外部メディアに掲載された記事の一覧です。

スティグリッツが語るアフリカの産業政策と経済構造転換

ノーベル賞が盛り上がっている。伝統的に日本は理系分野に強く、社会科学分野での受賞は少ない。特に経済学賞に至っては日本人は未だかつて受賞したことがない。先月、ジョセフ・スティグリッツ教授(コロンビア大学)が一冊の新書を世に送り出した。タイトルは、「アフリカの産業政策と経済構造転換(Industrial Policy and Economic Transformation in Africa)」。2001年のノーベル経済学賞受賞以来、スティグリッツ教授は一貫して政府の役割の重要性を説いてきた。「小さな政府」を掲げる新自由主義(ネオ・リベラリズム)に真っ向から反対し、開発途上国の経済をボロボロにしたワシントン・コンセンサスに疑問を投げかけてきた。

私がスティグリッツ教授と初めて出会ったのは、2012年11月。JICA研究所と政策対話イニシアティブの共同研究者会合の場だった。あれから3年が経過し、今回の書籍がようやく完成したことは感慨深い。

スティグリッツ教授以外の共同研究者も、各分野の第一人者ばかり。ベストセラー作家が一堂に会した、まさにオールスターゲームのようだった。それにもかかわらず、論文の執筆には加わらなかった私でさえ自由にコメントできる空間がそこにはあり、完成した書籍の謝辞の欄に僭越ながら登場させてもらった。内容もさることながら私にとって印象的な一冊となった。

思い出話はこのあたりでやめる。その代わりに書籍の内容を少し紹介したい。アフリカの開発援助にかかわるすべての人に読んで欲しい一冊だ。

アフリカの産業政策と経済構造転換をどのように実現するか?
サブサハラアフリカは1970年代後半から、「失われた25年」と呼ぶべき経済の低迷に直面した。スティグリッツ教授はこの原因をワシントン・コンセンサスに基づく経済改革の失敗にあると分析する。経済活動を市場経済に任せて政府は極力介入しない「小さな政府」。国営企業の民営化を通じて市場経済を促進する「規制緩和」。これらがアフリカ経済の低迷を招いたという立場だ。

でこそようやく年率5%を超える経済成長を達成しているものの、資源価格の高騰によるところが大きく、経済構造の根本的な転換は進んでいない。そのため、アフリカ全体で見れば一部の資源国が経済成長を牽引している状況であり、産業空洞化の解決の糸口は見えない。

この状況を踏まえ、本書は「ルワンダとエチオピアのケースから、アフリカ諸国は学ぶことができる」と主張している。資源のない(資源に頼らない)経済構造を模索し、産業の良いサイクルを生みだしている国だ。ルワンダは情報通信(IT)を自国産業と位置付け、学校教育で使用する言語を仏語から英語へ変更してまで、ITに強い人材育成を試みている。海運に恵まれない開発に不向きとされる陸の孤島が、アフリカの中心で一際輝きを放っている。また、エチオピア政府も産業政策に力を入れ、日本の教訓(カイゼン等)を積極的に取り入れるなど経済構造転換を図っている。

スティグリッツ教授は次のように語る。「経済成長を持続するためには、経済構造転換が不可欠。そのためには、政策立案者はワシントン・コンセンサスに対するイメージを払拭しなければならない。ワシントン・コンセンサスは教育の役割を過小評価し、改革の速度・優先順位・実施能力を軽視した。その一方で、市場経済の拡張と効率化を急速に推し進めることばかりに注力した。その結果が、失われた25年だ。」

経済成長に役立たずだったワシントン・コンセンサス
本書はこうした論調で始まり、農業、産業、財政、社会資本、ガバナンスなど、様々な視点から分析を試みている。特に最終章は面白い。ジュリア・ケイジ助教授(パリ政治学院)の「政策パフォーマンスの計測-世界銀行よりましな手法はあるか?」だ。

世界銀行が取り入れている国別政策・制度評価(Country Policy and Institutional Assessment: CPIA)は、ガバナンスの評価指標として世界中で最も影響力のあるデータだ。しかし、ケイジ助教授は、「CPIAは将来の経済成長を予測するための指標として不適切であり、政府の役割と能力にもっと重きを置いた指標とすべき」と分析する。世界銀行の政策評価はデタラメだったというわけだ。

この分析は本書の多くの見解をサポートするものである。ワシントン・コンセンサスに習った政策は経済成長・開発・経済構造転換を促進しないということだ。

イノベーションとカイゼン―アフリカはどちらを必要としているのか?

イノベーションが熱い。イノベーションは今、開発援助関係者の間で注目度ナンバーワンのトピックとなった。実務家、研究者、ビジネスパーソン、誰もがイノベーションという言葉を使い、その響きに魅了されている。英語では「Change the Game(ゲームを引っくり返せ)」が合言葉となった。9回裏2アウト。開発途上国はサヨナラホームランを狙うホームランバッターの登場を待ち望んでいる。イノベーションは昨日までの世界秩序を一瞬で変える魔法のようなものだ。開発途上国が先進国に追いつけ追い越すために、期待を一身に受けているのがイノベーション。画期的な技術革新とアイデアだ。

だが考えてほしい。開発と貧困削減のために、イノベーションは本当に必要なのだろうか。イノベーションがなければ目標を達成できないのだろうか。大きな疑問が残る。

もちろん、革新的な技術が重要な役割を果たしてきたことは否定しない。M-PESAは、携帯電話を活用したモバイルバンキングを広め、ケニアの貧困層へ金融サービスを届けた。フェイスブックとユーテルサットの衛星通信もアフリカの奥地へインターネットを届ける素晴らしい試みだ。こうした民間企業の取り組みはとても心強く、個人的にも期待感を抱いている。

イノベーションは宝くじのようなもの

私の心配は、政策立案者や開発援助従事者がイノベーションに注力しすぎることだ。技術革新を切望することは夢のあることだが、いつ当たるかわからない宝くじを待つようなもの。いつ何時、どのような技術やサービスがアフリカに提供されるか、誰もわからないのである。

民間セクターがゲームを引っくり返すようなイノベーションを生もうと努力しているあいだ、公的セクターは経済の土台を作るべく産業政策に力を入れるべきだろう。開発パートナーは開発途上国政府のそのような努力に寄り添い、サポートしていく必要がある。

イノベーションとカイゼンの違いはどこに?

先日、ニューヨークで行われたセミナーでジョセフ・スティグリッツ教授(コロンビア大学)は、「アフリカの将来を考えたとき、経済構造転換と産業政策が重要である」と見解を示した。その上で、「アフリカは日本の経験から多くを学ぶことができる」と付け加えた。日本の経験とは何を指すのだろうか。日本の産業政策と経済成長を支えたアプローチ「カイゼン」に他ならない。

カイゼンは文字通り「改善」のこと。日々の小さな問題に気付き、明日の自分に改善を促す。日本人にとって当たり前のことが、世界では「KAIZEN」として注目を集めている。

イノベーションが一人のカリスマと新しい技術によって生み出されるのに対し、カイゼンはどちらも必要としない。たった一人で、何も使わず、革命を起こすことができる。それがカイゼンの極意だ。一人一人がカイゼンを実施すれば、国民すべてが変革の立役者となる。

カイゼンの大きな特徴は、誰もが実践でき、誰もが結果を実感できること。それが一人一人のモチベーションとなる。技術も資源もいらない。焼け野原だった日本が生み出したアプローチ、カイゼン。だからこそ、無い無い尽くしのアフリカ諸国でさえ、その気になれば明日から始められるのである。

カイゼンは開発途上国にどのような影響を与えられるのか?
カイゼンは5つの”S”から成り立っている。整理、整頓、清掃、清潔、躾。日本人にとっては、いたってシンプルなコンセプトだ。

5つのSに基づいて、工場労働者は日々業務改善を求められる。病院でもオフィスでも同じだろう。日々の反省が業務の効率化につながるのである。

たとえば、一日の作業の終わりに身の回りの整理整頓を行うとする。そうすれば翌朝出勤したときに、何がどこにあり、何から手をつければよいか、迷わずに済む。床の掃除だって同じことだ。身の回りをきれいにしておけば、誰もが気持ちよく働くことができる。これらのカイゼンの結果、生産性の向上と効率化が見込める。日本人にとっては当たり前のことだ。

しかし、日本を一歩出るとカイゼンへの理解は非常に乏しい。カイゼンが利益に直結するものではないからだ。ゲームを一瞬で引っくり返す力はカイゼンにはない。そのため、イノベーションの魅力に取り付かれた人々にとって、カイゼンは数字に表れないつまらないものなのだろう。

だが、トヨタを見てほしい。日本の高度経済成長を支え、世界一の自動車メーカーとなった。そのトヨタが実践してきたアプローチがカイゼンであることを忘れてはならない。

カイゼンのよいところは、誰もが実践でき、一人一人が変化を実感できること。それが業務改善の好循環を生み、強い経済構造の土台を作るのではないだろうか。

カイゼンはイノベーション無き発明である
カイゼンは日々の小さな発明である。新たな技術を要さない発明だ。一人一人が主体となり、社会と国家の産業育成に貢献できるアプローチだ。

私は開発業界で仕事を始めるまで、カイゼンがそれほどすごいものだと思ったことは無かった。どちらかと言えば、「つまらないもの」と感じていた。

しかし、アフリカの援助にかかわるようになった今、カイゼンが日本人の根底にあるスピリットであり、日本の経済構造の根幹を支えていると感じる。

資源も技術もないアフリカの国々が日本から学べるものは何か。今となっては自信を持って答えることができる。

カイゼンの精神である。

開発途上国の貧困の定義と計測方法のまとめ

※この記事は2015年10月に書かれたものです。別の記事で貧困指標についてアップデートしましたので「開発途上国の貧困の定義と計測方法のまとめ(2016年5月3日掲載)」も併せてご覧ください。

世界銀行が貧困ライン(国際貧困線)の定義を1.25ドルから1.90ドルへ変更すると発表した。これまで、開発途上国の貧困率を計測する際に、1日あたり1.25ドル未満で生活する人々を絶対的貧困層としてきた。しかし、今後は1.90ドル未満で生活する人々を貧困層とみなすこととなる。

なぜ1.25ドルから1.90ドルへ?

そもそも、1.25ドル貧困ラインは2005年の購買力平価(各国の物価の違い)を考慮して設定されたものだ。つまり、2005年の物価水準で、食糧や生活必需品を購入することができる最低ラインを貧困ラインとしてきた背景がある。

しかし、過去十年で世界経済は成長を遂げ、開発途上国でも物価上昇が著しい地域も現れてきた。そうした地域の住民は、もはや1.25ドルでは最低限の生活を営むことができなくなった。1.25ドルで計算される貧困率が実態に合わなくなってきたと言うわけだ。

そこで今回、世界銀行は1.90ドルに引き上げることとしたわけである。1.90ドルの根拠は、2011年の物価水準にある。つまり、2005年の最低限の生活水準を営むには、2011年には1.90ドル必要ということだ。

世界の貧困率が史上初めて10%未満に

世界銀行は同時に、2015年の世界の貧困率が9.6%まで改善する見通しを示した。この推計によれば、2012年との比較では12.8%から3%改善し、人口で見ても貧困層は9億人から7億人へ減少する。

持続可能な開発目標(SDGs)が掲げる「2030年までに貧困を撲滅する」ことに関し、世界銀行は「3%まで減少させることは可能」としてきた。世界銀行のプレスリリースを見る限り、今回の貧困線引き上げに伴う「前言撤回」はないようだ。

開発途上国の貧困率の比較には、1.90ドルが今後使われることになるだろう。そして、世界の援助関係者は、2030年までに1.90ドル未満で生活する人々をゼロにすべく、動き出すこととなる。


参考情報

ジェンダー平等と女性のエンパワーメントへの挑戦

ジェンダー平等はスローガンで終わってよいのか?どのように実現するか?具体的に考えて行動に移すことが重要ではないか?このような当たり前のことに、世界のリーダーが気付かされた一幕があった。

持続可能な開発サミット-ジェンダー平等に拍手喝采

9月25日、持続可能な開発サミット(Sustainable Development Summit)の初日。持続可能な開発目標(SDGs)が採択され、興奮冷めやらぬ中行われた討論会だ。『Tackling inequalities, empowering women and girls and leaving no one behind – Interactive Dialogue 2』と題して開催されたこの会議は、先進国、開発途上国、国際機関、市民団体、民間企業のリーダーが、「SDGsでジェンダー平等について、いかに取り組むべきか」議論を交わす場となった。

まず、共同議長を務めた、ケニヤッタ大統領(ケニア)が3つの質問を投げかける。

  • 女性と若年層に対する不平等の問題にいかに取り組むべきか。
  • 女性と若年層に対する暴力へいかに対処すべきか。
  • 女性と若年層の金融へのアクセスと平等な社会の実現には何が不可欠か。

もちろん、ジェンダー平等に対してネガティブな意見を述べる者は少なく、たびたび拍手が沸き起こる一方的な展開となった。各国のアプローチについても言及され、「政策レベルで何を行っていくつもりなのか」を宣言する会合となった。

例えば、ダビド・グンロイグソン首相(アイスランド)は、重要な視点として3つの政策的アプローチを挙げた。所得格差、政策決定プロセスへの女性の参画、ジェンダー平等に対する男性による後押し。これらへの取り組みが重要であり、ジェンダー平等の達成の必要条件との意見だ。

ジェンダー平等は必要でしょうか?-水を差したレソト首相

ところが、会議の中盤に雰囲気が一変した。

ムランボ-ヌクカ事務局長(国連女性機関:UNWOMEN)が「国連女性機関はジェンダー平等に精一杯取り組んでいく」と力説した直後、それは起こった。

拍手喝采が納まりきらない中、モシシリ首相(レソト)の演説が静寂を生んだ。見事に水をさした強烈なメッセージに議場は静まり返った。

「皆さん、何か忘れてはいないでしょうか。人々に働きかけることの大切さです。私の国では高等教育では、女性のほうが男性よりも多く学んでいます。ジェンダー平等は必要でしょうか。」

ジェンダー平等言うが易し-具体案を示せ、村を見ろ

手元に原稿はない。自分の言葉で語りかける彼の言葉は、一言一言に重みを感じる。そして彼は続ける。

「私は先日70歳になった年寄りです。私の村では、女性を叩きのめすことすら出来ない男性は、真の男として認められません。そういった風習がまだ残っています。これが現実です。政策を作ることは簡単でしょう。法案を議会に提出して、可決することも簡単でしょう。ジェンダー平等に反対する人などいません。しかし、村で起こっている現実に取り組むことなしに、私たちは何も解決できないのです。皆さんが言うほど村の問題を解決するのは簡単ではありません。これを踏まえて、私は公的教育からジェンダー平等へ向けた改善を始めることを提案します。」

キーワードはやはり、「Implementation(実施)」だ。ジェンダー平等の議論はいつもきれいごとを並べるだけで終わってしまう。具体的に何をするのか、誰も語らないことが多い。

誰がどのように何をすることで、ジェンダー平等が達成できるのか。実務家に課せられた挑戦は大きい。

※各人の発言内容は翻訳ではなく、雰囲気を踏まえた意訳。参照する際は録画で確認頂きたい。

さらに読む

持続可能な開発目標(SDGs)が採択-キーワードは?

2015年9月25日11時。

持続可能な開発目標(SDGs)が採択されたとき、私はその議場にいた。

歴史の1ページに刻まれる瞬間にその場所にいたことは感動的なことだろう。しかし、むしろ、開発援助に携わるものとして、その瞬間は歓喜というより、スタートラインにたったときの緊張に近いものだった。

遥か前方でWe are the Oneを熱唱するシャキーラも、マララ・ユスフザイの力強い演説に熱狂する観衆も、全てが耳に入らない。

この15年間、自分には何ができるか。実施機関として、実務家として、研究者として。頭の中を駆け巡るいくつものシナリオ。どのシナリオにリアリティを見出せるかで、今後の自分の歩む道が変わっていくことになる。

採択の直前に行われたパン・ギムン国連事務総長の演説で、たった一言だけ頭に残っている言葉がある。

“Implementation(実施)”

どのメディアも取り上げないだろう。何も特筆するような言葉でもない。ましてや強調された文脈にもない。さりげなく彼が使ったその言葉が、この日一番のキーワードだった気がする。

合言葉は、”No one left behind(誰も置いてけぼりにするな)”。メディア受けするこの言葉よりも、私のような開発関係者にとっては、前者のほうが重い言葉に聞こえるのではないだろうか。

今日がスタート。これからが実施部隊にとっての本番なのだ。

Author: The Povertistの編集長。アジアやアフリカでの開発援助業務に従事する貧困問題のスペシャリスト。貧困分析や社会政策を専門とし、書籍・論文も執筆。

持続可能な開発目標(SDGs)の広報資料がアツい!

国連がSDGsの広報マテリアルを無料配布

持続可能な開発目標(SDGs)の採択を控え、仕事の遅いことで有名な国連もいよいよ本気モード。さすが寄付金集めのプロ集団だけあって、キャッチーな広報資料を無料配布している。せっかくなので、広報マテリアルから見るSDGsのポイントをおさらいしてみたい。

それぞれのポスターはキャッチフレーズとともに、2015年がどういう年かを端的に表している。それではいってみよう。

不平等との戦い

女性・女児の生命の尊厳の獲得

今こそ、野糞に別れを告げるとき

女性・女児のエンパワーメント

救えたはずの母子の命をもう失わない

もう夢じゃない、すべての人へ医療保健を現実に

マラリア・エイズ・結核にさようなら

キレイで安い電気をすべての人々へ

キレイな海を(イルカはおまけ)

ごみを減らす、再利用する、リサイクルする

次の世代のために地球を守る

明るい未来は若者の手で

いかがだろうか。網羅的すぎる?そうした印象を持たれた方は、SDGsを正しく理解しているといってよいかもしれない。MDGsに比べてはるかに多くの課題が含まれているのがSDGsと言うわけだ。なお、直訳は意図しておらず、意訳が相当含まれる。

Author: The Povertistの編集長。アジアやアフリカでの開発援助業務に従事する貧困問題のスペシャリスト。貧困分析や社会政策を専門とし、書籍・論文も執筆。

持続可能な開発サミットが開幕-SGDs採択へ

持続可能な開発サミット(Sustainable Development Summit)がいよいよ開幕。9月25日~27日は歴史的な3日間となる。持続可能な開発目標(SDGs)が採択され、国際開発に関わる者にとって今後15年のスタートラインとなる。15年前のMDGsの時には考えられなかったことかもしれないが、今回は全世界でウェブ中継が行われる。非公開イベント以外は基本的にウェブで生中継が見れる。

プログラムはこちらから。あなたも歴史の証人に!

民主主義が崩壊したのではなく、間接民主制が時代遅れなのかもしれない

外交・国際開発援助の最前線に立っている身としては、安保関連法案に思うところは多々あります。ただ、今日は民主主義の在り方について考えてみます。

今回の混乱の最たる原因は、法案の中身よりも、民主主義の在り方の問題のような印象を受けます。

国政選挙を経て選ばれた議員が多数決で法案を可決することを民主主義と呼び、今回の法案可決を正当化する人。一方で、議論が尽くされていないと納得しない人。民主的と「信じられている」プロセスを経て可決した法案に納得を得られていない状況です。

私が感じたことは、「民主主義が終わっている」のではなく、古代から続いてきた「間接民主制が今の世の中に合わなくなった」のではないかということです。情報へのアクセスが非常に困難だった頃は、地方へ議員がやってきて、講演会や座談会で支持者たちへ直接報告することが主流だったのかもしれません。情報は伝聞で伝わっていきました。その後、新聞が現れ、遠くの人々へも数日内に情報が伝わるようになりました。テレビや電話の普及はさらに情報の伝達速度を加速化しました。そして、現代、インターネットを通じて、議員の生の声がホームページやLive中継で世界中どこでも同時に配信されるようになっています。

日本では、情報がネットやメディアから簡単に取れる世の中になったにもかかわらず、民主主義の在り方は見直されてきませんでした。問題の根源は、国政選挙で選んだ議員が、特定の個別法案について支持者の意思に反して代理投票を行うことだと思います。間接民主制ならではの問題です。

ならば、ネット投票による直接民主制を採用することでこのギャップを解消できないでしょうか。現代社会では、国政で何が起こっているのか、情報が瞬時に世界中へ伝達される状況があります。これによって法案一つ一つについて国民が賛否の意見を持つことができる状況が生まれています。

例えば、重要法案はネット投票で直接民主制し、ネットに不慣れで議員へ委任したい人は投票権を委任する仕組みにした方が良い気がします。

忙しくて投票へ行けない人や、私のように在外選挙人名簿登録に間に合わず投票権を得られない人も民主主義に参加できる環境ができるかもしれません。

ソマリア難民支援から難民問題とホストコミュニティの負担を考える

北アフリカや中東から多くの「難民」がヨーロッパへ渡っている。受入国との間ですでに軋轢が生じ、受け入れたいと思っている人々の思いとは裏腹に、受け入れ能力が限界に達している国も散見される。難民問題が専門ではないが、実際にソマリア難民支援を行った経験から感じた留意点を紹介したい。

東アフリカ大旱魃 (2011年)でソマリア難民がケニアへ

2011年、東アフリカは60年に一度の大干ばつに見舞われた。エチオピア、ケニア、ソマリアを含むアフリカの角と呼ばれる地域で、食糧不足によって1,200万人が影響を受けたとされる。特に、内戦の激しかったソマリアでは人口の半数の約400万人が影響を受け、多くの人々が難民として隣国へ歩いて渡った。

ケニア東部の小さな州ガリッサにダダブという小さな町がある。ケニア政府は人口1万5千人のこの町で、30万人以上のソマリア難民を受け入れている。私も2011年の緊急支援案策定のための調査で足を踏み入れたが、町らしい町を見ることはなかった。数少ない現地住民のほとんどが遊牧で生活し、町を形成せず、定住していない人々だった。

何もないダダブという地域に1990年代初頭、国際連合難民高等弁務官事務所(UNHCR)が難民キャンプを開設して以来、ケニア政府はソマリア難民を受け入れ続けている。そして2011年当時で、難民キャンプは地元住民の人口の数十倍まで膨れ上がっていた。

こうした状況下で支援を検討する際に留意すべきことがある。

難民支援の3つのポイント-ホストコミュニティと難民の不公平

1. 難民は帰ることが前提

まず、大前提として難民は一時的に滞在しているだけであって、自国が平和になった段階で帰ってもらうということ。つまり、受入国は永住を前提として難民を受け入れていないということだ。報道によればケニア政府はその点を明確にしていたし、時として強硬策(難民キャンプの閉鎖)も辞さない構えを見せていた。

この前提が無ければ、単なる移民となり、人道的な観点で受け入れることが難しくなる。つまり、中長期的にこの人を受け入れて良いことがあるか、審査を厳格化する必要がある。一時的に受け入れるのであれば、人道的観点から受け入れやすい心情は理解しやすいだろう。

また、支援する側の立場を考えると、人道支援(Humanitarian Assistance)なのか、開発援助(Development Assistance)なのかで大きく意味合いが異なる。人道支援は人道的観点から今窮地に立たされている難民へ緊急物資の配布などを行うもの。開発援助は中長期的な地域開発をサポートするもの。

たとえば、難民キャンプへ住居の提供を要請されたとき、簡易なテントを配布するか、煉瓦造りの建物を作るか議論をしたことがあった。テントの場合、耐久性は3ヶ月だが安価。煉瓦造りの場合、高価だが数年使える。当然、費用対効果の観点からは煉瓦造りを選ぶのが妥当。しかし、煉瓦造りの建造物を造ると定住される恐れがあることから、受入国の抵抗感が感じられるケースがあった。

難民は平和になれば帰るべき人たちであって、定住するのであれば移民。先の例は、この前提を確認する良いケースかもしれない。

2. ホストコミュニティの負担軽減

難民も過酷な状況から逃れてきた人々だが、それを受け入れる人々、ホストコミュニティの負担も尋常ではない。自分たちの言葉も文化も常識も解さない人々が大量に地元に住み込む環境の変化、圧迫感は計り知れない。

支援を検討する際も、ケニア政府へ最大限配慮する必要がある。たとえば、難民キャンプを訪問した際にキャンプ側からは学校の設備(机・椅子)の供与を求められた。

国際協力機構(JICA)はケニア政府を通じてあくまで、ケニアへ支援を行う。そのため、ケニア政府がYesと言わない限りケニア国内で支援を展開できない。当然ケニア政府は自国民に利益がなければYesとは言わない。この点、難民だけを考えて支援を行うことができる団体とは事情が異なるかもしれない。

話を戻す。結論として、ホストコミュニティの小学校へも平等に学校設備を供与することでバランスをとった。JICAのプロジェクト概要「ソマリア難民キャンプホストコミュニティの水・衛生改善プロジェクト」をご覧いただければ、成果5が追加されていることがわかるだろう。

3. 寄付金は難民に集まり、ホストコミュニティには集まらない

こうした緊急事態の際、世界の目は難民へと向く。ホストコミュニティもケニアの中では最貧地域であったにもかかわらず、世界は彼らへ目を向けない。当然、寄付金は国際機関やNGOを通じて難民支援へ多く集まり、ホストコミュニティは蚊帳の外だ。その結果、難民キャンプは発展し、ホストコミュニティは相変わらず何の変化もないままという状況が生まれる。

ダダブでも同様の状況があった。国際機関やNGOを通じて多くの支援が世界から届いている一方、ホストコミュニティは完全に蚊帳の外だった。

こうした事情を踏まえ、国際協力機構(JICA)はホストコミュニティの支援に特化して同地域を支援しており、本来もっと評価されるべきだと思う。しかし、ホストコミュニティ支援は難民支援に比べて地味であり、報道受けもしない。寄付金や予算が得られにくいこうした地味な支援は、国際機関やNGOができない分野であり、JICAのような二国間援助機関(バイラテラルドナー)だからこそできる分野かもしれない。

教訓-今回のヨーロッパへの「難民」問題と異なる点

難民なのか?という議論が近頃報道されている。上述したように、母国が平和になった際に帰国することを前提としているかどうかで、受入国の心情・負担は大きく変わる。今回のヨーロッパへの「難民」が市民権を得て半永久的に帰国しないとなれば、ご紹介したソマリア難民支援の事情とは相当状況が異なる。

いずれにせよ、受入国のホストコミュニティの立場からすれば難民ばかりに注目や支援が集まる状況は受け入れがたく、地元住民との軋轢をいかに回避するかが今後の課題だろう。

参考(当時の担当案件のニュースリリースなど)

Author: The Povertistの編集長。アジアやアフリカでの開発援助業務に従事する貧困問題のスペシャリスト。貧困分析や社会政策を専門とし、書籍・論文も執筆。

社会保障が開発途上国の貧困撲滅に不可欠-政治経済の4つのポイント

中所得国では自力で貧困から抜け出すことのできる全ての貧困層が貧困から脱出し、貧困状態に残された人々が社会政策を必要とするだろう(Raj M. Desai 2015)。2030年の貧困撲滅へのアプローチを考えるとき、経済成長を促す政策だけで全てが解決すると考える人々が現れるだろう。そのとき、この一文を突き付けてほしい。今回はブルッキングス研究所ラジ・デサイ研究員の見解を簡単に紹介する。

中所得国では「経済成長=貧困削減」はウソ

最近出版された 『ラストマイル(The Last Mile in Ending Extreme Poverty)』でデサイは「社会政策と絶対的貧困の撲滅(Social Policy and the Elimination of Extreme Poverty)」と題する論文を寄稿した。彼によれば、社会政策は貧困撲滅へ重要な役割を果たす。そして、開発途上国で社会政策を拡充するためには政治経済がカギとなる。

 

1990年から2010までに、開発途上国の貧困率は22%まで半減し、主な要因は労働収入の改善だった。しかし、これは過去の出来事に過ぎず、今世紀の国際開発には参考にならないかもしれない。労働所得が消費水準の改善に与える影響は、中所得国ではかなり小さくなるといった研究がある。これは容易に貧困から「卒業」できる人々が貧困から抜け出し、自力の無い最貧層が脆弱なまま社会の底辺に取り残されることが原因と考えられる。

たとえそれが正しいとしても、適切な社会政策と成長を組み合わせれば絶対的貧困の撲滅は技術的に可能だと、デサイは主張する。しかし、政治経済が重要な課題として立ちはだかるだろう。対象世帯を厳格にターゲティングする社会保障システムは、非貧困層からの支持を受けることはできない。これは社会保障の拡充の大きな阻害要因となる。一方、国民すべてが裨益する社会保障システムは、非貧困層からの支持を受け、持続的に機能していくだろう。

貧困撲滅と社会保障の4つのポイント

デサイは社会保障が貧困撲滅へ重要な役割を果たすとしたうえで、4つのポイント挙げている。

1. 包摂的成長(Inclusive Growth)

所得向上と不平等の改善をバランスよく達成することが、貧困削減には効果的。貧困率が15%以上であれば、労働所得の向上が貧困削減には効果的であり、15%以下の場合は社会保障が重要な役割を果たすとする研究がある。

2. 社会保障システムの構築(Institution Development)

社会保障システムの構築プロセスは、20世紀以前の福祉国家と現在の低中所得国とでは異っている。たとえそれらの国が同じ経済水準であったもだ。現代の低中所得国の社会保障システム構築はゆったりとしたものにならざるを得なかった。グローバリゼーションの加速に伴う国際競争の激化、非正規労働者(インフォーマル経済)の比率が大きいことなどをとっても、かつての福祉国家とは前提条件がずいぶん異なっている。その結果、予算の制約が生じ、社会保障の対象世帯を絞る必要ができた。これがターゲティングプログラムが開発途上国でブームとなっている理由である。

3. 普遍性の欠如(Lacking Universality)

ターゲティングによって低所得層を社会保障の対象とすることは同時に、中所得層を排除することになり、政治的に不安定な状況が生じる。歴史的に見れば、注所得層は社会保障の拡充に重要な役割を果たしてきた。社会保障の拡充の最大の障壁は国内政治であり、所得再配分プログラムの規模や期間は国内政治によって決められる。政治家や官僚の国民からの評価がそれによって大きく左右されるからだ。

4. 所得階層を超えた結束の強化(Cross-class Solidarity)

貧困撲滅へ向けた最後の旅路(ラストマイル)を無事終えるためには、社会保障システムを通じて貧困層と非貧困層の間に連帯感を生む必要がある。それは社会保障を適切に運用する国家を作るためには不可欠なことだ。援助を提供するドナーは、貧困削減プログラムの対象を貧困層に絞るため、社会保障プログラムにターゲティングを組み込もうとする傾向がある。貧困削減が目的なのであれば、これで十分だろう。しかし、最終目的が貧困の撲滅なのであれば、開発途上国はもっと網羅的で普遍的な社会保障システムを構築し、国民が直面するリスクや脆弱性に取り組んでいくべきだろう。

Author: The Povertistの編集長。アジアやアフリカでの開発援助業務に従事する貧困問題のスペシャリスト。貧困分析や社会政策を専門とし、書籍・論文も執筆。