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インドネシアの中小企業にとって社会保障は負担か?

ペーパードリップ(Paper Drip)は「3分で学術論文の要点を読む・読ませる」を実現する企画です。研究者は端的に要点をまとめ、実務家は短時間でエビデンスを把握し、実務へ活用する。エビデンスを政策の現場へ届けたい研究者と、時間に追われる実務家の橋渡しを目指しています。

著者名
Nina Torm

論文の題名
To what extent is social protection associated with better firm level performance?: A case study of SMEs in Indonesia

論文が答えようとしている問い
インドネシアの中小企業にとって社会保障は負担か?

政策メッセージ
インドネシアの中小企業経営者が従業員に社会保険を適用することは、売上への先行投資となる。

分析手法
中小企業の社会保険支出が与える売上・利益への影響を計量分析したもの。インドネシア工業調査(Indonesia Manufacturing Survey)の2010年から2014年のデータを分析に使用した。6,092社(各年1,523社)のパネルデータ。

分析結果
中小企業による社会保険支出の10%の増加は、売上を2%押し上げた。一方、社会保険支出の増加に起因する利益の減少は確認されなかった。

URL
https://www.ilo.org/wcmsp5/groups/public/—asia/—ro-bangkok/—ilo-jakarta/documents/publication/wcms_714115.pdf

経済成長はカンボジアの慢性的貧困を改善したか?

ペーパードリップ(Paper Drip)は「3分で学術論文の要点を読む・読ませる」を実現する企画です。研究者は端的に要点をまとめ、実務家は短時間でエビデンスを把握し、実務へ活用する。エビデンスを政策の現場へ届けたい研究者と、時間に追われる実務家の橋渡しを目指しています。

著者名
Ippei Tsuruga

論文の題名
Chronic poverty in rural Cambodia: Quality of growth for whom?

論文が答えようとしている問い
経済成長はカンボジアの慢性的貧困を改善したか?

政策メッセージ
経済成長によって消費は改善したが、慢性的貧困の根本的な原因の解決には至らなかった。世帯消費のみに基づき貧困削減政策の対象選定を行うと、支援を最も必要とする慢性的貧困世帯を対象外とするリスクがある。

分析手法
全国規模で実施された2つの調査から得られた定性的データ(参加型貧困アセスメント)と定量的データ(家計調査)を組み合わせることで、2004年と2010年の多次元慢性的貧困率を推計・比較。

分析結果
世帯消費を基準とする従来の方法で推計された貧困率は大きく改善したが、多次元慢性的貧困率は11%のまま変化がなかった。経済成長は確かに慢性的貧困層の消費水準も底上げしたが、貧困の悪循環を根源から断ち切るために必要な生産的資本や人的資本の拡充を促すには至らなかった。また、慢性的貧困世帯は、労働力人口の割合が低く、子供の割合が高く、母子家庭や少人数世帯である傾向があった。

URL
https://www.jica.go.jp/jica-ri/publication/workingpaper/jrft3q00000026r7-att/JICA-RI_WP_No.104.pdf

あなたの論文が読まれない理由

私たちは読むことに疲れてしまった。1970年から2017年までの一流学術誌を分析した研究がある[1]。この約50年間で、論文の平均的な長さは16ページから50ページとなった。論文の審査に当たる査読者は、駄作の可能性がある40-60ページの論文を読まなければならない。コンピュータの普及によって人が書くスピードは飛躍的に向上した一方、読むスピードというのは然程変わるものではない。査読者の苦労を経て出版された論文でさえ、読むのに3倍の時間を要するようになった。

この結果、読まれない論文が日々大量生産されている。たとえば、世界銀行が出版した政策文書の13%は250回しかダウンロードされず、31%は一度もダウンロードされず、87%は一度も引用されていなかった[2]。多額の費用と時間をかけて世に送り出された研究結果の多くは、誰の目にも触れず、研究者の履歴書の一行を飾るだけの自己満足の産物となっている。

また、国際機関が出版する政策文書の発行プロセスはどうだろう。学術誌のような厳しい査読や剽窃の審査プロセスはなく、コピー・アンド・ペーストによる使いまわしが横行してはいないか。たとえば、長い報告書を作成した場合、読みやすさに配慮した要点のみの文書を作成することがある。文書の本質に変更はないので大部分は同じ内容だが、別の文書番号で出版される。こうして同じような文書が世の中に氾濫する。

ここで言いたいのは、剽窃が良いとか悪いとかではない。同じような文書が世の中に溢れ、疲れ切った私たちはどうすべきか。そこに光を当てたい。

専業の研究者でさえ論文を読むことに疲れてしまった今、実務家がエビデンスを集めるにはどうすべきか。国際機関で政策の仕事をしていると、若手コンサルタントを雇い、文献調査を行ってもらうことが多い。つまり、短時間で要点のみを凝縮してもらう作業だ。

これが実務家側ができる最大限の努力。一方、研究者から実務家へエビデンスを届ける動きがあっても良いのではないだろうか。このような問題意識から、3分で学術論文の要点を読む・読ませる試みを考えた。大量の情報処理に追われる実務家には、ドリップコーヒーができるまでの数分しか残されていないのかもしれない。

ペーパードリップ(Paper Drip)とは?
 

「3分で学術論文の要点を読む・読ませる」を実現する企画です。エビデンスを政策の現場へ届けたい研究者と、時間に追われる実務家の橋渡しを目指しています。学術誌に掲載された論文はもちろん、ワーキングペーパー(未発表の論文)、大学院のタームペーパーや修士・博士論文など、開発政策に役立つと思われる論文を紹介してください。

ペーパードリップへ投稿する方法

ペーパードリップは文字通り、ろ紙でコーヒーを抽出する簡易な方法として広く愛されています。論文の美味しい部分を抽出(ドリップ)して、実務家へ届けてみませんか?

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[1] Leubsdorf. 2018. Economists can’t write economically, driving demand for brevity. Note: Standardised mean length of articles in American Economic Review, Econometrica, Journal of Political Economy, Quarterly Journal of Economics, Review of Economic Studies.
[2] Doemeland and Trevino. 2014. Which World Bank reports are widely read?

障害と社会保障に関する共同声明

障害と社会保障に関する共同声明。ジュネーブ勤務時に関わっていたものがようやく公開。国際機関やNGOのほか、日本からはJICAのロゴも入っています。 さらに読む

社会保障の未来を議論する政労使会合、ASEAN諸国

バンコクで開催された第15回ASEAN労働高級事務者会合(Senior Labour Officials’ Meeting: SLOM)にあわせ、ILOは「社会保障の未来」を議論する政労使会合をASEANと共催しました(日本政府からの任意拠出金によって運営)。

7月4日にパネルディスカッション形式で行われたハイレベル会合では、東南アジア諸国が今後直面する課題、必要となる施策、社会保障のあり方、政労使の役割について議論しました。7月5日の専門家会合では、インフォーマル経済への社会保障の適用拡充と少子高齢化社会へ向けた社会保障の対応について議論しました。

ILOは「仕事の未来イニシアチブ(Future of Work)」を立ち上げ、政府、労働者、使用者の各国代表と議論を進めてきました。先月開催された第108回ILO総会では、「仕事の未来を人間中心の視点で見る」宣言が採択されています。社会保障分野については、「全ての人に開かれた包括的で持続可能な社会保障の機会」が必要な政策措置として宣言文に盛り込まれています。

上記の会合は東南アジアに焦点を絞った議論を行うきっかけを作ることを目的としており、今後、ASEAN諸国の取り組みや議論をILOは引き続き支援していくこととなります。

なお、今回の会合で使用したすべての資料はこちらで公開しています。

社会的保護の未来ILO/ASEANセミナーの報告

7月に開催したセミナー報告に代えて、ILO東京事務所のツイッターを貼っておきます。セミナーで使われた資料等はすべてウェブサイトへアップしていますのでご覧ください。 さらに読む

東南アジアの社会保障の未来を考える

私が所属する国際労働機関(ILO)は、創設100周年の節目の年を迎えています。現在の国際連合(United Nations)が成立したのは第二次世界大戦後の1945年。ILOの歴史は古く、第一次世界大戦後の1919年です。

この100年を振り返ると、数えきれないほどの戦争と経済危機が世界で起きました。東南アジアに目を向けてみても、独立戦争、インドシナ戦争、多くの内戦、アジア経済危機など、数えきれないほどの歴史的事象が思い浮かびます。

では、次の100年はどのような世紀になるのでしょうか。ILOは「仕事の未来イニシアチブ(Future of Work)」を立ち上げ、政府、労働者、使用者の各国代表と議論を進めてきました。先月開催された第108回ILO総会では、「仕事の未来を人間中心の視点で見る」宣言が採択されています。

仕事の未来は、悲観的なものでしょうか。技術革新や働き方の多様化によって失われる仕事はあるでしょう。しかし、同時に新たな仕事も生み出されることとなります。これまでがそうだったように、これからの労働市場も変化に富む100年を迎えることとなります。

私が携わる社会保障分野については、「全ての人に開かれた包括的で持続可能な社会保障の機会」が必要な政策措置として宣言文に盛り込まれています。

労働市場の変化への対応が個人に求められる一方、個人で対応しきれないリスクを社会全体で分散する仕組みを政策に携わる者は考えていかねばなりません。

7月4日、東南アジアの政府、労働者、使用者の代表がバンコクに集います。仕事の未来を更に掘り下げ、「社会保障の未来」を議論する機会を設けました。ILOとASEANの共催会合となります。この会合は、日本政府(厚生労働省)からの任意拠出金によって運営されています。

東南アジアの社会保障が直面する課題は何か。どのような対応が必要となるか。政府の役割は何か。ぜひ、セミナーハッシュタグ(#SPASEAN)を付けてSNSで意見を発信してみてください。

オープンデータは進まない

オープンデータの議論が沸いている。役所にとってのメリットは、研究者が勝手に分析してくれることらしいが、役所側のデータ公開にかかる手間は尋常ではないので、役所にとって割に合わない気がして、日本では進まないと思う。 さらに読む

社会保障改革を進めるアジア

開発途上国における社会保障政策は、その他の経済・社会政策と比較して後手に回りやすい分野である。社会保障制度は税と保険料を財源とするが、支払い能力の乏しい自営業・零細企業が大多数を占める環境では財源確保が難しい。低所得国の重要財源である先進国からの無償資金協力は先細り傾向にあり、収益性を求める有償資金協力も社会保障政策に対する援助には馴染まない。こうした理由から政府は自己財源で制度運用するための経済環境を整えるべく、雇用創出と所得向上のための経済政策を優先せざるを得ない。したがって、開発途上国における社会保障政策は最優先課題となりにくい。

しかし、好調な経済成長を背景に多くの低所得国が中所得国の仲間入りを果たしつつあるアジアでは、開発政策における社会保障制度整備の優先度が上がっている。急速に進む少子高齢化への対策、経済成長に取り残された労働者への支援、将来訪れるであろう経済危機への制度整備、インフォーマル経済への対応など、アジア諸国が社会保障制度拡充を通じて向き合わなければならない課題は多い。

国際労働機関(ILO)は第202号勧告で社会的保護の土台(Social Protection Floor)という概念を示し、最低限の所得と保健サービスへのアクセスをすべての人々へ保障することを社会保障の大きな役割としている。そのアプローチの本質は、平面的な適用拡大と垂直的な保障範囲・金額の拡充である。

開発途上国はどのような課題に直面し、社会保障を通じてどのように課題を解決しようとしているのか。本稿では社会保障制度改革に取り組むアジア諸国(特にインドネシアおよびベトナム)を題材にして考えてみたい[1]

社会保障を通じた雇用の質の改善を急ぐアジア諸国

雇用の質の改善がアジア諸国の喫緊の課題となっている。高度経済成長を続けるアジア諸国では多くの人々が貧困から脱し、中間層の仲間入りを果たしてきた。世界経済の牽引役として好調な経済状況を背景に、アジア大洋州地域では引き続き雇用創出が継続する見通しである。2019年には約2,300万人が新たに就労し、失業率は低水準(4.2%)を維持する見込み。東南アジア諸国に限れば、極めて堅調な経済状況を背景に雇用機会の拡大が続き、失業率も低水準に抑えられる見込みだる。インドネシア(4.3%)、ベトナム(2.1%)、ミャンマー(0.8%)、ラオス(0.7%)、カンボジア(0.2%)に限れば、世界の失業率(5.6%)を大きく下回る数字である。

一方、ILOの推計では、アジアで暮らす9億人の労働者が不安定な雇用形態(Vulnerable Employment)に甘んじている[2]。これはアジアの就業者の約半数が「働きがいのある人間らしい仕事(Decent Work)」に就くことができない状況を意味している。このような雇用形態で働く人々は世界に14億人おり、そのうちの9億人がアジアで暮らしている。彼らは正式な雇用契約に基づかない不利な労働条件、労働者の保護が行き届かない劣悪な環境、社会保障の適用が無い状況で就労している。また、就労しているにもかかわらず一日あたり3.10ドル未満で生活する「働く貧困層(ワーキングプア)」の問題も未解決の課題である[3]

社会保障は雇用の質を担保する要因の一つであり、適用率の拡大が喫緊の課題となっている。たとえば、高齢者に占める老齢年金受給者の割合はインドネシアで14%、ベトナムで40%に留まり、労働人口(15-64歳)に占める社会保険加入者の割合はそれぞれ8%と21%で極めて低い水準にある[4]。社会保障が就労時の加入実績に基づいて給付されることを鑑みれば、極めて低い加入・適用率は将来の課題でなく、今取り組まなければならない問題と言える。

また、東南アジア諸国では既存制度の保障範囲の拡充や効果的な運用へ向けた制度改革も課題となっている。たとえば、インドネシアでは労働災害保険制度への加入が全ての労働者に義務付けられているが、労災給付は一時金給付に限定され、定期給付が導入されていない。また、ILOの技術協力を得て老齢年金保険制度が導入されたことは大きな進展となったが、適用範囲が中規模・大規模企業の従業員に限定されており、自営業・零細企業の労働者への段階的な制度拡充が課題となっている。ベトナムも同様にILOの技術協力を受け、老齢年金制度の適用率の改善や持続可能な財務体質の構築に取り組んでいる。

こうした状況を踏まえれば、経済成長を追い求めるアジアの低中所得国が、雇用創出や労働供給などの量的側面だけではなく、雇用の質にも配慮した経済・社会政策に取り組む合理性が見えてくる。持続可能な開発目標(SDG 8)は、「すべての人々のための持続的、包摂的かつ持続可能な経済成長、生産的な完全雇用およびディーセント・ワークを推進する」としており、雇用の質の改善が各国の責任となっている。そして、リスクを労働者間で共有し、有事の際の所得保障を行う社会保障の役割は大きい。

雇用保険制度の導入を議論するインドネシア

インドネシアで雇用保険制度の導入が議論されている。現在の社会保険制度は、労災補償、死亡保障、年金保障、老齢保障の4本立てとなっており、労働社会保障実施機関(BPJS Employment)が実施を担っている。ここに5本目の柱として雇用保険制度を新たに導入するための議論が展開されている。東南アジア諸国で雇用保険を導入している国はタイ、ベトナム、マレーシア、ラオスの4カ国しかない。G20の仲間入りを果たし、巨大な労働市場を擁するアジアの大国が雇用保険を導入すれば、他の中所得国の制度導入へ向けた波及効果も期待できる。

インドネシアの失業率は5%前後であり、相対的には低い水準にある。しかし、絶対数で考えれば700万人前後の失業者がいることとなる。労働市場の規模を考えれば把握できていない失業者は更にいると考えるのが自然であり、事業主と700万人以上の労働者が日常的に解雇や退職の話し合いを行っているのである。

雇用保険制度がないインドネシアでは、失業した労働者は公的な補償を受けることができない。たしかに、インドネシアの現行法では事業主が退職金を支払う義務を負っている。しかし、事業主が退職金を分別管理して積み立てているわけではなく、事業会社の倒産に際しては、様々な債権者によって財産の差し押さえが行われ、退職金が労働者へ支払われることは極めて稀とされている。雇用保険制度がない現状では、失業者に対する補償は国ではなく、実質的に企業が担うこととなっている。解雇のたびに話し合いが設けられ、退職金の有無や多少が労働者と議論される。

本来、国民が不安なく生活できるための社会保障制度を用意するのは国の責任であり、企業や個人がその責務を代替することはできない。これが日本であればどうか。労働者と事業主がそれぞれ保険料を負担することによって、失業給付制度が運営されている。更に、事業主が追加で納める保険料によって雇用保険二事業(雇用安定事業・能力開発事業)が運用されている。労働者に対する失業保険と積極的雇用政策の両輪を兼ね備えた、雇用保険制度が日本には存在する。

インドネシアに雇用保険制度ができれば、失業者の保護は国の責任となり、企業や個人は保険料を納めることによって解雇・失業に伴うリスクを軽減することが可能となる。さらに、積極的雇用政策が機能し始めれば、失業者は職業安定所で仕事の紹介を受けたり、研修制度を利用してスキルを身に着ける機会を得ることができるようになる。労働者は自分のスキルを活用した仕事を見つけ、企業はミスマッチを避ける。公的サービスが提供されることによる労働環境の改善が期待できる。

2018年はインドネシアにとって、災害の年となった。特に大規模な地震による被害が拡大し、多くの労働者が避難生活を余儀なくされた。震災が多い日本には、震災失業という言葉がある。震災に伴う失業のことで、インドネシアのように日本と同等に災害が頻発する地域への教訓は多い。震災が起きた際、休業を余儀なくされる会社が増え、労働者は必然的に大量失業となってしまう。これが震災失業であり、雇用保険の役割は極めて大きい。

雇用保険のある日本では、東日本大震災の際に特例措置を適用した。実際に離職していなくとも失業給付が受け取れる仕組みであり、被災者の一時的な損失を緩和する役割を担った。また、被災の規模や復興ペースを見極め、政府は失業給付の給付期間の延長を実施した。これは雇用保険制度が整備されているからこそ、迅速かつ柔軟に対応できるものである。

インドネシアには雇用保険制度はない。地域経済が同時に破綻するようなケース(災害・恐慌等)では、企業が社員の所得補償を行うことは難しい。

インドネシアは今、労働環境を大きく改善するための重要な局面にある。政労使が膝を突き合わせて妥協案をまとめ、互いに納得のいく雇用保険制度設計を考える時期にある。現時点では制度設計やコンセプトを議論している段階だが、ILOは助言する機会を得ている。雇用保険制度や災害時の対応など、日本がインドネシアへ共有できる経験は多い。

少子高齢化に対応するベトナムの社会保険改革

ベトナムでは世界で類を見ないペースで少子高齢化が進んでいる。しかし、現状では年金受給要件を満たす高齢者は極めて少ない。社会保障の観点から考えれば、老後の所得を補償する公的制度が整わない状況で少子高齢化が進んでいることが最大の課題である。

2018年5月に開催された第12回ベトナム共産党中央委員会(CPVCC)は、第28号決議案「社会保険改革に関するマスタープラン(Master Plan on Social Insurance Reform: MPSIR)」を採択した。同決議は社会保険の適用範囲を段階的に拡大し、すべての国民が社会保障の恩恵を享受できる社会を目指している。今回の決議は、中長期にわたる社会保障制度の全体像を明示し、政治的に約束したことに意義がある。

ベトナムの社会保険改革の柱は大きく3つあり、11項目の具体案が盛り込まれている。第一に、国民皆年金へ向けた公的年金制度の導入である。公的年金制度を三層構造へ転換し、すべてのベトナム国民が最低限の年金受給を保障される仕組みを構築する。第一層は、税財源も活用し、社会保険料を支払うことができない低所得者層も含めた基礎年金を目的とする。第二層は、社会保険料を財源とする強制加入部分。第三層は民間保険商品を活用した任意加入部分。第一層は日本の国民年金(基礎年金)、第二層は厚生年金、第三層は確定拠出年金に相当する。社会保障カバレッジの拡大と給付額の増額を可能にする仕組みの導入は、ILOの第202号勧告「社会的保護の土台」の原則とも合致する。

第二に、社会保障制度の適用範囲をインフォーマル経済へ拡大することが盛り込まれた。社会保険制度は伝統的に賃金労働者(企業で働く労働者)を対象として拡大してきた制度であり、東南アジア諸国が直面する巨大なインフォーマル雇用の実態は未知の領域である。ベトナムが課題の本丸へ切り込む意思表示をしたことはASEAN地域の前例としても意義深い。具体的には税財源の活用や給付要件の緩和など、インフォーマル経済で働く労働者が加入しやすい仕組みへ制度変更を行うことが盛り込まれている。

第三に、公的年金制度の持続可能な財源確保を実現するためのパラメータの調整が盛り込まれた。調整項目は多岐にわたり、退職年齢の段階的引き上げ、退職年齢の男女平等化、年金受給条件の緩和、保険料率の改定などの関連政策が含まれる。

少子高齢化の未来は、人口動態からある程度確証を以って予測できる。それだけに、公的年金への加入を促進し、保険料を徴収し、来たる少子高齢化時代までに潤沢な年金基金を確保する準備を今から始めなければならない。加入を促すために制度設計をどうすべきか。数年後の法制化へ向けた議論をILOは支援している。

インフォーマル経済と新しい労働形態への対応

巨大なインフォーマル経済への対応は、アジア諸国にとって喫緊の課題である。開発途上国の労働者の大多数は依然としてインフォーマル経済で生計を立てている。世界を見渡せば、サブサハラアフリカ、南アジア、東南アジアの労働者(非農業従事者)の約7割がインフォーマル経済で生計を立てている。これらの労働者は正規の雇用契約を持たず、社会保障やその他の保護を受けることができない状況で就労している。これに農業従事者を加えれば労働者のほとんどがインフォーマル経済で生計を立てている状況がよくわかる。

昨年、英国の開発研究機関ある海外開発研究所(ODI)が『Informal is the new normal』と題する論文を発表した。非正規雇用があたり前の時代となったことで、従来の政策が対応しきれない課題があることを指摘している。

たとえば、社会保障政策はこの典型例である。社会保障制度は伝統的に、企業で働く賃金労働者を想定して運用されてきた制度だ。会社に所属している労働者が保険料を会社と折半し、政府が提供する社会保険制度に加入することで、労働者とその家族が社会保障の傘に守られる。それがこれまでの社会保障政策の中心だった。しかし、開発途上国ではインフォーマル経済で生計を立てる労働者が大多数。先進国が築き上げてきた賃金労働者を想定した政策モデルを適用することは容易ではない。

たしかに、経済成長が急速に進む東南アジア諸国を見ていると、経済の発展段階に応じた経済構造転換によって、より多くの労働者が正規雇用を獲得していく傾向は歴史が証明しており、少なからず予想できる。実際、1991年の農業就業人口は全体の57.1%だったが、2016年には30.2%まで縮小し、第三次産業の就業人口は18.7%から34.6%まで急速に拡大した。第二次産業の就業人口は相対的に増えていないことや急速な都市化が進んでいること鑑みれば、農業からサービス業への経済構造転換が加速していると考えられる。

しかし、産業別にフォーマルセクターとインフォーマルセクターの二項対立では、これからの雇用問題を正確に捉えることは難しそうだ。クラウドワーカーのようにインターネットを通じて単発の仕事を受注する労働者が増え、そうした新しい経済形態を表す言葉として「ギグエコノミー」が登場して久しい。2006年に東南アジアをはじめて訪れた際、我が物顔で路上を埋め尽くすトゥクトゥクやバイクタクシーに心躍らせた記憶が懐かしい。それが今ではどうか。UBERやグラブタクシーが主流となり、ありとあらゆる手で客を呼び込もうとする路上タクシーのたまり場は少なくなった。スマホの中で客を捕まえる時代となったわけだ。東南アジア諸国では、このような新しい労働形態で生計を立てる労働者に対する社会保障制度拡充を検討する会議が日々行われている。

技術の発達によって生まれた新しい経済形態は歓迎すべきものだ。一方、政策を考える立場としては、新しい時代への対応に奔走しなければならない。それが東南アジアの「今」なのかもしれない。新しい経済形態が普通になる日は、もう既に訪れている。

アジア諸国は先進国が歩んできた伝統的な社会保障制度に倣い、新しい課題へ対応する政策を盛り込む必要性に直面している。そうした試みが、様々なリスクを軽減するための社会保障の拡充へと繋がり、雇用の質の改善に繋がるのである。

この記事はWORK & LIFE世界の労働に掲載されたものです。


[1] ILOは日本政府の任意拠出金によって、アジアにおける社会的保護制度整備支援事業を実施している。本稿で紹介するインドネシアの雇用保険制度整備、ベトナムの社会保険改革、インフォーマル経済への社会保障拡充に関する議論は、同プロジェクトを通じて技術協力を実施している関連事項である。
[2] ILO. 2018. World Employment and Social Outlook: Trends 2018.
[3] たしかに、2007年から2017年の間に労働人口の44%から23%へ改善が見られたことは、前向きな成果といえる(東南アジア大洋州に限定すれば労働人口の20%がワーキングプア)。ただ、状況は改善傾向にあるものの依然として高い水準にあると言える。
[4] ILO. 2018. World Social Protection Report 2017-19.

被災するインドネシア、地震と失業と雇用保険

インドネシアで地震による被害が拡大している。この国で社会保障整備を仕事としている身としては、どこかのタイミングで災害と社会保障についてプレゼンせねばと思っている。

まず、今回の震災で多くの方が死亡している。インドネシアの社会保険に加入している労働者は死亡保障給付は制度化されているが、大多数の非正規雇用者は加入できていない。また、そもそも、死亡保障給付は労働災害補償として運用されていることから、労働関連での死亡に限られる。労働中の被災による死亡が給付要件を満たすかは不透明で、おそらくほとんどのケースは給付要件を満たさないと判断されるだろう。

震災が多い日本には、震災失業という言葉がある。震災に伴う失業のことで、インドネシアのように日本と同等に災害が頻発する地域への教訓は多い。震災が起きた際、休業を余儀なくされる会社が増え、労働者は必然的に大量失業となってしまう。これが震災失業であり、雇用保険の役割は極めて大きい。

雇用保険のある日本では、震災の際に特例措置を適用した。実際に離職していなくとも失業給付が受け取れる仕組みであり、被災者の一時的な損失を緩和する役割を担う。被災の規模や復興ペースを見極め、政府は失業給付の給付期間の延長を行うこともある。これは雇用保険制度が整備されているからこそ、迅速かつ柔軟に対応できるもの。

インドネシアには雇用保険制度はない。あるのは企業の退職金制度で、法律で義務化されている。これは社会保障制度ではなく、企業責任の範囲である。地域経済が同時に破綻するようなケース(災害・恐慌等)では、企業が社員の所得補償を担うことは難しい。企業責任の限界である。

現在、インドネシアでは雇用保険制度の導入が議論されている。制度設計やコンセプトを議論している段階だが、ILOは助言する機会を得ている。今回の震災も一つの題材として議論に取り上げてもよいかもしれない。