日露戦争前後の日本が置かれた状況
ロシアはモスクワから日本海へ軍事物資輸送を可能とするシベリア鉄道をフランスの資金提供で建設開始。建設時間の短縮のために、清領内を突っ切る鉄道敷設権を清に飲ませ、対日軍事同盟を清と結ぶ。
日本が清から得た遼東半島を三国干渉の末に清へ返還させ、ロシアは清から同地域の領有権と不凍港旅順への鉄道敷設権(後の南満州鉄道)も獲得する。
大陸に権益を持つ英国は、ロシアを牽制すべく旅順対岸を領有する。
ロシアと共同するフランスは海南島、広西、雲南、広州湾に権益を拡大。
ドイツは青島、山東省を支配下にする。
アメリカはフィリピンへ侵攻し、植民地化。
ロシアはブラゴベシチェンスクでの鎮圧・大虐殺をきっかけに、チチハル以北へ侵攻・占領。南満州の牛荘(現在の営口)を占領。
大陸は西洋諸国に切り分けられていく。
西洋諸国の影響力拡大に耐えかねた民衆は北京の外国公館を攻撃(義和団の乱)。イギリスが西洋諸国を代表し、日本へ三度の防衛要請を行う。日本は八カ国連合軍に参加(イギリス、ロシア、ドイツ、フランス、アメリカ、イタリア、日本)し、最も多くの兵士と犠牲を出す。
その間にイギリスは上海で挙兵し、戦後の権益確保を狙う。
日本は西洋諸国が北京を占領するのに遅れまいと、厦門占領を画策するも、ロシア、イギリス、ドイツの干渉により派兵せず。
ロシアの南下政策に追い詰められた日本は、ロシアと協調するか対決するか決断に迫られた。権益をロシアに脅かされることを危惧したイギリスと、大国の後ろ盾を得て対決へ向かいたかった日本の利害が一致し、日英同盟が締結される。
ロシアはフランスから資金提供を受け、日本は公債を発行し、イギリスやアメリカから戦費調達を行う。
日露戦争の結果、日本が韓国を自由処分する権利、ロシアの満州からの撤退、遼東半島の大連、旅順・ハルピン間の東清鉄道南部支線の譲渡、南樺太の領有権を得る。
日露交渉をアメリカが仲介し、日本は満州の権益を獲得したが、賠償金は放棄せざるを得ず、国民の反感が生じた。
アメリカは日本国内の情勢を横目に資金提供を申し出て、その代わりに満州における日本の権益(鉄道・炭鉱など)の共同開発権を獲得するために日本と交渉を行った。日本はこれを拒否したため、日米関係が悪化した。
しかし、モルガン財閥が資金提供を持ちかけたこともあり、満鉄はアメリカに車両を発注し、アメリカも儲けることとなった。
日本による満鉄経営がはじまってからも、欧米列強による満州の覇権争いはとどまることはなかった。アメリカは満鉄を骨抜きにするために、満鉄路線に並行する鉄道建設を清に提案し、イギリスがこれを引き継ぐ。アメリカの鉄道王ハリマンはロシアが保有する東清鉄道買収を画策する。いずれも実現しなかったが、日本を囲む欧米列強は継続的に攻勢をかけてきた。
参照:山岡淳一郎. 2007. 後藤新平日本の羅針盤となった男.