有名だ。

ウソだと思うのなら、検索してみてほしい。アメリカ在住者のブログがヒットするわするわ。

これまで、日本、カンボジア、アメリカでインターネット・ケーブル契約をしてきたが、ダントツでサービスが悪い。

悪くしようと思わなければできないレベルの対応をされる。

私の経験を話そう。

  1. 契約時、郵送でモデムを送らず、客にタクシーで40ドルの辺鄙な場所へ取りにいかせる。
  2. ワクワクして帰ってきたら、モデムが壊れていて使えず(ちなみに見た目からボロボロの中古)。
  3. クレームの電話をしたが、自動音声が対応。何度も英語で自動音声に応えるが、発音が悪いらしく、たらいまわしにされる。その挙句、電話を切られる。
  4. 担当者派遣を約束させたが、1か月先まで予約がいっぱい(どれだけクレームが多いのだろう・・・)。
  5. ようやく派遣されてきて原因が判明。モデムを取り換えただけ(初めから新品を送ってほしい)。
  6. やっと直ったので怒りを堪えて「ありがとう」と言うと、「どういたしまして」。1ミリも申し訳なく思っていない(なぜならその担当者が壊れたモデムを渡したわけではなく、会社のほかの担当のせいだからだろう)。
  7. 1年後無断で20%程度値上げされている。
  8. 解約したいがタクシーで40ドルかかる事業所まで行くのは嫌なので泣き寝入り。

ともかく、日本法人がコムキャストに買収されるのはとても残念だ。

買収されることを決めた方々が、あとで後悔しないことを祈るしかない。

それにしても不思議なのは、このようなサービスをしている会社がアメリカにはいくつもある。サービスが最低なのに、大企業を維持している。

資本主義が行き届いた社会では、サービスの良いビジネスが生き残り、悪い会社は淘汰されるものだと思っていた。

コムキャストの例は、必ずしもそれが正しくないことを意味する。

お客様は神様である日本法人がコムキャストのような企業に買収されるというのは何とも不思議。

コムキャストがUSJから客商売を学んで、より良いサービスを提供することを狙っているのであれば、コムキャストの経営陣を最大限評価したい。

 

※追伸

コムキャストが一点だけまともな対応をしたので、追記する。それがフェアだ。

1か月間モデムの故障によりサービスを受けられなかったが、最初の請求書はなんと満額、勝手にクレジットカードから引き落とされていた。

さすがに我慢できずに抗議の問い合わせをした。

するとあっさり全額返金。

クレームがあまりにも多すぎるため、担当者レベルの判断で金を返せる仕組みになっているのだろう。

私が本当のことを言っているかどうか、裏を取って調べるそぶりも見せず、即決だった。

クレームに対する返金のポリシーは日本にはない素早い対応だ。

いちいちクレームしなければならない社会は生きにくいことは間違いないが。

日本による中央アジア地域支援の展望

みなさん、こんにちは。

ポバティスト編集長の敦賀一平です。

2013年にウェブサイトを拡充して以来、開発途上国の貧困問題と開発援助について幅広く扱ってきました。世界各地で第一線で活躍する12名のエキスパートによる記事を掲載し、多くの国と地域をカバーしてきています。

ところが、ある特定地域のみ、まだ登場したことがありません。

中央アジアです。

多くの読者の方々にとって中央アジアは、シルクロードの時代で記憶が止まっているのではないでしょうか。

謎に包まれた中央アジア。

どのような開発課題があり、日本はどのような関わり方をしているのか。

明日以降、シリーズ「日本による中央アジア地域支援の展望」を連続でお届けします。

中央アジアで活躍するエキスパートが、少しずつシルクのベールをはがしていきます。

それでは、お楽しみに。

 

特集: 日本による中央アジア地域支援の展望

スティグリッツが語るアフリカの産業政策と経済構造転換

ノーベル賞が盛り上がっている。伝統的に日本は理系分野に強く、社会科学分野での受賞は少ない。特に経済学賞に至っては日本人は未だかつて受賞したことがない。先月、ジョセフ・スティグリッツ教授(コロンビア大学)が一冊の新書を世に送り出した。タイトルは、「アフリカの産業政策と経済構造転換(Industrial Policy and Economic Transformation in Africa)」。2001年のノーベル経済学賞受賞以来、スティグリッツ教授は一貫して政府の役割の重要性を説いてきた。「小さな政府」を掲げる新自由主義(ネオ・リベラリズム)に真っ向から反対し、開発途上国の経済をボロボロにしたワシントン・コンセンサスに疑問を投げかけてきた。

私がスティグリッツ教授と初めて出会ったのは、2012年11月。JICA研究所と政策対話イニシアティブの共同研究者会合の場だった。あれから3年が経過し、今回の書籍がようやく完成したことは感慨深い。

スティグリッツ教授以外の共同研究者も、各分野の第一人者ばかり。ベストセラー作家が一堂に会した、まさにオールスターゲームのようだった。それにもかかわらず、論文の執筆には加わらなかった私でさえ自由にコメントできる空間がそこにはあり、完成した書籍の謝辞の欄に僭越ながら登場させてもらった。内容もさることながら私にとって印象的な一冊となった。

思い出話はこのあたりでやめる。その代わりに書籍の内容を少し紹介したい。アフリカの開発援助にかかわるすべての人に読んで欲しい一冊だ。

アフリカの産業政策と経済構造転換をどのように実現するか?
サブサハラアフリカは1970年代後半から、「失われた25年」と呼ぶべき経済の低迷に直面した。スティグリッツ教授はこの原因をワシントン・コンセンサスに基づく経済改革の失敗にあると分析する。経済活動を市場経済に任せて政府は極力介入しない「小さな政府」。国営企業の民営化を通じて市場経済を促進する「規制緩和」。これらがアフリカ経済の低迷を招いたという立場だ。

でこそようやく年率5%を超える経済成長を達成しているものの、資源価格の高騰によるところが大きく、経済構造の根本的な転換は進んでいない。そのため、アフリカ全体で見れば一部の資源国が経済成長を牽引している状況であり、産業空洞化の解決の糸口は見えない。

この状況を踏まえ、本書は「ルワンダとエチオピアのケースから、アフリカ諸国は学ぶことができる」と主張している。資源のない(資源に頼らない)経済構造を模索し、産業の良いサイクルを生みだしている国だ。ルワンダは情報通信(IT)を自国産業と位置付け、学校教育で使用する言語を仏語から英語へ変更してまで、ITに強い人材育成を試みている。海運に恵まれない開発に不向きとされる陸の孤島が、アフリカの中心で一際輝きを放っている。また、エチオピア政府も産業政策に力を入れ、日本の教訓(カイゼン等)を積極的に取り入れるなど経済構造転換を図っている。

スティグリッツ教授は次のように語る。「経済成長を持続するためには、経済構造転換が不可欠。そのためには、政策立案者はワシントン・コンセンサスに対するイメージを払拭しなければならない。ワシントン・コンセンサスは教育の役割を過小評価し、改革の速度・優先順位・実施能力を軽視した。その一方で、市場経済の拡張と効率化を急速に推し進めることばかりに注力した。その結果が、失われた25年だ。」

経済成長に役立たずだったワシントン・コンセンサス
本書はこうした論調で始まり、農業、産業、財政、社会資本、ガバナンスなど、様々な視点から分析を試みている。特に最終章は面白い。ジュリア・ケイジ助教授(パリ政治学院)の「政策パフォーマンスの計測-世界銀行よりましな手法はあるか?」だ。

世界銀行が取り入れている国別政策・制度評価(Country Policy and Institutional Assessment: CPIA)は、ガバナンスの評価指標として世界中で最も影響力のあるデータだ。しかし、ケイジ助教授は、「CPIAは将来の経済成長を予測するための指標として不適切であり、政府の役割と能力にもっと重きを置いた指標とすべき」と分析する。世界銀行の政策評価はデタラメだったというわけだ。

この分析は本書の多くの見解をサポートするものである。ワシントン・コンセンサスに習った政策は経済成長・開発・経済構造転換を促進しないということだ。

イノベーションとカイゼン―アフリカはどちらを必要としているのか?

イノベーションが熱い。イノベーションは今、開発援助関係者の間で注目度ナンバーワンのトピックとなった。実務家、研究者、ビジネスパーソン、誰もがイノベーションという言葉を使い、その響きに魅了されている。英語では「Change the Game(ゲームを引っくり返せ)」が合言葉となった。9回裏2アウト。開発途上国はサヨナラホームランを狙うホームランバッターの登場を待ち望んでいる。イノベーションは昨日までの世界秩序を一瞬で変える魔法のようなものだ。開発途上国が先進国に追いつけ追い越すために、期待を一身に受けているのがイノベーション。画期的な技術革新とアイデアだ。

だが考えてほしい。開発と貧困削減のために、イノベーションは本当に必要なのだろうか。イノベーションがなければ目標を達成できないのだろうか。大きな疑問が残る。

もちろん、革新的な技術が重要な役割を果たしてきたことは否定しない。M-PESAは、携帯電話を活用したモバイルバンキングを広め、ケニアの貧困層へ金融サービスを届けた。フェイスブックとユーテルサットの衛星通信もアフリカの奥地へインターネットを届ける素晴らしい試みだ。こうした民間企業の取り組みはとても心強く、個人的にも期待感を抱いている。

イノベーションは宝くじのようなもの

私の心配は、政策立案者や開発援助従事者がイノベーションに注力しすぎることだ。技術革新を切望することは夢のあることだが、いつ当たるかわからない宝くじを待つようなもの。いつ何時、どのような技術やサービスがアフリカに提供されるか、誰もわからないのである。

民間セクターがゲームを引っくり返すようなイノベーションを生もうと努力しているあいだ、公的セクターは経済の土台を作るべく産業政策に力を入れるべきだろう。開発パートナーは開発途上国政府のそのような努力に寄り添い、サポートしていく必要がある。

イノベーションとカイゼンの違いはどこに?

先日、ニューヨークで行われたセミナーでジョセフ・スティグリッツ教授(コロンビア大学)は、「アフリカの将来を考えたとき、経済構造転換と産業政策が重要である」と見解を示した。その上で、「アフリカは日本の経験から多くを学ぶことができる」と付け加えた。日本の経験とは何を指すのだろうか。日本の産業政策と経済成長を支えたアプローチ「カイゼン」に他ならない。

カイゼンは文字通り「改善」のこと。日々の小さな問題に気付き、明日の自分に改善を促す。日本人にとって当たり前のことが、世界では「KAIZEN」として注目を集めている。

イノベーションが一人のカリスマと新しい技術によって生み出されるのに対し、カイゼンはどちらも必要としない。たった一人で、何も使わず、革命を起こすことができる。それがカイゼンの極意だ。一人一人がカイゼンを実施すれば、国民すべてが変革の立役者となる。

カイゼンの大きな特徴は、誰もが実践でき、誰もが結果を実感できること。それが一人一人のモチベーションとなる。技術も資源もいらない。焼け野原だった日本が生み出したアプローチ、カイゼン。だからこそ、無い無い尽くしのアフリカ諸国でさえ、その気になれば明日から始められるのである。

カイゼンは開発途上国にどのような影響を与えられるのか?
カイゼンは5つの”S”から成り立っている。整理、整頓、清掃、清潔、躾。日本人にとっては、いたってシンプルなコンセプトだ。

5つのSに基づいて、工場労働者は日々業務改善を求められる。病院でもオフィスでも同じだろう。日々の反省が業務の効率化につながるのである。

たとえば、一日の作業の終わりに身の回りの整理整頓を行うとする。そうすれば翌朝出勤したときに、何がどこにあり、何から手をつければよいか、迷わずに済む。床の掃除だって同じことだ。身の回りをきれいにしておけば、誰もが気持ちよく働くことができる。これらのカイゼンの結果、生産性の向上と効率化が見込める。日本人にとっては当たり前のことだ。

しかし、日本を一歩出るとカイゼンへの理解は非常に乏しい。カイゼンが利益に直結するものではないからだ。ゲームを一瞬で引っくり返す力はカイゼンにはない。そのため、イノベーションの魅力に取り付かれた人々にとって、カイゼンは数字に表れないつまらないものなのだろう。

だが、トヨタを見てほしい。日本の高度経済成長を支え、世界一の自動車メーカーとなった。そのトヨタが実践してきたアプローチがカイゼンであることを忘れてはならない。

カイゼンのよいところは、誰もが実践でき、一人一人が変化を実感できること。それが業務改善の好循環を生み、強い経済構造の土台を作るのではないだろうか。

カイゼンはイノベーション無き発明である
カイゼンは日々の小さな発明である。新たな技術を要さない発明だ。一人一人が主体となり、社会と国家の産業育成に貢献できるアプローチだ。

私は開発業界で仕事を始めるまで、カイゼンがそれほどすごいものだと思ったことは無かった。どちらかと言えば、「つまらないもの」と感じていた。

しかし、アフリカの援助にかかわるようになった今、カイゼンが日本人の根底にあるスピリットであり、日本の経済構造の根幹を支えていると感じる。

資源も技術もないアフリカの国々が日本から学べるものは何か。今となっては自信を持って答えることができる。

カイゼンの精神である。

開発途上国の貧困の定義と計測方法のまとめ

※この記事は2015年10月に書かれたものです。別の記事で貧困指標についてアップデートしましたので「開発途上国の貧困の定義と計測方法のまとめ(2016年5月3日掲載)」も併せてご覧ください。

世界銀行が貧困ライン(国際貧困線)の定義を1.25ドルから1.90ドルへ変更すると発表した。これまで、開発途上国の貧困率を計測する際に、1日あたり1.25ドル未満で生活する人々を絶対的貧困層としてきた。しかし、今後は1.90ドル未満で生活する人々を貧困層とみなすこととなる。

なぜ1.25ドルから1.90ドルへ?

そもそも、1.25ドル貧困ラインは2005年の購買力平価(各国の物価の違い)を考慮して設定されたものだ。つまり、2005年の物価水準で、食糧や生活必需品を購入することができる最低ラインを貧困ラインとしてきた背景がある。

しかし、過去十年で世界経済は成長を遂げ、開発途上国でも物価上昇が著しい地域も現れてきた。そうした地域の住民は、もはや1.25ドルでは最低限の生活を営むことができなくなった。1.25ドルで計算される貧困率が実態に合わなくなってきたと言うわけだ。

そこで今回、世界銀行は1.90ドルに引き上げることとしたわけである。1.90ドルの根拠は、2011年の物価水準にある。つまり、2005年の最低限の生活水準を営むには、2011年には1.90ドル必要ということだ。

世界の貧困率が史上初めて10%未満に

世界銀行は同時に、2015年の世界の貧困率が9.6%まで改善する見通しを示した。この推計によれば、2012年との比較では12.8%から3%改善し、人口で見ても貧困層は9億人から7億人へ減少する。

持続可能な開発目標(SDGs)が掲げる「2030年までに貧困を撲滅する」ことに関し、世界銀行は「3%まで減少させることは可能」としてきた。世界銀行のプレスリリースを見る限り、今回の貧困線引き上げに伴う「前言撤回」はないようだ。

開発途上国の貧困率の比較には、1.90ドルが今後使われることになるだろう。そして、世界の援助関係者は、2030年までに1.90ドル未満で生活する人々をゼロにすべく、動き出すこととなる。


参考情報

ジェンダー平等と女性のエンパワーメントへの挑戦

ジェンダー平等はスローガンで終わってよいのか?どのように実現するか?具体的に考えて行動に移すことが重要ではないか?このような当たり前のことに、世界のリーダーが気付かされた一幕があった。

持続可能な開発サミット-ジェンダー平等に拍手喝采

9月25日、持続可能な開発サミット(Sustainable Development Summit)の初日。持続可能な開発目標(SDGs)が採択され、興奮冷めやらぬ中行われた討論会だ。『Tackling inequalities, empowering women and girls and leaving no one behind – Interactive Dialogue 2』と題して開催されたこの会議は、先進国、開発途上国、国際機関、市民団体、民間企業のリーダーが、「SDGsでジェンダー平等について、いかに取り組むべきか」議論を交わす場となった。

まず、共同議長を務めた、ケニヤッタ大統領(ケニア)が3つの質問を投げかける。

  • 女性と若年層に対する不平等の問題にいかに取り組むべきか。
  • 女性と若年層に対する暴力へいかに対処すべきか。
  • 女性と若年層の金融へのアクセスと平等な社会の実現には何が不可欠か。

もちろん、ジェンダー平等に対してネガティブな意見を述べる者は少なく、たびたび拍手が沸き起こる一方的な展開となった。各国のアプローチについても言及され、「政策レベルで何を行っていくつもりなのか」を宣言する会合となった。

例えば、ダビド・グンロイグソン首相(アイスランド)は、重要な視点として3つの政策的アプローチを挙げた。所得格差、政策決定プロセスへの女性の参画、ジェンダー平等に対する男性による後押し。これらへの取り組みが重要であり、ジェンダー平等の達成の必要条件との意見だ。

ジェンダー平等は必要でしょうか?-水を差したレソト首相

ところが、会議の中盤に雰囲気が一変した。

ムランボ-ヌクカ事務局長(国連女性機関:UNWOMEN)が「国連女性機関はジェンダー平等に精一杯取り組んでいく」と力説した直後、それは起こった。

拍手喝采が納まりきらない中、モシシリ首相(レソト)の演説が静寂を生んだ。見事に水をさした強烈なメッセージに議場は静まり返った。

「皆さん、何か忘れてはいないでしょうか。人々に働きかけることの大切さです。私の国では高等教育では、女性のほうが男性よりも多く学んでいます。ジェンダー平等は必要でしょうか。」

ジェンダー平等言うが易し-具体案を示せ、村を見ろ

手元に原稿はない。自分の言葉で語りかける彼の言葉は、一言一言に重みを感じる。そして彼は続ける。

「私は先日70歳になった年寄りです。私の村では、女性を叩きのめすことすら出来ない男性は、真の男として認められません。そういった風習がまだ残っています。これが現実です。政策を作ることは簡単でしょう。法案を議会に提出して、可決することも簡単でしょう。ジェンダー平等に反対する人などいません。しかし、村で起こっている現実に取り組むことなしに、私たちは何も解決できないのです。皆さんが言うほど村の問題を解決するのは簡単ではありません。これを踏まえて、私は公的教育からジェンダー平等へ向けた改善を始めることを提案します。」

キーワードはやはり、「Implementation(実施)」だ。ジェンダー平等の議論はいつもきれいごとを並べるだけで終わってしまう。具体的に何をするのか、誰も語らないことが多い。

誰がどのように何をすることで、ジェンダー平等が達成できるのか。実務家に課せられた挑戦は大きい。

※各人の発言内容は翻訳ではなく、雰囲気を踏まえた意訳。参照する際は録画で確認頂きたい。

さらに読む

持続可能な開発目標(SDGs)が採択-キーワードは?

2015年9月25日11時。

持続可能な開発目標(SDGs)が採択されたとき、私はその議場にいた。

歴史の1ページに刻まれる瞬間にその場所にいたことは感動的なことだろう。しかし、むしろ、開発援助に携わるものとして、その瞬間は歓喜というより、スタートラインにたったときの緊張に近いものだった。

遥か前方でWe are the Oneを熱唱するシャキーラも、マララ・ユスフザイの力強い演説に熱狂する観衆も、全てが耳に入らない。

この15年間、自分には何ができるか。実施機関として、実務家として、研究者として。頭の中を駆け巡るいくつものシナリオ。どのシナリオにリアリティを見出せるかで、今後の自分の歩む道が変わっていくことになる。

採択の直前に行われたパン・ギムン国連事務総長の演説で、たった一言だけ頭に残っている言葉がある。

“Implementation(実施)”

どのメディアも取り上げないだろう。何も特筆するような言葉でもない。ましてや強調された文脈にもない。さりげなく彼が使ったその言葉が、この日一番のキーワードだった気がする。

合言葉は、”No one left behind(誰も置いてけぼりにするな)”。メディア受けするこの言葉よりも、私のような開発関係者にとっては、前者のほうが重い言葉に聞こえるのではないだろうか。

今日がスタート。これからが実施部隊にとっての本番なのだ。

Author: The Povertistの編集長。アジアやアフリカでの開発援助業務に従事する貧困問題のスペシャリスト。貧困分析や社会政策を専門とし、書籍・論文も執筆。

持続可能な開発目標(SDGs)の広報資料がアツい!

国連がSDGsの広報マテリアルを無料配布

持続可能な開発目標(SDGs)の採択を控え、仕事の遅いことで有名な国連もいよいよ本気モード。さすが寄付金集めのプロ集団だけあって、キャッチーな広報資料を無料配布している。せっかくなので、広報マテリアルから見るSDGsのポイントをおさらいしてみたい。

それぞれのポスターはキャッチフレーズとともに、2015年がどういう年かを端的に表している。それではいってみよう。

不平等との戦い

女性・女児の生命の尊厳の獲得

今こそ、野糞に別れを告げるとき

女性・女児のエンパワーメント

救えたはずの母子の命をもう失わない

もう夢じゃない、すべての人へ医療保健を現実に

マラリア・エイズ・結核にさようなら

キレイで安い電気をすべての人々へ

キレイな海を(イルカはおまけ)

ごみを減らす、再利用する、リサイクルする

次の世代のために地球を守る

明るい未来は若者の手で

いかがだろうか。網羅的すぎる?そうした印象を持たれた方は、SDGsを正しく理解しているといってよいかもしれない。MDGsに比べてはるかに多くの課題が含まれているのがSDGsと言うわけだ。なお、直訳は意図しておらず、意訳が相当含まれる。

Author: The Povertistの編集長。アジアやアフリカでの開発援助業務に従事する貧困問題のスペシャリスト。貧困分析や社会政策を専門とし、書籍・論文も執筆。

持続可能な開発サミットが開幕-SGDs採択へ

持続可能な開発サミット(Sustainable Development Summit)がいよいよ開幕。9月25日~27日は歴史的な3日間となる。持続可能な開発目標(SDGs)が採択され、国際開発に関わる者にとって今後15年のスタートラインとなる。15年前のMDGsの時には考えられなかったことかもしれないが、今回は全世界でウェブ中継が行われる。非公開イベント以外は基本的にウェブで生中継が見れる。

プログラムはこちらから。あなたも歴史の証人に!