ネアックルンの船着き場は心の中に-つばさ橋の裏側
2015年4月6日、カンボジア南部カンダル。ネアックルン橋が開通し、通称つばさ橋と名付けられた。日本の援助の長年の夢だった。プノンペンとホーチミンをつなぐ経済回廊。カンボジア・日本の一大プロジェクトがここに完結した。
その華々しい表舞台の裏側で、ひっそりと役目を終えたものがある。メコン川を東西に渡すネアックルン・フェリー。その小さな船着き場は、旅人にとって休息の場であり、売り子たちにとって生活の場だった。
ネアックルンはいつの時代もカンボジアにはなくてはならない街だった。そして、この船着き場は歴史を見守ってきた。
1973年8月17日、ベトナムサイゴン。弾薬輸送船に乗り込み戦火のプノンペンを目指した日本人がいた。戦場カメラマン一之瀬泰三。クメール・ルージュ支配下のアンコールワットを写真に収めるため、生存率30%の船に乗り込んだ。
サイゴンからプノンペンへ行く途中、一之瀬はどんな思いでネアックルンを通過したのだろう。両岸から集中砲火を浴びながら通ったメコン川に、今は大きな橋が架かっている。命がけで目指し、命尽きたアンコールワットへは日本からの直行便がある。
2006年3月25日、プノンペンからスバイリエンへの道中、私はその船着き場にいた。未舗装の街は車とバイクと人と人。カツカツと音がする方向を見ると、車窓を叩く麦わら帽子。笑顔を振りまく物売りのおばちゃんと、悲壮な表情で花を売る少女たち。缶ジュース、カエルの干物、茹でたタガメ、たばこ。活気に満ち溢れたカンボジアが脳裏に焼き付いた。
渡し舟はその役目を終えた。船着き場のおばちゃんや子供たちはどこへ行ったのだろう。うまくやっているだろうか。長い歴史の中で、一つの変化が多くの夢を叶え、人生を変える。日常が歴史となり、思い出となる。
ネアックルンの船着き場は、もうそこにはない。私たちの心の中にある。
Author: Ippei Tsuruga The Povertistの編集長。アジアやアフリカでの開発援助業務に従事する貧困問題のスペシャリスト。貧困分析や社会政策を専門とし、書籍・論文も執筆。