廃れる地方、外国人が増える都会、失われる日本
東京に2022年5月ぶりにに入り浸っているが、外国人の多さに驚く。香川、島根、山形、福島を巡って東京へ来たが、地方都市には外国人はほぼ皆無で、閑散とした商店街が残る一方、東京は外国人で溢れかえっている。
東京の居酒屋、レストラン、コンビニは、かつては大学生のアルバイトで溢れかえっていた。今の東京といえば、ベトナム人スタッフで溢れかえっている。令和の大学生はどこでバイトをしているのだろうか。
都心の居酒屋とラーメン屋に限って言えば、体感で物価は二割程上がっている。頑なに価格を変えない昔ながらのの常連相手の店と、あっさり価格を上げている今風の店で価格に大きな乖離が見える。バイト募集の張り紙も体感二割増の印象で、物価高とバイトの賃金上昇は都心で生まれている。
弊害としては、日本語の通じない店員が増えていて、使用者側の居酒屋店主もメニューにコードを割り当てるなど工夫して教育している。客側の視点で言えば、かつてと同じか高いコストを払って話の通じないサービスを受けている体感はあり、不満抱える客がいても不思議ではない。
店員同士は母語で会話する。日本人は優しいので、言葉の通じない店員に対して丁寧に接している人が多い。アメリカ、ヨーロッパ、インドネシアなど、言葉を理解しない人に対する許容度の低い地域で生きてきた身としては、現地語で働くことを求められてきた。日本人もその水準を求め続けるべきだと思う。
雇う側のマネージャーは苦労しているように見えるが、何度も指示を復唱するなど外国人スタッフがミスをしないように目を凝らしている。同じく外国人スタッフを使って仕事をしている身としては苦労が手に取るようにわかる。
誤解を恐れずに言えば、日本人のペースでマルチタスクをこなすことのできる東南アジアのスタッフを私は知らない。個人差はあるので平均の話。東京の居酒屋でも数多くいるスタッフの中で一人や二人が日本人ペースでマルチタスクをこなせたとして、他のスタッフの生産性は半分以下である場面をよく見る。
外国人を使うときは阿吽の呼吸で仕事ができない、と言う。ようはこういうことだと思う。ホッピー下さい、という客に、店員はホッピー氷だけ持って行く。ナカも持っていけよ、と店長は言う。
もう一つの例。梅酒を飲み干した客が杏露酒を注文する。杏露酒を持って行った店員が手ぶらで帰ってくる。店長は突っ立っている店員に「空のグラス貰ってから洗って」と言う。
マイクロマネジメントは嫌われる上司の代名詞だが、阿吽の呼吸が存在しない世界においては細かく指示をしなければ思いは伝わらない。