外部メディアに掲載された記事の一覧です。

ジェンダー平等と女性のエンパワーメントへの挑戦

ジェンダー平等はスローガンで終わってよいのか?どのように実現するか?具体的に考えて行動に移すことが重要ではないか?このような当たり前のことに、世界のリーダーが気付かされた一幕があった。

持続可能な開発サミット-ジェンダー平等に拍手喝采

9月25日、持続可能な開発サミット(Sustainable Development Summit)の初日。持続可能な開発目標(SDGs)が採択され、興奮冷めやらぬ中行われた討論会だ。『Tackling inequalities, empowering women and girls and leaving no one behind – Interactive Dialogue 2』と題して開催されたこの会議は、先進国、開発途上国、国際機関、市民団体、民間企業のリーダーが、「SDGsでジェンダー平等について、いかに取り組むべきか」議論を交わす場となった。

まず、共同議長を務めた、ケニヤッタ大統領(ケニア)が3つの質問を投げかける。

  • 女性と若年層に対する不平等の問題にいかに取り組むべきか。
  • 女性と若年層に対する暴力へいかに対処すべきか。
  • 女性と若年層の金融へのアクセスと平等な社会の実現には何が不可欠か。

もちろん、ジェンダー平等に対してネガティブな意見を述べる者は少なく、たびたび拍手が沸き起こる一方的な展開となった。各国のアプローチについても言及され、「政策レベルで何を行っていくつもりなのか」を宣言する会合となった。

例えば、ダビド・グンロイグソン首相(アイスランド)は、重要な視点として3つの政策的アプローチを挙げた。所得格差、政策決定プロセスへの女性の参画、ジェンダー平等に対する男性による後押し。これらへの取り組みが重要であり、ジェンダー平等の達成の必要条件との意見だ。

ジェンダー平等は必要でしょうか?-水を差したレソト首相

ところが、会議の中盤に雰囲気が一変した。

ムランボ-ヌクカ事務局長(国連女性機関:UNWOMEN)が「国連女性機関はジェンダー平等に精一杯取り組んでいく」と力説した直後、それは起こった。

拍手喝采が納まりきらない中、モシシリ首相(レソト)の演説が静寂を生んだ。見事に水をさした強烈なメッセージに議場は静まり返った。

「皆さん、何か忘れてはいないでしょうか。人々に働きかけることの大切さです。私の国では高等教育では、女性のほうが男性よりも多く学んでいます。ジェンダー平等は必要でしょうか。」

ジェンダー平等言うが易し-具体案を示せ、村を見ろ

手元に原稿はない。自分の言葉で語りかける彼の言葉は、一言一言に重みを感じる。そして彼は続ける。

「私は先日70歳になった年寄りです。私の村では、女性を叩きのめすことすら出来ない男性は、真の男として認められません。そういった風習がまだ残っています。これが現実です。政策を作ることは簡単でしょう。法案を議会に提出して、可決することも簡単でしょう。ジェンダー平等に反対する人などいません。しかし、村で起こっている現実に取り組むことなしに、私たちは何も解決できないのです。皆さんが言うほど村の問題を解決するのは簡単ではありません。これを踏まえて、私は公的教育からジェンダー平等へ向けた改善を始めることを提案します。」

キーワードはやはり、「Implementation(実施)」だ。ジェンダー平等の議論はいつもきれいごとを並べるだけで終わってしまう。具体的に何をするのか、誰も語らないことが多い。

誰がどのように何をすることで、ジェンダー平等が達成できるのか。実務家に課せられた挑戦は大きい。

※各人の発言内容は翻訳ではなく、雰囲気を踏まえた意訳。参照する際は録画で確認頂きたい。

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持続可能な開発目標(SDGs)が採択-キーワードは?

2015年9月25日11時。

持続可能な開発目標(SDGs)が採択されたとき、私はその議場にいた。

歴史の1ページに刻まれる瞬間にその場所にいたことは感動的なことだろう。しかし、むしろ、開発援助に携わるものとして、その瞬間は歓喜というより、スタートラインにたったときの緊張に近いものだった。

遥か前方でWe are the Oneを熱唱するシャキーラも、マララ・ユスフザイの力強い演説に熱狂する観衆も、全てが耳に入らない。

この15年間、自分には何ができるか。実施機関として、実務家として、研究者として。頭の中を駆け巡るいくつものシナリオ。どのシナリオにリアリティを見出せるかで、今後の自分の歩む道が変わっていくことになる。

採択の直前に行われたパン・ギムン国連事務総長の演説で、たった一言だけ頭に残っている言葉がある。

“Implementation(実施)”

どのメディアも取り上げないだろう。何も特筆するような言葉でもない。ましてや強調された文脈にもない。さりげなく彼が使ったその言葉が、この日一番のキーワードだった気がする。

合言葉は、”No one left behind(誰も置いてけぼりにするな)”。メディア受けするこの言葉よりも、私のような開発関係者にとっては、前者のほうが重い言葉に聞こえるのではないだろうか。

今日がスタート。これからが実施部隊にとっての本番なのだ。

Author: The Povertistの編集長。アジアやアフリカでの開発援助業務に従事する貧困問題のスペシャリスト。貧困分析や社会政策を専門とし、書籍・論文も執筆。

持続可能な開発目標(SDGs)の広報資料がアツい!

国連がSDGsの広報マテリアルを無料配布

持続可能な開発目標(SDGs)の採択を控え、仕事の遅いことで有名な国連もいよいよ本気モード。さすが寄付金集めのプロ集団だけあって、キャッチーな広報資料を無料配布している。せっかくなので、広報マテリアルから見るSDGsのポイントをおさらいしてみたい。

それぞれのポスターはキャッチフレーズとともに、2015年がどういう年かを端的に表している。それではいってみよう。

不平等との戦い

女性・女児の生命の尊厳の獲得

今こそ、野糞に別れを告げるとき

女性・女児のエンパワーメント

救えたはずの母子の命をもう失わない

もう夢じゃない、すべての人へ医療保健を現実に

マラリア・エイズ・結核にさようなら

キレイで安い電気をすべての人々へ

キレイな海を(イルカはおまけ)

ごみを減らす、再利用する、リサイクルする

次の世代のために地球を守る

明るい未来は若者の手で

いかがだろうか。網羅的すぎる?そうした印象を持たれた方は、SDGsを正しく理解しているといってよいかもしれない。MDGsに比べてはるかに多くの課題が含まれているのがSDGsと言うわけだ。なお、直訳は意図しておらず、意訳が相当含まれる。

Author: The Povertistの編集長。アジアやアフリカでの開発援助業務に従事する貧困問題のスペシャリスト。貧困分析や社会政策を専門とし、書籍・論文も執筆。

持続可能な開発サミットが開幕-SGDs採択へ

持続可能な開発サミット(Sustainable Development Summit)がいよいよ開幕。9月25日~27日は歴史的な3日間となる。持続可能な開発目標(SDGs)が採択され、国際開発に関わる者にとって今後15年のスタートラインとなる。15年前のMDGsの時には考えられなかったことかもしれないが、今回は全世界でウェブ中継が行われる。非公開イベント以外は基本的にウェブで生中継が見れる。

プログラムはこちらから。あなたも歴史の証人に!

民主主義が崩壊したのではなく、間接民主制が時代遅れなのかもしれない

外交・国際開発援助の最前線に立っている身としては、安保関連法案に思うところは多々あります。ただ、今日は民主主義の在り方について考えてみます。

今回の混乱の最たる原因は、法案の中身よりも、民主主義の在り方の問題のような印象を受けます。

国政選挙を経て選ばれた議員が多数決で法案を可決することを民主主義と呼び、今回の法案可決を正当化する人。一方で、議論が尽くされていないと納得しない人。民主的と「信じられている」プロセスを経て可決した法案に納得を得られていない状況です。

私が感じたことは、「民主主義が終わっている」のではなく、古代から続いてきた「間接民主制が今の世の中に合わなくなった」のではないかということです。情報へのアクセスが非常に困難だった頃は、地方へ議員がやってきて、講演会や座談会で支持者たちへ直接報告することが主流だったのかもしれません。情報は伝聞で伝わっていきました。その後、新聞が現れ、遠くの人々へも数日内に情報が伝わるようになりました。テレビや電話の普及はさらに情報の伝達速度を加速化しました。そして、現代、インターネットを通じて、議員の生の声がホームページやLive中継で世界中どこでも同時に配信されるようになっています。

日本では、情報がネットやメディアから簡単に取れる世の中になったにもかかわらず、民主主義の在り方は見直されてきませんでした。問題の根源は、国政選挙で選んだ議員が、特定の個別法案について支持者の意思に反して代理投票を行うことだと思います。間接民主制ならではの問題です。

ならば、ネット投票による直接民主制を採用することでこのギャップを解消できないでしょうか。現代社会では、国政で何が起こっているのか、情報が瞬時に世界中へ伝達される状況があります。これによって法案一つ一つについて国民が賛否の意見を持つことができる状況が生まれています。

例えば、重要法案はネット投票で直接民主制し、ネットに不慣れで議員へ委任したい人は投票権を委任する仕組みにした方が良い気がします。

忙しくて投票へ行けない人や、私のように在外選挙人名簿登録に間に合わず投票権を得られない人も民主主義に参加できる環境ができるかもしれません。

ソマリア難民支援から難民問題とホストコミュニティの負担を考える

北アフリカや中東から多くの「難民」がヨーロッパへ渡っている。受入国との間ですでに軋轢が生じ、受け入れたいと思っている人々の思いとは裏腹に、受け入れ能力が限界に達している国も散見される。難民問題が専門ではないが、実際にソマリア難民支援を行った経験から感じた留意点を紹介したい。

東アフリカ大旱魃 (2011年)でソマリア難民がケニアへ

2011年、東アフリカは60年に一度の大干ばつに見舞われた。エチオピア、ケニア、ソマリアを含むアフリカの角と呼ばれる地域で、食糧不足によって1,200万人が影響を受けたとされる。特に、内戦の激しかったソマリアでは人口の半数の約400万人が影響を受け、多くの人々が難民として隣国へ歩いて渡った。

ケニア東部の小さな州ガリッサにダダブという小さな町がある。ケニア政府は人口1万5千人のこの町で、30万人以上のソマリア難民を受け入れている。私も2011年の緊急支援案策定のための調査で足を踏み入れたが、町らしい町を見ることはなかった。数少ない現地住民のほとんどが遊牧で生活し、町を形成せず、定住していない人々だった。

何もないダダブという地域に1990年代初頭、国際連合難民高等弁務官事務所(UNHCR)が難民キャンプを開設して以来、ケニア政府はソマリア難民を受け入れ続けている。そして2011年当時で、難民キャンプは地元住民の人口の数十倍まで膨れ上がっていた。

こうした状況下で支援を検討する際に留意すべきことがある。

難民支援の3つのポイント-ホストコミュニティと難民の不公平

1. 難民は帰ることが前提

まず、大前提として難民は一時的に滞在しているだけであって、自国が平和になった段階で帰ってもらうということ。つまり、受入国は永住を前提として難民を受け入れていないということだ。報道によればケニア政府はその点を明確にしていたし、時として強硬策(難民キャンプの閉鎖)も辞さない構えを見せていた。

この前提が無ければ、単なる移民となり、人道的な観点で受け入れることが難しくなる。つまり、中長期的にこの人を受け入れて良いことがあるか、審査を厳格化する必要がある。一時的に受け入れるのであれば、人道的観点から受け入れやすい心情は理解しやすいだろう。

また、支援する側の立場を考えると、人道支援(Humanitarian Assistance)なのか、開発援助(Development Assistance)なのかで大きく意味合いが異なる。人道支援は人道的観点から今窮地に立たされている難民へ緊急物資の配布などを行うもの。開発援助は中長期的な地域開発をサポートするもの。

たとえば、難民キャンプへ住居の提供を要請されたとき、簡易なテントを配布するか、煉瓦造りの建物を作るか議論をしたことがあった。テントの場合、耐久性は3ヶ月だが安価。煉瓦造りの場合、高価だが数年使える。当然、費用対効果の観点からは煉瓦造りを選ぶのが妥当。しかし、煉瓦造りの建造物を造ると定住される恐れがあることから、受入国の抵抗感が感じられるケースがあった。

難民は平和になれば帰るべき人たちであって、定住するのであれば移民。先の例は、この前提を確認する良いケースかもしれない。

2. ホストコミュニティの負担軽減

難民も過酷な状況から逃れてきた人々だが、それを受け入れる人々、ホストコミュニティの負担も尋常ではない。自分たちの言葉も文化も常識も解さない人々が大量に地元に住み込む環境の変化、圧迫感は計り知れない。

支援を検討する際も、ケニア政府へ最大限配慮する必要がある。たとえば、難民キャンプを訪問した際にキャンプ側からは学校の設備(机・椅子)の供与を求められた。

国際協力機構(JICA)はケニア政府を通じてあくまで、ケニアへ支援を行う。そのため、ケニア政府がYesと言わない限りケニア国内で支援を展開できない。当然ケニア政府は自国民に利益がなければYesとは言わない。この点、難民だけを考えて支援を行うことができる団体とは事情が異なるかもしれない。

話を戻す。結論として、ホストコミュニティの小学校へも平等に学校設備を供与することでバランスをとった。JICAのプロジェクト概要「ソマリア難民キャンプホストコミュニティの水・衛生改善プロジェクト」をご覧いただければ、成果5が追加されていることがわかるだろう。

3. 寄付金は難民に集まり、ホストコミュニティには集まらない

こうした緊急事態の際、世界の目は難民へと向く。ホストコミュニティもケニアの中では最貧地域であったにもかかわらず、世界は彼らへ目を向けない。当然、寄付金は国際機関やNGOを通じて難民支援へ多く集まり、ホストコミュニティは蚊帳の外だ。その結果、難民キャンプは発展し、ホストコミュニティは相変わらず何の変化もないままという状況が生まれる。

ダダブでも同様の状況があった。国際機関やNGOを通じて多くの支援が世界から届いている一方、ホストコミュニティは完全に蚊帳の外だった。

こうした事情を踏まえ、国際協力機構(JICA)はホストコミュニティの支援に特化して同地域を支援しており、本来もっと評価されるべきだと思う。しかし、ホストコミュニティ支援は難民支援に比べて地味であり、報道受けもしない。寄付金や予算が得られにくいこうした地味な支援は、国際機関やNGOができない分野であり、JICAのような二国間援助機関(バイラテラルドナー)だからこそできる分野かもしれない。

教訓-今回のヨーロッパへの「難民」問題と異なる点

難民なのか?という議論が近頃報道されている。上述したように、母国が平和になった際に帰国することを前提としているかどうかで、受入国の心情・負担は大きく変わる。今回のヨーロッパへの「難民」が市民権を得て半永久的に帰国しないとなれば、ご紹介したソマリア難民支援の事情とは相当状況が異なる。

いずれにせよ、受入国のホストコミュニティの立場からすれば難民ばかりに注目や支援が集まる状況は受け入れがたく、地元住民との軋轢をいかに回避するかが今後の課題だろう。

参考(当時の担当案件のニュースリリースなど)

Author: The Povertistの編集長。アジアやアフリカでの開発援助業務に従事する貧困問題のスペシャリスト。貧困分析や社会政策を専門とし、書籍・論文も執筆。

社会保障が開発途上国の貧困撲滅に不可欠-政治経済の4つのポイント

中所得国では自力で貧困から抜け出すことのできる全ての貧困層が貧困から脱出し、貧困状態に残された人々が社会政策を必要とするだろう(Raj M. Desai 2015)。2030年の貧困撲滅へのアプローチを考えるとき、経済成長を促す政策だけで全てが解決すると考える人々が現れるだろう。そのとき、この一文を突き付けてほしい。今回はブルッキングス研究所ラジ・デサイ研究員の見解を簡単に紹介する。

中所得国では「経済成長=貧困削減」はウソ

最近出版された 『ラストマイル(The Last Mile in Ending Extreme Poverty)』でデサイは「社会政策と絶対的貧困の撲滅(Social Policy and the Elimination of Extreme Poverty)」と題する論文を寄稿した。彼によれば、社会政策は貧困撲滅へ重要な役割を果たす。そして、開発途上国で社会政策を拡充するためには政治経済がカギとなる。

 

1990年から2010までに、開発途上国の貧困率は22%まで半減し、主な要因は労働収入の改善だった。しかし、これは過去の出来事に過ぎず、今世紀の国際開発には参考にならないかもしれない。労働所得が消費水準の改善に与える影響は、中所得国ではかなり小さくなるといった研究がある。これは容易に貧困から「卒業」できる人々が貧困から抜け出し、自力の無い最貧層が脆弱なまま社会の底辺に取り残されることが原因と考えられる。

たとえそれが正しいとしても、適切な社会政策と成長を組み合わせれば絶対的貧困の撲滅は技術的に可能だと、デサイは主張する。しかし、政治経済が重要な課題として立ちはだかるだろう。対象世帯を厳格にターゲティングする社会保障システムは、非貧困層からの支持を受けることはできない。これは社会保障の拡充の大きな阻害要因となる。一方、国民すべてが裨益する社会保障システムは、非貧困層からの支持を受け、持続的に機能していくだろう。

貧困撲滅と社会保障の4つのポイント

デサイは社会保障が貧困撲滅へ重要な役割を果たすとしたうえで、4つのポイント挙げている。

1. 包摂的成長(Inclusive Growth)

所得向上と不平等の改善をバランスよく達成することが、貧困削減には効果的。貧困率が15%以上であれば、労働所得の向上が貧困削減には効果的であり、15%以下の場合は社会保障が重要な役割を果たすとする研究がある。

2. 社会保障システムの構築(Institution Development)

社会保障システムの構築プロセスは、20世紀以前の福祉国家と現在の低中所得国とでは異っている。たとえそれらの国が同じ経済水準であったもだ。現代の低中所得国の社会保障システム構築はゆったりとしたものにならざるを得なかった。グローバリゼーションの加速に伴う国際競争の激化、非正規労働者(インフォーマル経済)の比率が大きいことなどをとっても、かつての福祉国家とは前提条件がずいぶん異なっている。その結果、予算の制約が生じ、社会保障の対象世帯を絞る必要ができた。これがターゲティングプログラムが開発途上国でブームとなっている理由である。

3. 普遍性の欠如(Lacking Universality)

ターゲティングによって低所得層を社会保障の対象とすることは同時に、中所得層を排除することになり、政治的に不安定な状況が生じる。歴史的に見れば、注所得層は社会保障の拡充に重要な役割を果たしてきた。社会保障の拡充の最大の障壁は国内政治であり、所得再配分プログラムの規模や期間は国内政治によって決められる。政治家や官僚の国民からの評価がそれによって大きく左右されるからだ。

4. 所得階層を超えた結束の強化(Cross-class Solidarity)

貧困撲滅へ向けた最後の旅路(ラストマイル)を無事終えるためには、社会保障システムを通じて貧困層と非貧困層の間に連帯感を生む必要がある。それは社会保障を適切に運用する国家を作るためには不可欠なことだ。援助を提供するドナーは、貧困削減プログラムの対象を貧困層に絞るため、社会保障プログラムにターゲティングを組み込もうとする傾向がある。貧困削減が目的なのであれば、これで十分だろう。しかし、最終目的が貧困の撲滅なのであれば、開発途上国はもっと網羅的で普遍的な社会保障システムを構築し、国民が直面するリスクや脆弱性に取り組んでいくべきだろう。

Author: The Povertistの編集長。アジアやアフリカでの開発援助業務に従事する貧困問題のスペシャリスト。貧困分析や社会政策を専門とし、書籍・論文も執筆。

SDGsとMDGsの違いと特徴-経済成長・貧困削減だけでなく不平等も焦点に

持続可能な開発目標(SDGs)の最大のポイントは、経済成長が解決できない問題に焦点を当てていることだ(参照)。たとえば、栄養失調(Malnutrition)は経済成長と相関関係が無いことが確認されているし、不平等・格差も経済成長をもって解決できない問題として認識されている。

持続可能な開発目標(SDGs)で開発援助はどう変わる?

2000年以降のミレニアム開発目標(MDGs)時代では、経済成長を通じた貧困削減が焦点だった。経済成長を通じて国民の所得水準を向上させることで絶対的貧困の問題を解決する。貧困率の計算方法がまさにそうなっていて、こうしたある種の「常識」が開発援助に関わる者の間にあった。

しかし、SDGsには「これだけでは不十分。不平等も同時に解決しなければならない。」というメッセージが込められている。つまり、貧困削減(ゴール1)を達成するためには所得レベルを底上げするために経済成長を促す援助・政策が重要となるが、その結果、不平等を拡大させるような経済政策となるのであれば、ゴール10の達成の阻害要因となる。このような場合、SDGs全体の達成の観点から言えば、そうした政策には大きな欠陥があると言わざるを得ない。

開発援助とターゲティングの重要性

これまで以上に、案件形成段階で成長・貧困・不平等にどういった影響があるかを考える必要が出てくると言えるだろう。インフラ開発によって経済成長を促すことを目的とするのであれば、これまでは周辺住民の「所得向上=貧困削減に寄与」といった一文を入れておけば説明になったかもしれない。しかし、これからは鉛筆を舐めて作文するだけでは納得を得られなくなる。

周辺の裨益住民が中間層・高所得層であれば、貧困層との格差増大に寄与する可能性がある。そうなれば、ゴール1には貢献するが、ゴール10にはマイナス効果となる。誰に裨益するプロジェクトなのかを明確に検討することがこれまで以上に求められることになろう。

日本の援助は元来、ターゲティング手法をそれほど研究・実践してこなかったが、ターゲティング抜きでは何も語れない時代がSDGsによって幕開けされる。

Author: The Povertistの編集長。アジアやアフリカでの開発援助業務に従事する貧困問題のスペシャリスト。貧困分析や社会政策を専門とし、書籍・論文も執筆。

ネアックルンの船着き場は心の中に-つばさ橋の裏側

2015年4月6日、カンボジア南部カンダル。ネアックルン橋が開通し、通称つばさ橋と名付けられた。日本の援助の長年の夢だった。プノンペンホーチミンをつなぐ経済回廊。カンボジア・日本の一大プロジェクトがここに完結した。

その華々しい表舞台の裏側で、ひっそりと役目を終えたものがある。メコン川を東西に渡すネアックルン・フェリー。その小さな船着き場は、旅人にとって休息の場であり、売り子たちにとって生活の場だった。

ネアックルンはいつの時代もカンボジアにはなくてはならない街だった。そして、この船着き場は歴史を見守ってきた。

1973年8月17日、ベトナムサイゴン。弾薬輸送船に乗り込み戦火のプノンペンを目指した日本人がいた。戦場カメラマン一之瀬泰三。クメール・ルージュ支配下のアンコールワットを写真に収めるため、生存率30%の船に乗り込んだ。

サイゴンからプノンペンへ行く途中、一之瀬はどんな思いでネアックルンを通過したのだろう。両岸から集中砲火を浴びながら通ったメコン川に、今は大きな橋が架かっている。命がけで目指し、命尽きたアンコールワットへは日本からの直行便がある。

2006年3月25日、プノンペンからスバイリエンへの道中、私はその船着き場にいた。未舗装の街は車とバイクと人と人。カツカツと音がする方向を見ると、車窓を叩く麦わら帽子。笑顔を振りまく物売りのおばちゃんと、悲壮な表情で花を売る少女たち。缶ジュース、カエルの干物、茹でたタガメ、たばこ。活気に満ち溢れたカンボジアが脳裏に焼き付いた。

渡し舟はその役目を終えた。船着き場のおばちゃんや子供たちはどこへ行ったのだろう。うまくやっているだろうか。長い歴史の中で、一つの変化が多くの夢を叶え、人生を変える。日常が歴史となり、思い出となる。

ネアックルンの船着き場は、もうそこにはない。私たちの心の中にある。

Author: The Povertistの編集長。アジアやアフリカでの開発援助業務に従事する貧困問題のスペシャリスト。貧困分析や社会政策を専門とし、書籍・論文も執筆。

貧困撲滅へ向けた最後の旅路-ラストマイル

もし、ジェフリー・サックス著「貧困の終焉」ポール・コリアー著「最底辺の10億人」ミレニアム開発目標(MDGs)時代の開発学の名著なのであれば、「ラストマイル(The Last Mile in Ending Extreme Poverty)」持続可能な開発目標(SDGs)時代には必ず読まなければならない名著となるだろう。SDGsが目標としているように、本書は2030年の絶対的貧困撲滅を見据えて議論を展開している。ここでは本書の序章「From a Billion to Zero: Three Key Ingredients to End Extreme Poverty」で展開されるポイントをレビューする。邦訳は現時点で存在しないが、英語が苦手な方でも序章(無料)はご覧になることをお勧めしたい。

10億人からゼロへ-絶対的貧困撲滅のための3つのカギ

貧困に終わりへの道のりは、各国の状況によって異なる。「最後の旅路(ラストマイル)」がどれ程長く険しいものになるかは、これまでにどのくらい旅をしてきたかで決まる。

たとえば、中国はハイペースで貧困削減を実現したが、コートジボワールは貧困状態を悪化させた。MDGsの一つ目のゴール(世界の貧困の半減)は予定より7年も早く達成されたが、個別の国を見れば達成状況に差があるというわけだ。

最後の旅路では、誰も見捨てることができない。中国は世界の貧困を半減させることに大きく貢献した。しかし、沿岸地域の急速な経済成長が所得水準を向上させた一方、内陸部では貧困状態が続いている。かつてアフリカ諸国から手本とされていたコートジボワールでも、北部地域の住民が貧困状態に陥った。

たしかに、経済成長は貧困削減のエンジンかもしれない。しかし、経済政策だけでは貧困に終わりを告げることはできない。経済成長が断続的であったり、富の配分が不公平である場合には、経済政策は無力だ。

貧困撲滅を達成するためには、平和、仕事、レジリエンスが重要な要素となる。

過去の研究が示しているように、貧困が紛争の引き金となり、紛争によって人々は貧困に陥る。実際、現代の貧困は紛争地域や脆弱国に残存している。また、紛争の終結がすぐに経済成長につながるわけでもない。紛争でボロボロになった国を復興する長い時間が必要である。そして何よりも、今後長期的に平和な状態が継続するという期待感が不可欠となる。

一方で、国内に紛争を抱える国が貧困削減を順調に進めている例があるのも事実だ。たとえば、フィリピンやインドが顕著な例だろう。しかし、紛争地域の住民は国の発展から取り残され、貧困状態から抜け出せない可能性がある。最後の旅路を終えるためには、彼らを見捨てるわけにはいかないのだ。

仕事(Job)

生産性の高い仕事の不足は、低所得者層を増加させ、貧困を生む。また、貧困は生産性の高い職へ就くための阻害要因ともなる。ここに急速な貧困削減に成功した国の研究がある。貧困家庭が貧困から抜け出すために得た追加的収入源は労働所得と労働生産性の向上だった。

貧困層にとって生産性の高い仕事は、賃金労働、バリューチェーンへのアクセス、農業で高い収穫高をあげることだ。これらの要素なしでは、彼らは貧困から抜け出すことはできないだろう。

雇用創出のためには、経済構造転換が重要となる。経済の構造を見直すことによって、労働生産性を向上させ、低所得者層が生産性のより高い仕事へ転職する機会を得られる環境を作ることが、特にサブサハラアフリカ諸国では必要である。

また、マーケットアクセスに対する投資不足も解決すべき課題である。人々がマーケットへアクセスできないということは、生産性の向上、雇用創出、労働生産活動すべてにおいてマイナスである。投資不足の原因は、陸封(大規模河川や海に面さない内陸国)であるためにあらゆる経費が高くついてしまうことだろう。

レジリエンス(Resilience)

貧困は脆弱性(Vulnerability)の原因である。貧困層は多くの場合、レジリエンスを提供する機関・システムの無い場所で生活している。一旦ショックが発生すると彼らは、公的な救済システム(保険、一時金借入等)に頼らずに対処しなければならない。過去の研究も貧困層が極めて脆弱であることを示している。一日2ドル以下で生活する成人のうち、23%しか公的救済システムへアクセスできないというデータが彼らの脆弱性を物語っている。貧困層は公的システムへ頼らず、親類間の助け合いでショックを切り抜けるしかないのが現実だ。レジリエンス(復元力)は、ショック(災害等の影響)を緩和する能力のことであり、最後の旅路を完結するために無くてはならない要素だ。ショックはあらゆる場所で起こる。病気や失業は家庭で起き、自然災害や凶作はコミュニティレベルで起き、政情不安や物価乱高下は国家レベルで起きる。あらゆるレベルでのレジリエンスが不可欠というわけだ。

ショックに対する脆弱性もまた、貧困の原因である。貧困層はしばしばショックへのやむを得ない対応として生産活動に不可欠な資本(家畜・土地等)を売却し、消費水準を短期的に確保しようとする。しかし、こうした一時的な対処法は長期的にマイナスの影響を残すことが報告されている。エチオピアとタンザニアに関する研究では、干ばつ発生から10年経過した時点でさえ、貧困層の消費水準はかつての水準から17%-40%も低いままだった。

また、貧困線より上の水準で生活している人々も、貧困に陥るリスクをはらんでいるとされている。ある研究では、貧困線の2倍の消費水準にある人々でさえ、貧困に陥る確率が10%あるとしている。

更に、費用便益分析を行った研究によれば、ショックに対する事前措置(リスクマネジメント)に投資することは高い費用対効果があるとされる。低所得国の貧困層はレジリエンスの最も無い人々であるにもかかわらず、ソーシャル・セーフティ・ネット等の社会保障政策のカバレッジは彼らのたった10%でしかない。ここに大きな課題が残されている。

 

 

 

書籍発表記念イベント(討論会)

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