外部メディアに掲載された記事の一覧です。

Africa Quest.com-アフリカに挑戦する日本人の為のニュースメディアを知っていますか?

AFRICA QUEST . COMとは?

Africa-Quest.comというサイトをご存知でしょうか?キャッチフレーズはズバリ、「アフリカに挑戦する日本人の為のニュースメディア」。

The Povertistで他のニュースメディアを紹介することはあまりないのですが、今日は名ばかり編集長のワガママということで、お許しください。「編集長コラムを私物化するな」と怒らないでください。また明日からは真面目に開発と貧困について書いていきますので。

さて、本題に戻ります。実は、Africa-Quest.comというメディアを数か月前から個人的にフォローしています。誰にも教えたくなかったのですが、私が秘密にしていても、これからどんどん大きくなっていくであろう開発分野のオンラインメディアだと思いますので、紹介しようと思うに至りました。

まず、サイトの趣旨を見ています。

アフリカに関するエンタメ情報やビジネスニュースを発信するニュースサイトです。実際にアフリカ滞在経験のあるライター陣が毎日、アフリカの”今”をおとどけています!「日本人の力でアフリカにソーシャルインパクトを起こす」をビジョンに、アフリカに挑戦する際に役立つ情報を(旅行、ビジネス、スポーツ、エンタメ)をお伝えします!

アフリカで活躍する人や滞在経験のある方が執筆しているだけあって、内容はタイムリーかつ、現場のリアリティに溢れています。アフリカ好きによるアフリカを好きになってもらうためのメディア、というのが私の印象です。アフリカの仕事をしていた私にとっても、日本語で「アフリカの今」に触れることができるのはうれしいものです。

そして何よりも、その更新頻度が凄まじいものがあります。10人を超えるライターが、一ヶ月に60本の記事をあげており、まさしくメディアという肩書がふさわしいサイトとなっています。

今最も勢いのある開発途上国を扱うメディアです。今後も目が離せません。

 

開発途上国を扱うメディアが増えています

Africa Quest . com、トジョウエンジンアセナビGanasなど、私も読者として楽しませて頂いています。開発途上国を扱うメディアが増えていることはとても良い流れだと感じています。

開発途上国に関心を持つ人が増えること。そして、そうした方々が実際に足を運んで、現地の人と会い、言葉が通じなくとも同じ時間を共有することで新しい価値観に触れることができます。

そういった過程を経て、相互の理解が進み、助け合う関係が気付けるのだと思います。このサイクルを少し後押しするのが、こうしたメディアの役割であり、目指すところなのかと感じています。

The Povertistは、そこからもう一歩進みたい方を後押しします。「開発途上国の国造り」に携わっているライターが、自らの経験と専門分野を生かした記事を書くことで、「途上国への関心」から「途上国の国造りへの関心」へ橋渡しをしたいと思っています。

書くことに関心のある実務家の方からのご連絡をお待ちしています。また、読者の皆様におかれては、引き続きよろしくお願いします。

 

※Africa quest.comの「中の人」にThe Povertistをご紹介いただきました。ありがとうございました。

中央アジアの社会保障と子供の貧困に関する報告書をユニセフが発表

「効果的な社会保障制度に注力することで、経済・社会から取り残された子供たちが受益する」

UNICEFは中央アジア・コーカサス・東欧地域の30カ国を対象に、社会保障が子供の貧困に与えるインパクトについて調査研究を行った。報告書では、貧しい子供たちが抱える経済・社会的課題を分析し、社会政策がどのような役割を果たすことができるか(果たしているか)についてまとめている。

ここで言う社会保障(Social Protection)は、現金給付、保健・教育アクセスのための補助金、カウンセリング、ソーシャル・ワーク、育児休暇を対象としている。

報告書によれば、20年前の状況と比べ、相対的に子供を取り巻く環境に改善は見られるものの、社会保障の保護対象となるべき家庭・子供の多くが未だに取り残されているようだ。

こうした状況を受けユニセフは、子供の貧困の観点から社会保障制度改革に関する政策提言を行っている。

 

参照:Invest in better social protection for the most disadvantaged children

ルワンダの社会保障制度が貧困削減に貢献

国連食糧農業機関(FAO)の調査報告書によれば、ルワンダの社会保障イニシアティブ(Vision 2020 Umurenge Programme: VUP)が貧困と貧困に陥るリスク(脆弱性)の軽減に貢献している。

VUPはルワンダ政府が年間約210億円を投じるのフラッグシッププログラムで、公共事業、現金給付、金融へのアクセス、他の社会サービスを包括的に提供するもの。

受益者の多くは、VUPによって生活水準が改善されたと実感しているようで、国家経済の底上げに貢献することが期待される。

今後の課題は、貧困の罠から脱却した人々が、経済的に自立し、経済構造転換の大きな流れに貢献していくことができるかにありそうだ。

 

参照:Rwanda: Strengthen Social Protection Schemes – All Africa

農村部の賃金増がインドの貧困を削減

2005年から2012年にかけて、インドでは急速に貧困指標の改善が見られた。

世界銀行が行った分析によれば、労働収入の急増が大きな要因のようだ。特に農村部の単純労働者の賃金増加と収入源の多様化による貢献が大きい。送金や社会保障制度も要因の一つと見られるが、調査対象機関における主たる要因ではなかったようだ。

一方、劇的な貧困の改善にもかかわらず、特定のグループでは、生活水準の改善が見られなかった。また、貧困削減は進んだものの、貧困に陥るリスクを抱える人々(脆弱層)の割合には変化は無かった。

今後の課題は、絶対的貧困の削減だけではなく、貧困状態を脱却した人々が再び貧困へ陥るリスクをどう軽減するかにかかっているようだ。

 

参照:Salazar et al. (2016) Why did poverty decline in India? a nonparametric decomposition exercise.

日本のODAに対する国際的評価と開発途上国による評価

開発援助の仕事をして久しいが、国際的には評価されなくとも、日本の援助について悪く言う開発途上国の人々に出会ったことは一度もない。日本の援助は良かった。日本のファンだ。そういってくれる人々が開発途上国には本当に多い。青年海外協力隊(JOCV)と一緒に活動を共にした人。日本国内で開催される研修へ参加した官僚。日本の文化や産業、日本人の心に触れたことがある人々が開発途上国で重責を担っているケースは本当に多い。

こうした事業は人とのつながりによって生まれるものであり、定量的に評価できないことが多い。エビデンスベースのアプローチが隆盛を極める中、定量的に計測できないこの手の事業は地味であり、「わかりにくい」とされる。また、こうした地道な技術協力は、人道支援とは異なり、派手な「絵」が撮れないことから報道もされない。

国際的に評価されることと、開発途上国のためになることの間には大きなギャップがあるのかもしれない。

日本はこれまで国際的なトレンドを気にせず、開発途上国のためにやるべきことを純粋にやってきた。国益や国際的な評価などは二の次。そういった下心の無いところが、他のドナー諸国と異なった日本の援助の特徴となり、異彩を放ってきた。事実、開発途上国の評価は高い。

新ODA大綱の中で日本は、国益を前面に打ち出した。日本がこれまで築いてきた下心の無い純粋な開発援助は続けられるのか。日本がこれまでのようにやるべきことを見失わず、ピュアに途上国のためになる事業を展開していくことはできるのか。

国内外の評価はいつの時代も賛否両論あるが、誰のために何をすべきなのか、見失ってはいけない価値が普遍的に存在することは言うまでもない。

日本が国際開発コミュニティに馴染めない理由

なぜJICAのプレゼンスが国際的に低いのだろうか?

Moto going Fast, Phnom Penh
Photograph: Ippei Tsuruga

開発援助業界において、日本のプレゼンスが低い。そう言われたことはないだろうか。日本がトップドナーであるアジアで仕事をしている方は感じたことがないだろう。アフリカやラテンアメリカで活動している方も、「プレゼンスは低いが認知されている」と感じるのではないだろうか。これがヨーロッパや、ましてやアメリカへ行くと、活動の認知度はほぼゼロとなる。

国際協力機構(JICA)で勤務する中で、先進諸国の実施機関、シンクタンク、国連機関と仕事をしてきたが、「JICAって何?」「日本は何をやっているかわからない」と言われることが多々あった。その度に活動の説明をするわけだが、少しずつ、国際開発コミュニティに日本が馴染めない理由が見えてきた。

専門性の深化など、克服しなければならない課題はたくさんあるが、ここではコトバの問題に焦点を絞って考えてみたい。

 

言語ではなく、コトバの問題

このトピックで議論すると日本の関係者からは、「語学力の問題」という声が多くあがる。たしかにそれも一理あるが、もっと大きな問題はコトバの違いにある。英語と日本語の違いではなく、専門用語の定義や概念の違いだ。

たとえば、国際保健の文脈で、日本はユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)を推進しようとしているが、国際的には社会的保護(Social Protection: SP)の分野に含まれると考える人も多い。UHCの本質は、貧困層へ保健サービスのアクセスを保障することであって、コミュニティヘルスや医療保険の拡充が具体的な活動の柱となる。一方、医療保険を含む、貧困層の社会サービスへのアクセスに資する給付プログラムは、SPで議論されることが多い。重複部分と重複しない部分を明確に説明できれば、開発コミュニティの理解が得られるだけでなく、SP分野との有益な連携も生まれることだろう。もちろん、世界保健機関(WHO)や世界銀行の国際保健分野の仲間内の議論であれば問題ないが、相手を見極めてコトバを使い分ける必要がありそうだ。

また、産業開発の文脈では、日本はKAIZENを広めようとしているが、英語で説明する場合にはTQM(Total Quality Management)といったほうが理解を得やすい。厳密にいえば異なる概念だが、ひとまずTQMから説明をスタートして、KAIZENはそれとどう重なり、どう異なるのか説明することで理解が得られる。

民間企業との連携についても、コトバの壁を感じる分野だ。日本で企業連携といえば、官民連携(Public Private Partnership: PPP)という用語を使い、公的機関と民間が連携してインフラ整備を行ったり、BOPビジネスを公的機関が支援したりすることをイメージする。一方、アメリカでは、民間企業との協力に関するキーワードはイノベーションだ。「開発における民間企業の役割」という会議へ出て、全く議論がかみ合わないと感じたことがあれば、このコトバの問題が理由かもしれない。

 

「人間の安全保障」は理解されているのか?

最後に、日本が長らく開発援助の主軸にしてきた人間の安全保障(Human Security)を考えてみたい。国際政治学や人道支援分野ではある程度認知されているかもしれないが、開発援助コミュニティではほぼ認知されていない。開発援助の文脈で人間の安全保障が使われるのは「欠乏からの自由」の観点。つまり、経済的な不自由、貧困からの脱却を意味する。似たような概念で、人間開発(Human Development)、包摂的成長(Inclusive Growth)、内包的開発(Inclusive Development)がある。人間の安全保障を専門としている方から「厳密には定義が異なる」と言われたことがあるが、多くの実務家は厳密な定義など気にしていないことの方が多い。実際、人間の安全保障というコトバを使うと、上記の3つとほぼ同じ意味で受け取られることが多い。

 

コトバの壁を克服すれば日本の開発援助は国際舞台でデビューする

このように、同じ分野で同じ目標に向かって活動しているにもかかわらず、使うコトバが違うことによって議論が噛み合わない場面を多々見てきた。

「定義や概念を日本が作り、リードするのだ!」という気概は否定しない。しかし、多くの場合、コトバの定義や概念は、国際機関や欧米諸国によって決められるのが実態だ。影響力の強いこれらの機関が決めるコトバと、日本が独自に生み出した概念にどのような重複と棲み分けがあるのか。日本側が相手の概念を理解したうえで説明しない限り、日本の国際的プレゼンスは向上しないだろう。逆に言えば、コトバの壁を克服すれば、日本のきめ細かな開発援助が国際舞台に華々しくデビューする日も然程遠くはないと感じる。

共同研究のススメ-開発援助の実務と研究の連携

実務家と研究者が開発を議論する際の課題-実務家の視点

共同研究が世界を変える。研究者同士の共同研究のことではない。研究者と実務家が計画から出版まで、対等な立場で取り組む共同研究だ。過去数年間、国際協力機構(JICA)の仕事を通じて、援助の実施機関にいながら、研究機関と共同研究を行う機会を多く得ることができた。その中で感じたことは、実務家と研究者の隔たりはまだ根強いが、協働することが求められつつあるという時代の流れだ。

JICAはエビデンスに基づく事業展開の必要性を認識し、2008年にJICA研究所を設立した。これによって実務家と研究者が同じ土俵で意見をぶつけ合う場が出来上がった。私は主に、海外の研究機関との共同研究を担当してきたので、今回はその経験から感じた現状と課題をご紹介したい。

課題を一言でいえば、重視するポイントの違いと能力のギャップだ。

古い研究者は実務を雑務と、古い実務家は研究を机上の空論と呼ぶ

まず、重要と考えるポイントに違いがある。実務家は研究の価値を理解できないことが多く、研究者は実務を理解していないことが多い。たとえば、研究論文の場合、過去の文献を引用して概念枠組み(Conceptual Framework)を作り、それに基づいて調査・分析・ケーススタディを行う。しかし、この概念枠組みは、多くの実務家が「机上の空論」とみなしていることが多い。さらに、研究者が使う言葉も、実務家にとっては聞いたことがないような「お経」に聞こえることが多い。

研究者の中にはこれを「実務家の不勉強」と切り捨てる人もいたが、私が出会った一流の研究者は平易な言葉で難しいことを説明する努力と技術を持っていた。たとえば、ノーベル経済学賞を受賞したジョセフ・スティグリッツ教授は、誰が聞いてもわかる言葉で議論を展開する。だからこそ、出版する書籍がすべてベストセラーとなるのだろう。実務家も研究者が使う言葉や理論を理解するよう努める必要があるが、研究者からの歩み寄りも必要だ。

時間の考え方も異なる。多くの研究は、タイムリーに分析結果を得ることができない。実務家が求める分析は、多少「雑」であっても、そこそこの説得力があればそれでよい。とにかく、必要な時に直ぐに手に入る成果なのだ。研究論文の場合、計画から成果まで3年~5年を要するものが多く、結果が出なければ案件期間が延長されることも多い。実務家が必要とするタイミングで結果が得られなければ、研究が実務へいかされることはない。実務家にとってタイムラインは死活問題で、遅れることは許されないが、研究者は早さより質を重視する人が多い気がする。

重きの置き方にも差がある。研究者は理論や分析手法が正しいかどうかに重きを置くが、政策提言の部分が極めて弱いことが多い。誤解を恐れずに言えば、多くの実務家にとって、理論や分析手法はどうでもよく、万人が理解できる平易なデータやロジックがそこそこ信頼できるソースから得られれば、それを使う人が多い。手法よりも政策へどう生かせるかが重要なのだ。

実務家は研究能力に課題があり、研究者は実務能力に課題がある

当たり前のことだが、実務家は研究能力を身に着け、研究者は実務能力を磨く必要がある。そうすることで、研究者と実務家が互いに歩み寄り、対等な立場で議論することができるようになるはずだ。小さい話をすれば、実務家と研究者が双方に「先生」と呼ぶ時代が来ると良いと感じる。現状では、実務家は研究者を「先生」と呼ぶ一方、研究者は実務家を「先生」とは呼ばない。ひどい場合には、実務家が研究調整を行い、研究者の身の回りの世話をすることがある。

実務家と研究者の間のギャップを埋めるためには、研究者がマネジメントと事務手続きを一人でこなすことができるようになる必要がある。一方、実務家は、概念枠組みを作って、分析する知見を習得する必要がある。しばしば、実務家の作業を『雑務』と考えている研究者に出会うことがあり、「マネジメントや事務手続きに無駄な時間を取られて研究に集中できない」と言われることがあった。それは実務家にとっても同じことで、『雑務』をこなしながら研究技術を身につけなければならない時代になっている。間違っても、研究者が自分の身の回りの事務手続きをできないからといって、実務家が雑務を肩代わりしてはならない。大切なことは、どちらか一方ではなく、双方が歩み寄ることだ。

今後、エビデンスベースの事業展開が今まで以上に求められることとなる。それは、実務家と研究者が強力なタッグを組む時代の幕開けを意味し、両方をバランスよくこなすことができる人材が求められることとなる。実務家はマネジメントと事務手続きだけでは不十分で、研究者は一部の学者しか読まないジャーナル投稿を考えるだけでは不十分な時代がくる。研究者が認める手法でモニタリング・分析し、エビデンスをベースに事業展開・改善を行っていくためには、実務家と研究者が共同研究を通じて学びあう必要がある。

戦争も知識は奪えない

2年に一度、国を跨いで引っ越しを繰り替えしていると、自然と身の回りのものが少なくなっていく。世間ではノマドという言葉が流行っているようだが、何も格好つけてやっているわけではない。

ショッピングへ出かけても、「どうせ引っ越しで持っていけないのだから買わない」ということが多くなる。そうしているうちに、捨てることを前提に買い物をするようになって、不要なものは身の回りから消えていく。

結局最近では、引っ越しの時はスーツケース2個に全財産が収まるようになった。生活必需品を厳選して持ち歩くとモノが減っていくのかもしれない。

 

「なぜ、子供の教育が大切だと思うのですか?」

スーツケースに荷物を詰めていると、必ずいつも思い出す話がある。カンボジアで聞いた話だ。

カンボジアの貧しい家庭では、子供の教育以外にもお金を使いたい部分は山ほどあるはずだ。

それにもかかわらず、誰に話を聞いても、必ず教育が最も大切だという。

それで聞いてみたのがこの質問。答えは核心に迫るものだった。

 

「戦争も知識は奪えない」

長い内戦を経てカンボジアの人々は、たくさんのものを失った。

戦争が起きれば家やモノは全て置いて逃げなければならず、国の経済もボロボロになる。

その結果、自国の通貨も信用できず、カンボジアで流通する貨幣はいまだに外国通貨(米ドル)がほとんどだ。

こうした歴史を経て導き出された答えが、「知識は何があってもなくなることはない」というものだった。

質の高い教育を受ければ、何があっても、家族を養っていける。

何気ない会話の中で交わされた言葉が、強く脳裏に焼き付いている。

今年中に世界の貧困がゼロとなることが判明

The Povertistは、途上国の開発と貧困問題の専門誌としてビジョンとミッションを掲げて発信してきましたが、今年中に世界の貧困がゼロになることが判明したので今日でサイト閉鎖します。

本当にそう宣言することができる世界がやってくることを祈って、2016年4月1日のエイプリールフールネタとしたいと思います。今日からから15年。開発途上国の仕事に携わる私たちとしては、節目の4月1日です。

ネタにつられてクリックしてしまった皆様、ご愛嬌ということでお許しください。フォローをやめてしまった皆様、是非フォローしなおしてください。

The Povertistは明日からも引き続き発信していきますので、引き続きよろしくお願いします。

 

参考: 国際機関が「貧困撲滅を達成した」と発表(2014年4月1日エイプリールフール投稿記事)

4月1日早朝、国連貧困撲滅委員会(United Nations Poverty Eradication Committee: UNPEC)が「貧困撲滅が達成された」ことを驚きとともに発表した。同委員会高官はジュネーブでのインタビューで、貧困撲滅が大きく前倒しで実現した理由を次のように語った。

「経済成長と所得再分配に関する政策が想定を上回るスピードで貧困削減を推進した。ただし、それらの要素よりも、我々が行った事業の効果が大きい。」

同委員会は昨年の世界的な好景気に乗じて、金融市場での余剰資産運用によって1,250億ドルの利益を計上した。これを原資として『Cash fro All the Poor (CFAP)』と呼ばれる現金給付プログラムを展開していた。同プログラムは、1.25ドル以下で暮らす世界中の貧困層を対象に均等に現金給付を行うもので、条件などは一切付さない。上述の高官によれば、「このプログラムの効果によって、足元の貧困率は0パーセントになった」と言う。

The Povertistのケニア特派員は現地の様子を次のように伝えた。

「ウフル・パークには、この素晴らしい瞬間を祝うために、1万人の群集が詰め掛けています。ここにいる全ての人々が笑顔で、この瞬間を祝い、未来の繁栄を願っています。」

不都合な真実

同委員会は同時に不都合な真実も伝えた。

「我々は貧困撲滅を受け、120万人の貧困削減専門家の契約を延長しないことを決定した。貧困が無くなった今、専門家を雇用する意義が無くなった。」また、開発学で有名な大学では修士課程のプログラムを閉鎖が相次ぎ、貧困削減分野で有名な研究機関の閉鎖も伝えられた。

貧困削減専門家はこれまで世界の貧困削減に真摯に取り組んできたが、彼らは今皮肉にも新しい職を探さねばならない。若手貧困削減専門家のジョー・クドウは複雑な気持ちを語っている。「貧困の撲滅は僕の小さい頃からの夢でした。ですから、今回の発表には喜ぶべきかもしれません。しかし、僕はこれからどうやって自分の家族を養っていくべきか悩んでいます。」

南からの支援

アフリカや東南アジアのリーダーは、こうした貧困削減専門家の苦難に応えようとしている。途上国の政府高官で構成される使節団は2時間前次のように語った。

「職を失った専門家のために、プールファンドを設置する用意がある。これはこれまで我々の国の人々に尽くしてくれた彼らの努力への恩返しだ。ファンドは明日、彼らの個人口座に退職金を振り込むこととなる。」

同使節団は次のように続けた。

「この退職金は条件付現金給付であり、条件を付ける。受給者はこの条件に見合った結果を示す必要があり、それを満たされなければ今後の支払いは行われないだろう。」

スウェットショップが開発途上国の貧困削減に寄与?

労働者を搾取して生産された衣類を買うことで貧困削減に貢献する?

大手アパレル企業が開発途上国のスウェットショップ(Sweatshop)を通じて利益を上げていると批判される一方、スウェットショップを擁護する人々も多い。スウェットショップとは、劣悪な環境・条件で労働者を働かせ、貧困層を搾取する工場のこと。

2月24日、英国のシンクタンクであるアダム・スミス研究所(The Adam Smith Institute)がスウェットショップを正当化するビデオを公開し、大きな波紋を呼んでいる。ジョアン・ノーバーグ(Johan Norberg)は、「私たちがスウェットショップで作られた衣類を買うことで、開発途上国の貧困削減に寄与することができる」と主張する。

アパレル産業の集積地として注目を集めているバングラデシュやカンボジアで劇的な貧困削減が進んだことを引き合いに、同氏はこの主張を正当化している。一方、投稿された記事のコメント欄には多くの批判が寄せられている。

ディーセント・ワークの推進と取り組みが開発途上国の課題

ジョアン・バーグ氏の主張は、ある意味で正しいが、いくつかの欠陥がある。

たしかに、発展段階を考えたとき、経済の発展を通じて賃金上昇が起こるものであり、開発途上国において低賃金であることは当然のことだ。だからこそ、「現時点で低賃金であることのみを取り上げてスウェットショップを批判するのは妥当ではなく、不買運動をすることで低所得者層を対象とした雇用創出を阻害することになる」という主張はある意味で合理的な回答かもしれない。

しかし、「スウェットショップがカンボジアの貧困削減に貢献した」とする主張にエビデンスはない。コメント欄でThe Povertistの記事も引用されているが、カンボジアの貧困削減に最も寄与したのは、農村部における所得改善であり、アパレル産業が貧困の半減に寄与したとする主張は説得力に欠ける。

何が貧困を半減させたのか?

世界銀行の推計によると、米の価格上昇(24%)、米の生産性上昇(23%)、農村部の賃金上昇(16%)、農業以外の収入(19%)、都市部の賃金上昇(4%)が影響しているとのこと。米の価格は37.1%上昇し、これが農民の収入を向上させ、生産を増加させるモチベーションにつながったとの分析だ。

また、そもそも劣悪な労働環境と契約条件で大きな利益を上げる外国企業を肯定している点にも批判が集まっている。国際労働機関(ILO)が提唱する働きがいのある人間らしい仕事(Decent Work)や持続可能な開発目標(SDGs)の目標8にあるとおり、労働環境の改善はすべての国における喫緊の課題として国際的に合意されている。

貧困層を対象とした雇用の創出だけでなく、労働環境や労働条件の改善も同時に推進することが、開発途上国に課せられた課題であることに疑いの余地はない。


参考記事