国を作る仕事
「社会保障法の成立から20周年を記念して、系譜をまとめた本を書いている」。もう七十台とは思えないほど大きく艶のある声を響かせ、目の前の老人は言葉を進める。2004年に成立した社会保障法は今でも根拠法となっていて、全ての社会保険制度の基礎となっている。当然、私は仕事でこの法律を夢にも出てくるほどすらすらと引用するわけだが、20周年といわれてハッとした。2004年に成立したというのは私の中では本の中の出来事で会って、「そこから20年」という感覚はなかった。目の前の老人の目には遠い日の記憶がにじみ、国民皆保険を実現した今日の健康保険制度の進化と歩んできた人生の年輪が額に現れる。この老人は、本当は老人と言っては怒られる偉い先生で、インドネシアの社会保障業界で知らぬ人はいない。ハズブラ・タブラニという人で、インドネシア大学で教鞭をとる傍ら、社会保障政策にずっとかかわってきた。
今日は久しぶりの再会だった。2019年、私がバンコクから出張でジャカルタ事務所へ来ていたタイミングで偶然彼が表敬に来ていた。USAIDの健康保険関連の案件に携わることとなり、インドネシア大学を退職してUSAIDへ転籍するタイミングだったと思う。その時にWhatsAppを交換して、無意識に数年に一度仕事上のやり取りをしていた。今年の1月に携帯電話会社の不手際で電話番号を変えた折に、「電話番号変わりました」と送った500件以上の連絡先の一つが彼だった。そこから「久しぶりに会いましょう」とオファーをして、今日を迎えたわけである。以外にも世界は狭く、事務所は徒歩圏内で、住居は隣のアパートということが五年の年限つを経てわかった。
気づけば1時間半、インドネシアの社会保障制度とこれから向かうべき方向について意見交換をしていた。彼の考える政策は私やILOのスタンスと極めて近く、非常に有益な意見交換となった。
ところで、私はフォロワーを減らすことを知りながらもツイッターで懲りずに日々の気づきを書きなぐっている。その中で一番日本人読者の反感を買っている話題は間違いなく、インドネシア人の性質に関するもの。しかし、なぜ私がインドネシア人の生活・人生観・仕事の仕方などを毎日注意深く観察し、書き留めているのかを理解している読者は少ないだろう。今日の彼との話で、私が観察してきた気づきは間違いではなかったと思わされる場面がいくつかあった。
たとえば、「インドネシア人は短絡的で未来を見据えることができない」とか、「気候が温暖なせいで真剣に日々を生きなくとも、冬が来て餓死することはない」とか、社会保障制度を真剣に議論しないインドネシア人の性格を理解したうえで、私は労働者、使用者、政府、政治家と話をしなければならない。こうした気づきは、今日の話の中で、目の前の老人の口からも突拍子もなく出てきて、「俺もそう思う」と何度もうなずいたものだった。
今回の大統領選で「政府が無料の昼食を提供する」という公約を掲げた候補者に支持が集まったが、予算規模を鑑みればこれを実施するために政府の社会保障財源のほとんどを充てなければならない(らしい)。それでもインドネシア人は短絡的だから、長期的な教育の重要性を語る候補者よりも明日の無料昼食を選択する。信じられないような話だが、インドネシア人の性格をりかいすれば、納得のいく話である。こうした国民性には、私は日々の労働者との対話で触れている。
4月には開票結果が固まり、10月に刷新される国会議員の顔ぶれが判明する。8月頃には各委員会に割り当てられる国会議員が判明する。これからの半年間、国会が始まるまでにやる気のある有力な議員を見つけ、立法府から社会保障政策を良い方向へ向けていけるよう話をしていきたい。
何十歳も離れた先輩から、大いに刺激を受けた数時間だった。