カンボジア訪問 イメージから実感へ
「お金が無い!」 それが一番の問題点だった。
これはカンボジアを訪問しての感想ではない。 僕個人の問題だ。 1月下旬にツアー開催の話を頂いたとき、「参加費用をどうしようか」ということが真っ先に問題となった。参加するか否かの選択肢は初めから僕の中には無かった。「話が来たら行こう」そう思っていた。普段やっている地道なボランティアが現地でどのように役立っているのかを見たかった。
僕は昨年の秋からボランティアに参加し、バザー準備等だけでなく、カンボジア学生と日本学生の交流事業にも関わらせてもらった。その中で実際にカンボジアの学生に会い、カンボジアの現状について生の話を聞くこともできた。それによって、たしかにイメージの中でのカンボジアはより鮮明になったし、カンボジアへの支援の必要性も実感できたつもりだった。しかし、それはまだつぎはぎだらけのカンボジア像であり、ボランティアによって支援した物資がどう使 われているのか、医療施設や学校が実感としてどの程度不足しているのか、といったことなどがまだ想像しにくかった。たとえば、産婦人科でベッドの個数が足りないとは聞いていても、1つのベッドに違う家族の生まれたての赤ちゃんが2人も寝ていることや、分娩室で同時に3人も出産していることなどは、想像すらしていなかった。このような、言葉では語りつくせないカンボジアの現状を見て感じて来ることができたことは、イメージに止まっていたカンボジアをより具体的にしてくれたし、今後のボランティアに取り組む上でとても大きな動機付けになった。そして一人でも多くの人に伝えたいと思った。
また、今回のツアーは観光の要素が強いということで、普段のスタディーツアーに負けないくらい多くを学び、発見してこようといった意識を持ちながら僕は参加していた。貧しいスヴァイリエンと豊かなシエムリアップの生活風景を数日の間に 見ることができて、カンボジア国内にある貧富の差を強く感じることができたし、他NGOの依頼で届け物をした際には人脈作りの大切さ を感じることができた。また、少し気の利かな い変わり者のドライバーからも地域間における物価の差や生活水準など多かれ少なかれ教わることができた。そうした点で今回のツアーは後悔の無いとても有意義なものであった。
最後に、小指会の支援による建設中の高校を視察したときのことについて触れようと思う。「驚いた」というの が第一印象だ。これまで小指会の活動は直接的ではないにしろ、概要は知っていたし、休日を返上して街頭募金活動を行っていることも知っていた。高松の街角で、寒い日も雨の日も少しずつ集めたお金が今こうして立派なレンガ造りの校舎に変わり、もうじき入校する数百もの生徒たちに勉強の場が提供されようとしている。そう考えただけで、小さな協力がたくさん集まることの力強さを感じること ができたし、まだ屋根のない建設中の校舎には希望を見ることができた。 これから入校する生徒が少しでもこの国を良い方向へ導いてくれれば、と願わずにはいられなかった。
香川大学3年生 敦賀 一平
※これは2006年4月23日発行セカンドハンド通信No.44に掲載されたものです。
同号「カンボジア&日本の学生交流事業」の報告書作成チームスタッフ紹介欄でのコメント。
「小さなボランティアが作り出す大きな力を実 感しています。募金や店舗販売などの小さな 努力が、カンボジアの人の自立に繋がることを肌で感じることができました。 1人では小さな力だけれど、協力が協力を呼び、 大きな力になっていることを実感する毎日です。 政府ができないことを市民ができる素晴らしさをもっと多くの人に共有してもらいたいと思います。」