国際協力を生業としていますが、仕事以外の部分を書いていきたいと思います。国際協力仕事人はどのような私生活を送っているのか。何を考え、キャリアを選択しているのか。様々な角度からコラムを書くことで、国際協力がより身近になればと考えています。

未来へ

旅人の街。今日もまた、どこからともなく旅人がやってくる。夜になると酒場で旅の話で盛り上がり、朝になると不意にどこかへ消えてしまう。そんな旅人が集う街。それが旅人の街。誰の心の中にも存在している小さな街。 さらに読む

旅路の途中(ニュージーランド留学・アカロア)

2007年3月31日。俺はアカロアにいた。ニュージーランドの大自然に囲まれて生活していた。真っ青な海、温かい人。すべてがはじめての地にいた。そして今日。2008年3月31日。たった一人高松にいる。4年前に一緒に勉強をスタートさせた仲間はもうここにはいない。みんな期待と不安を卸したてのバッグに詰め込んで、それぞれの旅先へ向かった。 さらに読む

旅立ちの日

3月23日。旅立ちの日。4年間ともに歩いてきた仲間たちが旅立った。入学当初、どれ程の人がこの大学に愛着を持っていたのかはわからない。だけれど、今、誰もが名残惜しく思っている。笑ったり、泣いたり、悩んだり。この大学で本当に多くのことを学び、たくさんの出会いを経験した。ここにはたくさんの思い出がある。誰もがここを去ることを惜しんでいるのだから。 さらに読む

アリとキリギリス

昔々あるところに、たいそう勤勉なアリとキリギリスがいたそうな。アリは貧しい家庭の育ちである一方、キリギリスは村でも3本の指に入る大金持ちの家に育ったそうじゃ。アリの家はいつもキリギリスの家から食べ物やお金を借りたりしていたんじゃ。そんな貧しい環境の中でもアリの両親は毎日汗水流して働き、ようやくアリを学校へ通わすことができたわけじゃ。ところが、そんなアリにキリギリスはこう言ったんじゃ。 さらに読む

2年前のあの日

東京に行ってきた。2年ぶりの東京はどこかよそよそしく僕を迎えてくれたけれど、やっぱりたくさんの人が行きかっていて、相変わらずの慌しさ。2006年の8月、見ず知らずの土地へ飛び立つ旅人に会いに行った。「もうしばらくあえないだろうから」という気持ちでちょっと寂しくなったりしたっけ。そんな旅人も2年ぶりに帰ってきた。「もう2年も経ったんだ」少しだけ時の経つのが早く感じる。今回はそんな旅人には会えなかったけれど、次回は積もり積もった話がきっとできるだろうと思う。

実は横浜で青年サミットがあったので関東へ出向いた。全国各地から熱い思いを持ち寄って、社会問題について話し合ったり、友達になったり、交流を深めた。その後、東京へ行き、高校来の友人たちの家でホームパーティーをした。既に社会に出て働いている人たちが帰った後も親友と酒を交わしながら将来のこと、恋愛のことを語ったりもした。同年代が働いている中で、僕と彼はまだ学生。少しあせる気持ちもあるけれど、お互い見ているものは明確になってきているので、あまり心配は要らないのかもしれない。

あと少し。最後の10完歩。

四国ユースネットワーク(途上国と開発)

たった3日前に初めて会った人たちと、今ではもう親友のように思いあえている。

四国ユースネットワークの愛媛合宿を終えてたくさん思うことがある。たった3日間の短い時間の中で、僕らは夢を語り合い、「どんなお爺さん、お婆さんになりたいか」ということまで語り合った。そんな仲間を30人も40人も手に入れた。

四国四県の大学生の内、「国際」や「環境」をテーマに活動をしている人、あるいは活動したい人たちを集めた今回の企画は大成功に終わったように思う。この企画の構想を聞いたときは正直言って、「どうなることか」と思っていた。だけれど、愛媛のメンバーを中心として、高知のアジア僻地医療を支援する会、TICOユース、愛媛大学のHOPEそして参加者全員が協力して作り上げた今回の合宿には、まさに「大成功」の三文字がふさわしい。

「四国の学生活動はかなり遅れている」と本州の学生からしばしば笑われることがある。しかし、先は明るい。これからどんどん四県の学生ネットワークを広めていって、今回のようなメンバーが集まれば、ものすごいパワーになるような気がする。3月には四国ギャザリングという環境系の合宿イベントが高松市内で行われる。こういう場に、もっと多くの香川の学生が参加できるようになればいいなと思っている。

さて、卒業も間近に迫ったわけだけれども、ここへ来てやるべきことが見えてきたような気がする。知り合いを通じて「国際協力」や「環境問題」あるいは「ボランティア」に関心のある人をどんどん集めたいと考えている。少しでも興味のある人はできる限り力になりたいと思っている。

今日は珍しく、私事をつらつら綴ってしまった。もちろん、学生ができないことはたくさんある。だけれど、大学生だからできることもたくさんあることを僕らは知った。

いよいよ面白くなってきた。

ペンギンからの警告:気候変動と南極の氷

おもしろいやり取りがある。「南極って大陸なんだよ」と言った僕に「そんなのウソだろ。でっかい氷の塊に決まってるだろ」と答えた友人がいた。意外にも彼と同 じ反応をする人は多い。では、これを聞くともっと驚くのではないだろうか。 さらに読む

新年のご挨拶

新年あけましておめでとうございます。

いつからか、年賀状を大量に出すこともなくなり、近頃は手書きで10枚前後書くくらいになっています。昨年は喪中ということもあり、年賀状は書きませんでした。今年は何かとバタバタしていたこともあり、数枚書いた程度でした。

さて、昨年はとても多くの人にお世話になった年でした。新しく出会った人はもちろん、それまで親しくしてもらっていた方々にも大変お世話になり、お礼を言っても言い切れない程です。少し考えると、毎年こうして新しい人と出会い、親交を深めていけるということはこれ以上ない幸せなのかなと思います。

今年は年男になり、年始早々、数年振りの大吉も引きあて、良い年となることを願って止みません。今年の目標は自分に正直になって道を選び旅を続けるということです。

それでは今年も一年よろしくお願いいたします。

一年の終わりに

あと少しで新しい年が来て、2007年はもう一生来ないと思うと、なんだか不思議な気がする。振り返ると今年一年は自分の中で新しい事ずくめだった。何かを始めるときに周りは僕が何か違うことに「挑戦」するんだっていう目でいつも見てくれていたけれど、当の本人はなんだかそんな風には考えていなくって、気付いたらそうなってたっていう部分が多い。とはいえ、そこにいたるまでは長いこと考え、話し合い、かなり労力を使っていたとは思うけれど。

ともかく、久しぶりに会う人たちに「何か変わった」とよく言われるようになったことは、人に言わせれば変化なのかもしれない。大学の先生に卒論を提出し、プレゼンしたときにも、「考え方が大きく変わったね」といわれたし、友達には「独自路線が以前にも増して強くなったね」と言われた。それがよい方向か悪い方向かは今は誰にもわからないと思う。ただ、「どこか自分の奥の方にあった小さな芽が少し育って、太い幹になりつつある」のかなと個人的には思うけれど。

今年一年やってきたことが良かったのか悪かったのかは、来年一年にかかっている。2007年に描かれた脚本を演じることこそが2008年の目標となると思っています。

考えていることを発信することはとても大切なことで、自分の考えていることや知っていることを伝えることは簡単なようで難しい。ブログを始めて今年で丸3年が経つけれど、これまでにも増して、「伝える」ことを大切に綴っていこうかと思っています。

では、2008年もよろしくお願いします。

一つの旅の終わり

日本を離れて早9ヶ月。ついに11月26日に香川まで戻ってきました。

本当にたくさんの人と出会い、色々な刺激を受け続けた半年と少しでした。毎日、世界各国からきている人たちと話し、笑い、日本国内ではなかなか見つけることの出来ない時間を過ごせたことにとても満足しています。

月曜日から金曜日は学校へ行き、週末はみんなで行きつけのアイリッシュパブへ。寝静まったホストファミリー宅へ最終バスで帰るのが習慣になっていました。それでもお酒は日本に居たときほど飲まなかったので、かなり弱くなっていると思います。飲み会のお誘いは大歓迎ですが、お手柔らかに。

英語の方はまだまだ修行中ですが、一つ言える事は、多少自信のあった日本語の文章力がどこかへ飛んでいってしまったということです。漢字なんて小学校中学年くらいのレベルかもしれません。帰国後に友達と食事をしていて、よく日本語を聞き間違ったりするのは致命的だと感じました。日本語のリスニング力落ちた・・。また、実は帰国前に、東南アジアをふらふら旅していました。

一年半前、NGOのツアーでカンボジアへ行ったときに、これ程早く同じ場所へ戻るとは考えてもいませんでした。そのとき感じたことと今回見聞きし、体験してきたことはまた大きく違っていたりして、すごく新鮮でした。第一、今回は一人ぼっちの旅立ったので。

前回の旅行の際には、「カンボジアレポート」と題してブログで連載をしていましたが、途中で挫折してしまったわけです。今回もこの旅で見てきたものを特集しようと思います。僕が何を思い、何を見てきたのかも含めてお楽しみに。

では、今日からこのブログを復帰します。