孤独との闘いの果てに
何かを極めることは、孤独との闘い。
ジュネーブへ到着して、3か月。日本を出てアメリカへ渡ってから丸2年が経った今、そう思うことが多い。
旅行や移住が目的ではなく、仕事が目的で海外へ行く場合、孤独との闘いが待っている。
ついに、JICAという後ろ盾も失って、「戻るべき家」も日本にはなくなってしまった。
家族がいたり、知人がいたりすれば話は別だが、私の場合は頼るべき人がいるわけではない。
もちろん、行った先で仲の良い人を見つけて、食事をしたり、話をしたり、新しい出会いが孤独を和らげることもある。とてもありがたいことだ。
しかし、そうすることで、自分の歩む道を誰かが選んでくれるわけでもなく、これからどうすべきか示してくれるわけでもない。
結局は、本質的な部分では一人で孤独と闘わなければならないのだと思う。
この仕事を初めて7年目の夏を迎える今、孤独とプロについて、考えさせられる毎日である。
家の外は舞台。
最近思うのが、自宅を出ることは、演劇の開演だということ。
自宅が自分の唯一のプライベートな空間だとすれば、玄関を一歩出たときから、もう一人の自分が演じ始める感覚に襲われる。
公と私の自分が自宅の扉で入れ替わる感覚だ。
自宅ではあれこれ哲学的な悩みだったり、これからどうすべきか行き詰ってネガティブな自分がいるときでも、表舞台に立った役者はそんなそぶりを見せることなく仕事をこなす。
仕事を始めた7年前からこの感覚はあった。職場の自分、職場の同僚と話すとき。家の外でふるまう自分の全てが、舞台で演じる役者のような錯覚に陥る瞬間がある。
こう打ち明けると、親しい知人は怒るかもしれない。でも、自分の根底にある本質的な部分は、自分にしか解決のできない部分だから仕方ないのかもしれない。
孤独との闘いの果てに何があるのだろう。
わからない。プロとして生き残っているのか。目標やモチベーションを失って、舞台から降りるのか。
この数年間、公私全ての時間を費やして仕事をしている。
職場ではもちろん、自分のプライベートの時間も寝食の時間以外はオンラインマガジンの運営に時間を割いている。
どこを目指しているのか、と聞かれることがある。自分でもわからない。
日本にはもう帰る場所はなくて、今の仕事も来年はどうなっているかわからない。
一寸先は闇の状況をどうすべきか、誰もアドバイスなどできない。
プロとして、自分で考えて、決めていくしかないのである。
孤独との闘いで折れそうになること。
毎日一回は心が折れそうになる。折れるというのは、プロを辞めるということで、逃げかもしれない。
ただ、積み上げてきた舞台役者として名声を捨てて、全く違うどこかで別の挑戦をしたらどうなるのだろうという前向きな感覚でもある。
結局は、今歩いている道を行くのが良いのか、このまま歩いていくのであれば、どのようにステップアップしていくべきなのか、孤独な自分との問答が続くわけである。
最悪なのは、孤独との闘いに敗れて、孤独=寂しさ、と勘違いしてしまうこと。プロとして、孤独は自分との闘い。寂しさに負けて、周りを巻き込んでしまうことだけは避けなければならない。
孤独のバロメーター。
孤独のバロメーターが、酒の空き瓶の本数となっていることもいずれ改善しなければならないと思う。
スイスワインがおいしいこともあるが、ここ三ヶ月で30本くらいは飲んだ気がする。
本当に美味しいのでお勧めしたいのだが、増えていく空き瓶を見ると、バロメーターなのだな、とも感じる。
孤独との闘いは続くけれど、どこへ向かうべきなのかはまだ見えない。
一日一日を大切に過ごし、やるべきことをこなしていくしかないのだと思う。
「自分だけでなく、みんな同じように孤独と闘っているのだな」と思いつつ、また明日頑張ろうと思う日々である。
初夏、ロッテルダムより。