外部メディアに掲載された記事の一覧です。

被災するインドネシア、地震と失業と雇用保険

インドネシアで地震による被害が拡大している。この国で社会保障整備を仕事としている身としては、どこかのタイミングで災害と社会保障についてプレゼンせねばと思っている。

まず、今回の震災で多くの方が死亡している。インドネシアの社会保険に加入している労働者は死亡保障給付は制度化されているが、大多数の非正規雇用者は加入できていない。また、そもそも、死亡保障給付は労働災害補償として運用されていることから、労働関連での死亡に限られる。労働中の被災による死亡が給付要件を満たすかは不透明で、おそらくほとんどのケースは給付要件を満たさないと判断されるだろう。

震災が多い日本には、震災失業という言葉がある。震災に伴う失業のことで、インドネシアのように日本と同等に災害が頻発する地域への教訓は多い。震災が起きた際、休業を余儀なくされる会社が増え、労働者は必然的に大量失業となってしまう。これが震災失業であり、雇用保険の役割は極めて大きい。

雇用保険のある日本では、震災の際に特例措置を適用した。実際に離職していなくとも失業給付が受け取れる仕組みであり、被災者の一時的な損失を緩和する役割を担う。被災の規模や復興ペースを見極め、政府は失業給付の給付期間の延長を行うこともある。これは雇用保険制度が整備されているからこそ、迅速かつ柔軟に対応できるもの。

インドネシアには雇用保険制度はない。あるのは企業の退職金制度で、法律で義務化されている。これは社会保障制度ではなく、企業責任の範囲である。地域経済が同時に破綻するようなケース(災害・恐慌等)では、企業が社員の所得補償を担うことは難しい。企業責任の限界である。

現在、インドネシアでは雇用保険制度の導入が議論されている。制度設計やコンセプトを議論している段階だが、ILOは助言する機会を得ている。今回の震災も一つの題材として議論に取り上げてもよいかもしれない。

国連機関邦人職員インタビュー 国際労働機関(ILO) 敦賀一平さん

今回は、国際労働機関(ILO)のアジア太平洋総局(バンコク)で、社会保障プロジェクトのプロジェクトマネージャとしてご活躍中の敦賀一平さんに、オンライン・インタビューをおこないました。敦賀さんは、ジュネーブのILO本部からバンコクに異動されて、9月で半年になります。

–    ジュネーブからバンコクに移っていかがですか?

私生活は随分変わりました。ジュネーブではほとんど人に会うことは無かったですが、バンコクは道路に出れば人はたくさんいますし(笑)。職場の環境としても、オフィスワークというのは変わらないのですが、ジュネーブはリサーチが主な仕事であったのに対して、こちらでは人に会う機会が多いので、実際に顔を見せて、支援される国の人と会いながら仕事ができる、そういう違いはありますね。相手がいる仕事により近くなったので、締切りがある仕事が多くなった、ということはより忙しくなったということはあるんですが(笑)。ジュネーブでは、あくまでもリサーチで質の高い文章を作ることに重きがある仕事をずっとやっていたので、随分生活は変わりました。

–    敦賀さんとしては、より充実感を感じている、ということでしょうか。

そうですね、ジュネーブで2年間、同じ社会保障局で仕事をしていましたが、リサーチを2年間やっていて、デスクレビューを中心にやっていた時に比べると、人の顔が見えるということで、リアリティを持って仕事ができるというか、本の中だけで仕事をしていないという、手に取るような感覚があります。この5ヶ月はより充実しているかな、と個人的に思います。どちらがいいかという話ではないですが、違う仕事の種類で、十分楽しめているという感じですね。

–    敦賀さんは、バンコクの前はジュネーブにいらっしゃって、その前はJICAで勤務されていらっしゃいましたが、簡単に現在のポストに至るまでの経緯を教えていただけますか。

元々、北海道の田舎生まれ・田舎育ちで、学部まで国内にいて、そのあとイギリスの大学院に一年修士号を取りに行きました。イギリスの大学院を卒業した後、JICAに新卒で入るまでに半年間時間があったので、そこでインターンとしてたまたま拾ってもらった、というのがILOとの最初のつながりです。

–    それは、どちらの国ですか。

ILOのカンボジア・オフィス(プノンペン)で、2009年だったと思います。児童労働のIPEC (International Programme on the Elimination of Child Labour)というプログラムがありました。大学で社会保障も若干学んできたというベースがあったので、「子供と社会保障」みたいなトピックでインターンシップを半年間させてもらいました。

–    その後で、JICAに就職されたのですね。

そうですね、新卒で2010年の4月に入社して、最初の2年間はアフリカ部に籍を置き、ケニア・ナイジェリア・ソマリア・エリトリアの国を担当していました。東京のデスク・オフィサーという形ではあったのですが、そこからアフリカに出張して、現地調査や現地のカウンター・パートと話をしながら、新しい案件の企画・形成、実際に動いている案件のモニタリングと評価、そういったオーバーオールで見るような仕事をしていました。簡単に一言でいえば、日本のODAのそれぞれの国の戦略を作るようなところから、個別の案件の企画・形成までやった、という感じですね。それが新人時代の2年間です。次の2年は、東京の市ヶ谷にあるJICAの研究所に所属していました。そこでは、海外の研究機関との共同研究を中心に仕事をしていました。自分が研究者としていたというよりは、また共同研究の企画やマネージメントを主にやっていて、自分のキャパがある限り、一緒に研究会に参加させてもらったり、自分のペーパーを書いて出したり、ということをしていました。その次の2年間は、アメリカのワシントンDCのJICAオフィスに駐在することになりましたが、そこでも同じような仕事をしていましたね。JICAの研究所で取り組んだ共同研究の相手がアメリカにもたくさんいるので、そことの連携を現地で引き続きやりました。ちょうどSGDsが採択される年(2015年)だったので、その関連のフォローもしていました。その頃にJPOに受かったことから、JICAを退職して、ILOのジュネーブの社会保障局に入りました。2年の活動を終えて、今ここにたどり着いた、という感じですね。

–    現在の仕事の概要、やりがいや大変さを教えて頂けますか。

今の仕事の概要としては、日本の厚生労働省から、ILOが任意拠出金として頂いている予算を元に、社会保険の案件があり、そのプロジェクト・マネージャという立場で仕事をしています。具体的には、3つのコンポーネントがあって、一つ目はASEAN事務局。Regional Projectなので、ASEANの地域全体を見渡して、大きな課題の一つである、インフォーマル経済で働く人達の社会保障の拡充の政策をどうするか、という壮大な調査案件が一つあって、皆でリサーチをしています。もう一つは、ベトナムの仕事をバンコクから見ています。ベトナムでは、社会保険改革、おもに公的年金制度の改革に、このプロジェクトを通じてILOが携わっています。これまでのベトナムの公的年金制度は、全ての人が恩恵を受けるという形にはなっていなかったのですが、そこをより広い人々が加入できる、年金を受け取れるようなシステムに、ベトナム政府と一緒に変えていく、という改革のお手伝いをするということをILOがやっています。私は途中からこのプロジェクトに加わり、今も継続しています。三つ目は、インドネシアの仕事です。インドネシアでも、インフォーマル経済の社会保障の拡充という取り組みを進めていて、調査研究もやっていたんですが、私が着任した3月下旬から、プロジェクトの中で何か一つ支援を大きな柱としてできないかな、と考えていたときに、インドネシア政府の方からILOにかねてから支援の要請があった雇用保険の導入について、ILOがこのプロジェクトを通じて支援しよう、ということにしました。この半年間は、新しいプロジェクトを立ち上げるのではなく、既存のプロジェクトの限られたリソースの中で、今まさにインドネシアがやろうとしていることのお手伝いができないかな、ということで、全く無かった失業保険・雇用保険といった制度の導入をするために、様々なな企画を作っているところです。

–    バンコクのアジア太平洋総局に籍を置きながら、実際はインドネシア・ベトナムにいるのが大半、ということでしょうか。

そうですね、月の一週間ずつベトナムとインドネシアにいますね。それであまりにも出張が多いので、最初はビックリしましたが、最近徐々にバスに乗るような感覚で飛行機に乗れるようになってきて(笑)。先日、飛行機に乗った数を数えたら、乗り継ぎを併せてこの5ヶ月間に50本に乗っていて.. タクシーの中で過ごしてる時間とか空港で待っている時間を有効に使う方法を考えなくては、と感じています。それが大変さということに繋がるのかもしれないですけど、ジュネーブからバンコクに移ってきて、生活の仕方が変わったということでしょうか。時間の使い方を変えないと、どこでも仕事ができるようにしないと、という大変さがありますね。

–    飛行機の中では、どんな事を考えているのですか。

休めればいいのですが、ほとんどのケースは時差もないので。仕事をするようにしていますね。ベトナムは片道一時間半、インドネシアは3時間半掛かります。到着してから車の中では作業ができないので.. 、行くときは出張の準備をして、帰りの便では出張の報告書を書いたり。どういうことかというと、まだ頭の切り替えというのがうまくできなくて、ベトナムの仕事をインドネシアにいながらやる、というのが私の場合はまだ難しいんです。だから、ベトナムに行くときにベトナム・モードに切り替えるために、コンサルタントの人からもらったベトナムに関する資料を読む込む、というような頭の切り替えをする時間に、行きの飛行機は使っている、という感じですね。

–    その大変さと比例してやりがいも大きいですか。

そうですね。やはり今目の前で動いている事を扱っている感覚があるので、やりがいはすごくありますね。やりがいを通り越して、毎日が必死ですけど。あともう一つは、私の下にスタッフがいるんです。ベトナムに2人、インドネシアに2人、バンコクに1人と計5人いて、それぞれ違う国で仕事をしているのですが、私が管理・指示を出す必要があって、これは結構難しいな、とまだ思っています。チームがうまく機能し始めれば、すごくやりがいを感じるんでしょうけれど。まだ5ヶ月目で、このプロジェクト自体は、あと半年ちょっとでひと段落着きますので、その中でチームを作っていく、調和を保っていく、という難しさもあります。その間にスタッフもやめたりしますから。やはりプロジェクトの契約なので、次の仕事を探す人もいます。スタッフがいなくなったところを穴埋めするのも私しかいないので、そういう大変さはありますね。

–    敦賀さんは、仕事もさることながら、ウェブサイト(ippeitsuruga.com)、途上国の貧困と開発を深掘りするオンラインマガジン『The Povertist』といったインターネット上の発信も活発になさっていますが、オンラインマガジンの運営をされる上でのやりがいや苦労があれば教えて頂けますか。

まず最初に始めたのは、The Povertistというオンラインマガジンの方で、元々ベースになっていたのが、私がずっと昔からやっていた個人のブログだったんですが、それはILOのカンボジアの事務所にインターンで行ったときから、もう10年近くやっています。その後、JICAで仕事を始めて一番強く感じたのは、皆発信しないじゃないですか。それで自分だけそうやって発信しようとずっと思っていたんですが、一人でやっているには限界があるなと思って。少し外に目を向けたときに、世界銀行であれば世銀のブログというのがあって、2010年ごろからずっと色んな機関のサイトを見ていると、職員個人が発信するという文化が徐々に始まってきて、今ではもう当たり前に、英語のプロフェッショナルたちは個人の言葉でツイッターなりSNSなり何でも発信してるじゃないですか。そういうのが全然日本では無かったと感じていたんですね。そこで、自分ひとりでやっていてもこの文化は創れないな、と思って。一人ひとりが自分の言葉で発信するようにならないと、日本の開発援助が世界とは戦っていけないという最初の問題意識がありましたね。自分だけでちまちまとブログを書いているのではなくて、皆が書きやすい場所を作る、というようにマインドセットをシフトし始めたのが、ここ3~4年ですね。あまりにも誰にも知られていないということだと誰も書きたいとは思わないので、ある程度は自分がたくさん書いて、まずはプラットフォームがあるという事を認識してもらうために、最初は孤独でしたけど、しばらくは自分ひとりで書いていましたね。皆が書く文化を創りたい、というモチベーションですね、最初は。ここ最近はありがたいことにたくさんの方が賛同して下さるようになって、私からあまりお声がけしなくても、ホームページ経由で寄稿してくれる方、執筆者として毎月書いてくれる方が少しずつ出始めていて、最近は自分が執筆するというより編集に徹することも多いですね。表記を整えたりの程度で、ほとんど私の方では編集しないですけど。皆さんが自由に発信する、そういう場ができればな、というやりがいですかね。皆が書けるようになったらいいな、というそれだけですね。ジャーナルの出版には、peer reviewとかたくさん過程があって、色んな人のコメントが入った上で世の中に出て行く文章があると。それはそれでいいと思うんですが、もっと早くタイムリーに、また短かったり不完全な文章でもとりあえず出す。そこで最近はSNSなどでも世間の反応が得やすいので、何か言われて納得するのであれば自分の考えをまた改めるきっかけにもなるし、そこからさらに新しいアイディアが生まれるかもしれない。自分の中で抱えていて、アイディアが育っていくこともあると思いますが、アイディアを表に出して、自分が置かれている状況で得た情報を世の中に出していくことで、他の人がそれを参考にすることもあるだろうし、自分にとってもいいことがあるだろうし。それを日本語でやる、ということによって日本の開発援助の業界全体がもっと自発的に動いていくような、自分で考える人達が増えることによって、中の人が語ることによって、組織力だけではなくて、個人の力を高める。日本のサッカーはパス回しがうまいけど、まだ個人の力が弱いので弱かったというのと、同じようなことだと思います。個人の力を強くすることによって、個人の発信力を強くすることによって、日本の国際協力業界が強くなると。その一つのきっかけになるような、発信のプラットフォームを作りたいな、と思ってきましたし、最近は少しずつ賛同してくれる人も出てきているので、もう少し頑張りたいな、と思いますね。個人のブログは、もう好き勝手書いているので(笑)。自分にとってのメモ帳みたいな感じですね。考えを書き留めておく。あとは世の中に文章を出すというのは、実名でやっているしそれなりに自分でリスクを負うので、自分の中ではテストケースな感じですね。世間はどういう反応をするのかな、というのをテストケースみたいな感じで書いている部分はありますね。それをいきなり皆のプラットフォームとしてのPovertistで書いてしまうとあまり冒険ができないというか、プラットフォームを作っている側としてはもう少ししっかりした記事をPovertistでは出さないと駄目だなと。自分のホームページであれば、試行錯誤しながら新しい書き方をしてみたりとか、新しい言葉の使い方をしてみることで、世間はどう受け止めるのか。グループで活動しているロックバンドのアーティストが、ソロ活動で新しいことをテストする、そんなイメージです。CHAGE and ASKAがCHAGE and ASKAとして楽曲を作るよりも、ASKAさん単体だとちょっと冒険ができる、そんなイメージだと思います(笑)

–    好きな本、座右の銘はありますか。

あまり本を読まないんです、実は。レポートとか誰かの記事とか文章はたくさん読むんですが、本をあまり読まないですね。漫画は読みます、手塚治虫の漫画とか。あとは、法学部だったので、青木雄二さんの『ナニワ金融道』とか、そういうのは読みますけど。本は読まないと駄目だな、と最近思い始めていて、色んな人にどういう本がいいか聞こうとしていますが。座右の銘は、昔から「井の中の蛙」の続きを考えるというのが好きですね。僕は田舎出身なので、最初から井の中の蛙なんですけど、世間知らずだからこそ挑戦ができるというか。あまり世の中を知りすぎると、自分がちっぽけに思えて、これはできないんじゃないかと考えがちになる。井の中の蛙でい続ければ、自分が見えてる空しか見えないじゃないですか。空は広いな、と思いながら、自分だけの世界で何か挑戦していくというのが、これまでもそうだったので。誰かを追いかけるというよりは、自分で新しいものを見つけていくというのが、自分に合っているのかな、という感じですね。これまでも、あまりモデルケースになる人というのはいなくて、新しいものを自分で考えて、新しいことに挑戦して、振り返ると恥ずかしいことをしたな、というのはたくさんありますけど。自分で考えながらリスクを取って動くというのができたのは、井の中の蛙であったからできたんだろうな、と思いますね。だからある意味、本を読まなくて正解だったのかもしれないですけど、これからは読んでいきたいと思います。

–    仕事もこれだけお忙しい中でPovertistやブログの更新まで、並大抵のことではないと思うんですが、こういうことを頑張る原動力は何かありますか。

Povertistは、プラットフォームを作りたい、というのが原動力ですね。僕らの世代より上の人で、自分の言葉で発信している人って、ほとんどいないと思うんですよ。もちろん偉い先生が自分の集大成として本を書く、というのはあると思うんですが、僕らのような平凡な人達が、自由に発信して、その発信したものが受け入れられていくというのが今あると思います。皆同じ土俵に立っているので、同じ土俵で発信する、新しい世代ですよね。僕らより上の世代は、そんなに発信してこなかったと思うので。今は自由なプラットフォームで、自由に発信できる場があるんだから発信していく。それによって新しいネットワークや見解や展開が生まれたりすると思うんです。そういうチャンスが目の前にあるので、出すことを恐れずに書いていくことで、新しい展開が生まれるのを見てみたい、そこですかね。いつ書いているんだ?ってよく言われるんですけど。バンコクに移ってからは、移動中に書いていますね。思ったことをスマホでツイッターに全部入れて、家でパソコンの前に座る時間があるときに、自分がツイッターで何を言ってたかなと振り返って、それを繋いで大きな文章にして、自分のブログに載せると。テストケースとさっき言ったんですが、基本的に下書きで自分のブログに載せていることが多くて(笑)、そこで反応が良かったもの、または自分で納得がいく発信になったようなものについては、Povertistの方に、参考文献とかを入れて、しっかりしたものを載せると。3段階ぐらいで、全ての媒体に完成度の順に出している、という感じですかね。暇だというのもあるのかもしれないですけど(笑)

–    今後のキャリア・プラン、あと夢があれば教えて頂けますか。

どの国連職員もそうだと思いますが、終身雇用が無くなって、自分の名前でどこまで行っても戦っていかないと駄目だと思うんですよね。それで博士課程に行く人もいれば、そうじゃない人もいる。正直、まだ一年先、二年先は見えていないですね。だけど、今やっている仕事がやりがいを感じながらできているので、一年は頑張ってみようと思っていますし、その後どうするというのは、それから見えてくるのかな、という気がしていますね。だからまだ2年先を考えられるほど、今の仕事を終えようという感じではないし、逆にこれからずっとILOで働いていきたいと言ったところで、そういう環境が自分に用意されているかも分からないので。今、目の前にあることをやりつつ、新しい機会を自分で作っていく。どうしても雇われの身のマインドセットを僕も持ってしまいがちなんですけど、もっと能動的に動けば、最近は政府からの資金だけじゃなくて、色んなパートナーシップが可能な時代だと思うので、仮にそれが自分の雇用とか、今やっているプロジェクトに直接関係無くても、何か新しい動きを自分で作っていけるキャリア・パスを作れるといいなと思いますね。それが自分の価値にもなると思うので。ILOのプロジェクトは、基本的には個人事業主の集まりのような感じなので。だから、自分で新しい動きを作っていける人が結果的には残っていくでしょうし、そういう人材になりたいとは思っています。夢は.. そうですね。国連でのキャリア・パスの話をずっとしてきたんですが、これからの時代を考えていくと、あまり組織に捉われる仕事だけを見ていても仕方ないのかな、と思っています。それがお金に繋がるのかは次の話で、お金に繋がらなくて何か面白いことがあれば仕事以外にもやったらいいと思うし、それが結果的にお金が回るような仕組みの話なのであれば、そのとき考えればいいと思うし。面白いことには色々手を出していきたいな、という感じです。夢らしい夢はないですね。日々一生懸命、生きています(笑)。

–    最後の質問ですが、敦賀さんはウェブサイト上でも公開でキャリア・アドバイスなどをされていますが、国際機関でのキャリアを目指している人達に一言アドバイスを頂けますか。

ウェブサイトでも、たくさん質問が来ますね。その中で一番多いのが、国連職員になるにはどうしたらいいですか、という率直な質問があって、たぶん多くの現役国連職員の人達はふざけるなと言って突き返していると思います。でも僕は割とまじめに答えていて、いつも言うのが、国連職員がゴールじゃない、というのは意識した方がいいということです。これまでもそうかもしれないし、これからはもっと国際機関のあり方が変わっていくと思うので。国際機関が政府からお金を貰う文化ではなくなりつつあり、民間企業からもどんどんお金が入ってきているし。国際協力のプレーヤーがどんどん変わっていく時代だと思うので。これまで活躍してきた人の本・ブログ・記事を読んで、描いてきた国際協力のイメージと、これから皆さんが接する国際協力のあり方はだいぶ違ってくると思います。どこまでいっても、自分が何をやりたいか、何に関心があるかというのを自分で考え始める、なるべく早く考え始める環境を作るのがいいのかな、と思いますね。色んな人の話を聞いて、色んな人の過去のエピソードを聞くのはいいんですが、自分が何をやりたいのか、関心があるのか、というのを自分の足で歩いて確かめてみたり、人に会いに行って話を聞くのもいいですし。自分の関心があるところから切り口を見つけてどんどん探していく、っていう姿勢が大事なのかなと思いますね。その一番最初の最初で、どうしたらいいですか、というのは僕のページにどんどん書き込んでいただければ、毎回同じような回答になるかもしれないですが、跳ねのけはしないので(笑)。アドバイスできることはします。これまでの国際協力と、これからの国際協力は恐らく違うので、自分で考える力を養う、というのをなるべく早い時からやっていくのがいいんじゃないかな、と思います。

–    お忙しい中、ありがとうございました。

聞き手:浅海誠(ILOジュネーブ本部/IT部門)

今、戦場に立っている

今、戦場に立っている。

戦の狼煙があがれば、政府、労働者、使用者が四方八方から一気に攻め込む。国際労働機関(ILO)は政策論争と政治の駆け引きが入り乱れる戦場のど真ん中に陣を構える。その役割は喧嘩の仲裁ではなく、全員が勝つための戦略を一緒に練ること。

開発援助というと異次元の話と捉える人が多い。私もそうだった。国際協力機構(JICA)で開発援助に携わった6年間。あくまでも部外者として開発途上国の政府を支援する立場。農民や受益者に想いを巡らせることはあれど、最終的には政府と仕事をする。

ILOは部外者であることに変わりはないものの、政府、労働者、使用者と仕事をする。たとえば、私が携わる社会保障政策。保険料は政府だけではなく、労働者や使用者も支払う。国民生活に直結する政策。そのため、重要政策の議論をする場合は、政府、労働組合、経済界の会合で3回同じプレゼンを行うことが多い。生活や利益に直結する政策が多いことから、立場の異なる意見や罵声に近いコメントがいつも寄せられる。国際会議にありがちな雲をつかむような議論はそこにはない。

戦場のど真ん中に立っている。

2019年4月に大統領選を控えるインドネシアでは、雇用保険制度の新設が選挙の争点となっている。ベトナムでは公的年金制度改革が進んでおり、国民皆年金へ向けた政策議論が展開されている。ILOは政労使と政策協議を重ね、制度設計だけでなく妥協点の模索も行う。新しい制度ができればすべての人が負担を被り、すべての人が利益を得る。見たこともない、聞いたこともない新しい制度を作るために、喧々諤々の議論が飛び交う国内政治のど真ん中に居座っている。

地域事務所のプロジェクトマネージャーとしての仕事はやりがいに満ちている。平穏で休暇中心だったジュネーブの生活に比べ、東南アジアの一日は長い。それでいて、時計の針は2倍も3倍も速く回っている。ILOアジア太平洋地域総局に異動して以来、バンコク、ハノイ、ジャカルタでノマドライフを送る日々。バンコクの自宅へ帰るたびにアパートの何階で降りるべきか思い出すまでに時間がかかる。もはや拠点がどこかわからない。私の拠点は、戦場のど真ん中。そういうことなのだろう。

雇用保険制度の導入を議論するインドネシア

インドネシアで雇用保険制度の導入が議論されている。現在の社会保険制度は、労災補償、死亡保障、年金保障、老齢保障[1]の4本立てとなっており、労働社会保障機関(BPJS Employment)が実施を担っている[2]。ここに5本目の柱として雇用保険制度を新たに導入するための議論が展開されている。

東南アジア諸国でも雇用保険を導入している国は、タイ、ベトナム、マレーシアの3ヶ国しかない。G20の仲間入りを果たし、巨大な労働市場を擁するアジアの大国が雇用保険に関心を示す理由はどこにあるのだろうか。

失業に対する公的保障の欠如

インドネシアの失業率は5%前後であり、相対的には高い水準にはない。しかし、絶対数で考えれば700万人前後の失業者が毎年データに表れてくることとなる。労働市場の規模を考えれば、把握できていない失業者は更にいると考えるのが自然である。これを身の回りのこととして考えてみて欲しい。事業主と700万人の労働者が解雇や退職の話し合いを行っているのである。

冒頭で紹介した通り、インドネシアには雇用保険制度がない。つまり、失業した労働者は公的な補償を受けることができない。たしかに、インドネシアの現行法では事業主が退職金(Severance pay)を支払う義務を負っている。しかし、事業主が退職金を分別管理して積み立てているわけではなく、事業会社の倒産に際しては、様々な債権者によって財産の差し押さえが行われ、退職金が労働者へ支払われることは極めて稀とされている。

いずれにせ、雇用保険制度がない現状では、失業者に対する補償は国ではなく企業が担うこととなっている。解雇のたびに話し合いが設けられ、退職金の有無や多少が労働者と議論される。

企業・個人の責任から国の責務へ

本来、国民が不安なく生活できるための社会保障制度を用意するのは国の責任であり、企業や個人がその責務を代替することはできない。

これが日本であればどうか。労働者と事業主がそれぞれ0.3%ずつ保険料(対賃金総額)を納めることによって、失業給付制度が運営されている。更に、事業主が0.3%を納めることによって雇用保険二事業(雇用安定事業・能力開発事業)が運用されている。労働者に対する失業保険と積極的雇用政策[3]の両輪を兼ね備えた、雇用保険制度が日本には存在する。

インドネシアに雇用保険制度ができれば、失業者の保護は国の責任となり、企業や個人は保険料を納めることによって解雇・失業に伴うリスクを軽減することが可能となる。さらに、積極的雇用政策が機能し始めれば、失業者は職業安定所で仕事の紹介を受けたり、研修制度を利用してスキルを身に着ける機会を得ることができるようになる。労働者は自分のスキルを活用した仕事を見つけ、企業はミスマッチを避ける。公的サービスが提供されることによる労働環境の改善が期待できる。

インドネシアは今、労働環境を大きく改善するための重要な局面にある。政労使が膝を突き合わせて妥協案をまとめ、互いに納得のいく制度設計を考える時期にある。


[1] 積み立てた保険料及びその利子が一時金として支給される個人貯蓄制度。
[2] 国民健康保険(JKN)の運営主体はBPJS Health
[3] Active Labour Market Policy (ALMP)。

ベトナムの社会保障・社会保険改革のポイント

社会保険改革の3つの柱

2018年5月、第12回ベトナム共産党中央委員会(CPVCC)が開催された[1]。主な議題は社会保険改革に関するマスタープラン(Master Plan on Social Insurance Reform: MPSIR)で、第28号決議案が採択された[2]。同決議は社会保障カバレッジを段階的に拡大し、すべての国民が社会保障の恩恵をあずかることを目指している。今回の決議は、中長期にわたる社会保障制度の全体像を明示し、政治的に約束したことに意義がある。ベトナムの社会保険改革の柱は大きく3つあり、11項目の具体案が盛り込まれている。

国民皆年金へ向けた公的年金制度の導入

第一に、国民皆年金へ向けた公的年金制度の導入である。公的年金制度を三層構造へ転換し、すべてのベトナム国民が最低限の年金受給を保障される仕組みを構築する。第一層は、税財源を活用し、社会保険料を支払うことができない低所得者層へのカバレッジ拡大を目的とする。第二層は、社会保険料を財源とする強制加入部分。第三層は民間保険商品を活用した任意加入部分。第一層は日本の国民年金(基礎年金)、第二層は厚生年金に相当し、第三層は確定拠出年金に相当する。社会保障カバレッジの拡大と給付額の増額を可能にする仕組みの導入は、国際労働機関(ILO)の第202号勧告「社会的保護の床(Social Protection Floor)」の原則とも合致する[3]

インフォーマル経済への適用範囲の拡大

第二に、社会保障制度の適用範囲をインフォーマル経済へ拡大することが盛り込まれた。国際労働機関(ILO)の推計によれば、アジアで暮らす9億人の労働者が不安定な雇用形態(Vulnerable Employment)に甘んじており、ベトナムもこの例外ではない[4]。社会保険制度は伝統的に賃金労働者(企業で働く労働者)を対象として拡大してきた制度であり、東南アジア諸国が直面する巨大なインフォーマル雇用[5]の実態は未知の領域である。ベトナムが課題の本丸へ切り込む意思表示をしたことはASEAN地域の前例としても意義深い。

年金制度の給付条件などに関する調整

第三に、公的年金制度の持続可能な財源確保を実現するためのパラメータの調整が盛り込まれた。調整項目は多岐にわたり、退職年齢の段階的引き上げ、退職年齢の男女平等化、年金受給条件の緩和、保険料率の改定、給付確定率などの関連政策が含まれる。

社会保険改革の政策項目とターゲット

改革三本柱を具現化するための政策として、第28号決議は改革を要する11項目を明示している。上記で説明したことと重なる部分もあるが、より具体的な項目が含まれている。

社会保険改革の11項目

項目 内容
公的年金制度を三層構造へ転換 上記参照。
保険料納付期間の短縮 現行の 20年から15年、10年へ段階的に引き下げる。これによって、保険料を長期間継続して納付することができない低所得者層や雇用の不安定な労働者へカバレッジの拡大が期待できる。
制度間連携の促進 公的年金制度と他の政策分野(特に失業保険制度と一時金給付制度)との連携を強化する。
満足度の向上 社会保険制度の加入者の満足度を計測すること(Satisfaction Index)が盛り込まれている。
インフォーマル経済への適用範囲の拡大 上記参照。
脱退一時金の制限 年金制度の脱退一時金を制限する。
退職年齢の引き上げ 2021年から段階的に退職年齢を引き上げる(危険な職業に従事する労働者は早期退職の権利を担保)。
保険料率の改定 保険料収入の安定化のために保険料率の算定基準を再定義する。
給付確定率の改定 現行制度では年金給付額は加入年数と給付確定率から算出されるが、給付確定率の上昇幅を調整する。
社会保険基金の運用政策 投資ポートフォリオの多様化を促進する。
年金上昇率の改定 年金上昇率の算定には賃金上昇率が使われているが、物価上昇率に連動するように算定基準を変更する。

社会保障カバレッジ拡大の目標

制度・目標 2021年 2025年 2030年
社会保険 35% 45% 60%
失業保険 28% 35% 45%
公的年金 45% 55% 60%

[1] Viet Nam News. 2018. Calls to reform social security policy. May 11.
[2] CPVCC. 2018. Resolution 28-NQ/TW on social insurance policy reform. May 23.
[3] 敦賀一平. 2016. 開発途上国の社会保障の用語と援助潮流.
[4] 敦賀一平. 2018. アジアの雇用労働環境の現状と課題.
[5] 敦賀一平. 2016. インフォーマル雇用の定義と構成.

事業報告 2018年12月期(第1四半期)

2018年12月期(第1四半期)の事業報告です。詳細については、媒体資料 2018年12月期(第1四半期)をご参照ください。

開発途上国の移民と難民に対する社会保障政策:研修案内

国際労働機関(ILO)が短期研修プログラム「移民・難民に対する社会保障政策(Extending social protection to migrant workers, refugees and their families)」を開講する。移民労働者は世界に2.4億人いるとされる一方、その内の1.5億人は社会保障に加入することができていない。

社会保障は労働者に認められた基本的な権利である一方、制度運用は各国に任されている。そのため、国境を渡り歩く移民労働者は社会保障の加入が困難であったり、年金基金などへの加入履歴を持ち歩くことが困難であったり、特有の課題に直面することが多い。

国際的な労働者の移動がより活発化すると見込まれる昨今、こうした課題への対応は先進国のみならず、開発途上国においても無視することができないものとなっている。

ILOが開講するプログラムは、国際枠組み、分析手法、政策アプローチを網羅的にカバーする内容になっており、2018年3月19日~23日の日程で開講される。申込締切は2月19日で、開催地はトリノ(イタリア)。受講料・滞在費は2,215ユーロ。

非正規雇用があたり前の時代に途上国の開発政策は?

新しい経済形態が普通になる日は、もう既に訪れているのかもしれない。インターネットを通じて単発の仕事を受注する労働者が増え、そうした新しい経済形態を表す言葉として「ギグエコノミー」が登場して久しい。2006年に東南アジアをはじめて訪れた際、我が物顔で路上を埋め尽くすトゥクトゥクやバイクタクシーに心躍らせた記憶が懐かしい。それが今ではどうか。UBERやグラブタクシーが主流となり、ありとあらゆる手で客を呼び込もうとする路上タクシーのたまり場は少なくなった。スマホの中で客を捕まえる時代となったわけだ。

技術の発達によって生まれた新しい経済形態は歓迎すべきものだ。一方、政策を考える立場としては、新しい時代への対応に奔走しなければならない。それが今なのかもしれない。

実際、開発途上国の労働者の大多数がインフォーマル経済[1]で生計を立てている。たとえば、サブサハラアフリカ、南アジア、東南アジアでは、労働者(非農業従事者)の約7割がインフォーマル経済で生計を立てている。これに農業従事者を加えれば労働者のほとんどがカバーされることとなる。非正規雇用があたり前という状況がよくわかる。

今月、英国の開発研究機関ある海外開発研究所(ODI)が『Informal is the new normal』と題する論文を発表した[2]。非正規雇用があたり前の時代となったことで、従来の政策が対応しきれない課題があることを指摘している。

たとえば、社会保障政策を例に考えてみる。社会保障制度は伝統的に、正規雇用を前提として成り立ってきた制度だ。つまり、会社に所属している労働者が保険料を会社と折半し、政府が提供する社会保険制度に加入する。そうすることで、労働者とその家族が社会保障の傘に守られる。それがこれまでの社会保障政策の中心だった。

しかし、開発途上国ではインフォーマル経済で生計を立てる非正規労働者が大多数。先進国が築き上げてきた正規労働者によって成立する政策モデルをそのまま当てはめることは容易ではない。こうした議論の延長で、国民皆保険を中心としたユニバーサルヘルスカバレッジ、新しい社会保障制度としてのユニバーサルベーシックインカム(UBI)などがある。

ただ、私たちが忘れてはならないのは、これまでのモデルを生かすという考え方だ。既存の社会保険制度のカバレッジを非正規雇用者へ拡大するためにはどうすべきか。課題の所在はどこにあるのか。保険料が高すぎるのか。ベネフィットの魅力が足りないのか。登録制度が煩雑なのが原因か。非正規雇用者はそれぞれ異なった状況におかれており、政策・制度もまた個別の課題へ適応させていかなければならない。

経済成長真っ盛りの開発途上国の労働市場は日々刻々と変わっていく。政策サイドはどう対応すべきか。今ある政策を走らせながら良い方向へ軌道修正していく。同時に新しい仕組みも試行する。エビデンスに基づいた効果検証をする。「走りながら考える」ことがこれまで以上に求められるのは言うまでもない。

関連記事 


[1] 敦賀. 2017. 開発途上国のインフォーマルセクター・経済・雇用に関する用語解説.
[2] Stuart et al. 2018. Informal is the new normal: improving the lives of workers at risk of being left behind.

アジアの雇用労働環境の現状と課題

雇用の質の改善が急務

雇用の質の改善がアジア諸国の喫緊の課題となっている。高度経済成長を続けるアジア諸国では多くの人々が貧困から脱し、中間層の仲間入りを果たしてきた。世界経済の牽引役となりつつある好調な経済状況を背景に、アジア大洋州地域では引き続き雇用創出が継続する見通し。2019年までに約2,300万人が新たに就労し、失業率は低水準(4.2%)を維持する見込み。

一方、国際労働機関(ILO)の推計[1]によれば、アジアで暮らす9億人の労働者が不安定な雇用形態(Vulnerable Employment)に甘んじている。これはアジアの就業者の約半数が「働きがいのある人間らしい仕事(Decent Work)」に就くことができない状況を意味している。

このような雇用形態で働く人々は世界に14億人おり、そのうちの9億人がアジアで暮らしている。彼らは正式な雇用契約に基づかない不利な労働条件、労働者の保護が行き届かない劣悪な環境、社会保障のカバレッジが無い状況で就労を続けている。

また、就労しているにもかかわらず一日あたり3.10ドル未満で生活する「働く貧困層(ワーキングプア)」の問題も未解決の課題である。たしかに、2007年から2017年の間に44%から23%へ改善が見られたことは、前向きな成果といえる(東南アジア大洋州に限定すれば就業者全体の20%がワーキングプア)。ただ、状況は改善傾向にあるものの依然として高い比率にあると言える。

こうした状況を踏まえれば、経済成長を追い求めるアジアの低中所得国は、雇用創出や労働供給の量的側面を見るだけではなく、雇用の質にも配慮した政策が今後ますます求められることとなる。持続可能な開発目標(SDG 8)は、「すべての人々のための持続的、包摂的かつ持続可能な経済成長、生産的な完全雇用およびディーセント・ワークを推進する」としており、雇用の質の改善が各国の責任となっている。

東南アジア諸国ではインフォーマル経済への対応が課題

東南アジア諸国に目を向けると、この地域特有の課題が見えてくる。それはインフォーマル経済[2]への対応であり、ジェンダーギャップであり、経済構造転換である。

東南アジア大洋州の経済成長率は引き続き高い水準(4.8%)を維持することが想定されている。堅調な経済状況を背景に雇用機会の拡大が続き、失業率も低水準に抑えられる見込み。インドネシア(4.3%)、ベトナム(2.1%)、ミャンマー(0.8%)、ラオス(0.7%)、カンボジア(0.2%)に限れば、世界の失業率(5.6%)を大きく下回る数字である。

一方、雇用の質の改善は他の地域と同様に大きな課題として残る。東南アジア大洋州の就業者の46%が不安定な雇用形態で就労している。この傾向は女性でより顕著に表れ、男性より10ポイント高い水準となっている。

同地域では経済構造転換が急速に進んでいることも特筆すべき事項である。1991年の農業就業人口は全体の57.1%だったが、2016年には30.2%まで縮小している。その一方で、第三次産業の就業人口が18.7%から34.6%まで急速に拡大した。第二次産業の就業人口は相対的に増えていないことや急速な都市化が進んでいること鑑みれば、農業からサービス業への経済構造転換が加速していると考えられる。

また、巨大なインフォーマル経済は、同地域の大きな課題として残る。インフォーマル雇用が多い第一次産業の寄与率は大きくなく、農業以外の産業でインフォーマル雇用が幅を利かせている。東南アジア諸国では、カンボジア、ミャンマー、インドネシアの就労者の75%以上がインフォーマル経済で生計を立てている。これらの労働者は正規の雇用契約を持たず、社会保障やその他の保護を受けることができない状況で就労している。

高度経済成長に沸くアジア。成長の影に光をあててみると、人々の生活が見えてくる。生活を支えるもの、それは労働であり雇用である。経済成長に目を向けるとき、私たちは人々の顔を忘れがちになる。人々の生活は、労働力という量的な尺度だけで捉えられ、一人ひとりの雇用の実態(雇用の質)が成長の影に隠れてしまってはいないだろうか。


[1] ILO. 2018. World Employment and Social Outlook: Trends 2018.
[2] 敦賀一平. 2017. 開発途上国のインフォーマルセクター・経済・雇用に関する用語解説.

開発途上国の雇用・貧困問題の現状と見通し

世界の失業者数は増加傾向

国際労働機関(ILO)が発表した推計[1]によれば、2018年の世界の失業率は5.5%へ改善する(前年比-0.1%)。これは世界経済の好調を背景に、雇用創出が堅調に推移することを見込んだ数字だ。

しかし、労働人口の増加ペースを鑑みれば、更なる雇用創出が求められる状況が浮き彫りとなってくる。2019年の失業率は同水準になると推計される一方、失業者数は1億9,200万人から更に130万人増加する見通し。特に開発途上国では雇用創出が労働力の供給ペースに追いつかないことが予想されている。

雇用の質の悪化

雇用創出が進む一方、雇用の質の低下が懸念されている。不安定な雇用形態(Vulnerable Employment)[2]で就労する労働者は全世界に約14億人(42%)おり、途上国に至っては労働者の76%、新興国では46%がこうした雇用形態で生計を立てている(2017年)。不安定な雇用形態で就労する労働者数は2012年以降減少傾向になく、2019年までに3,500万人の増加が見込まれる。

3分の2が働く貧困層

働く貧困層(ワーキングプア)の問題についても進捗は必ずしも芳しくない。新興国と開発途上国の労働者のうち3億人が極度の貧困状態(一日あたり1.90ドル未満)にあり、7.3億人が貧困状態(一日あたり3.10ドル未満)にある。新興国では働く貧困層の減少傾向が見られる。一方、開発途上国ではその減少速度が労働力の成長速度に追いつかず、絶対数では増加傾向が続くと予想される。2017年の開発途上国における働く貧困層は就業者全体の67%(1億8,600万人)にのぼる。

このように雇用統計に一定の改善傾向が見られる一方、減少しない失業者数と劣悪な環境で働く労働者の絶対数が必ずしも減少傾向に無い状況も鮮明となっている。持続可能な開発計画(SDGs)が「誰も取り残さない」を合言葉にしている以上、こうした状況は2030年までに改善しなければならない喫緊の課題と言える。

ジェンダーと高齢化と経済構造転換

女性の就業率は依然として男性をはるかに下回り、女性の仕事の質も給与も男性より低くなる傾向がある。また、開発途上国で不安定な雇用形態で就労する男性が全体の72%であるのに対し、女性は更に多い82%となっている。

高齢化の影響も大きい。今後急速に増加する退職者を補うだけの労働供給量は想定されていない。年金制度が抱える課題に加え、高齢化による生産性の低下も懸念される。

また、産業別就業構造の変化に関しては今後も農業と製造業の就業者は減少を続け、第三次産業が雇用創出の推進力となる。

 


[1] ILO. 2018. World Employment and Social Outlook: Trends 2018.
[2] 個人事業主と家族の事業に貢献する家族従業者