開発援助プロフェッショナルの条件とは?-言葉のわからない親友

現地の生活へ足を踏み入れること

6年ぶりに降り立った東洋のパリ、プノンペン。開発援助業界へ足を踏み入れた場所へ帰ってきた。

王宮の裏に目立たない小道がある。月300ドルの下宿先が変わらずそこにはあった。大家さんを訪ねると、あの時と何も変わらない笑顔と人々と会うことができた。突然の訪問に躊躇することなくセットされた突然の歓迎会は、いつもお決まりの自宅前の路上。行き交う住民が、私の顔を覚えていて、声を掛けては帰って行く。言葉はわからないが、暖かい時間の流れが心地よい。

赤い手すり越しに、毎朝、私の出勤を待っていたバイクタクシーの溜まり場へ向かう。顔なじみのドライバーが目を丸くして大声で飛んでくる。

クメール語。何を言っているかわからない。再会。感動と込み上げてくる涙だけが共通の言葉だった。

思わぬ再開に気が動転する親友たち。ポケットからしわくちゃの紙切れを出した。いつかの飲み会の写真のカラープリント。嬉しかった。

英語を全く解さない親友たちに連れられ、タックマウ地区の自宅へ連れて行かれたことがあった。地方からの出稼ぎの若者たちが居住するエリア。真っ暗な夜道をどこへ連れて行かれるかもわからないまま、親友を信じてついて行ったのが懐かしい。

もてなされた料理もそれまで見たことがないものばかりだった。魚を発酵させて作るプラホック(独特の風味のタレ)に生野菜をつけて食べる。見たこともない赤貝は塩辛く、アンコールビールと絶妙のハーモニーを醸し出す。蚊取り線香も蚊帳も無い高床式の野外ステージで飲み会を見守っていたのはたくさんのヤモリたち。電灯に集まる虫をたらふく食べる姿が懐かしい。

言葉のわからない親友をたくさん持つこと
2009年9月からの半年間、私は国際労働機関(ILO)のカンボジア事務所で勤務した。初めて手にした給料は300ドルの小切手。プノンペン市民と同等の生活水準だった。だからこそ、カンボジアの人々と同じ空気を吸い、言葉のわからない親友と出会えたのかもしれない。

開発援助業界には、おかしな二項対立がある。ローカル v.s. インターナショナル。現地スタッフと国際機関の職員との間には超えられない壁があり、現地住民と外国人駐在員の間の垣根も高い。

現地の食事を口にせず、地元の青空市場へも行かない。外国人コミュニティで生活する西洋人や日本人コミュニティだけで生活する日本人。英語を話さない地元住民を怒鳴り散らす外国人。「郷に入っては郷に従え」とは真逆の、名ばかり「プロフェッショナル」がたくさんいる。

データやプレゼンが上手で、気弱な途上国の役人を説き伏せることがプロの仕事ではない。

言葉のわからない親友がどれだけいるか。通訳を連れて調査へ行っても出会えない、外国人には到底入り込めない場所に、地元の生活がある。

言葉のわからない親友を持つことができるか。それが、真のプロフェッショナルの条件。開発途上国で本当に良い仕事ができるかどうかは、言葉ではなく身をもって現地の生活や実情を伝えてくれる親友を持つことにかかっているのではないだろうか。

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