学位に価値を置く国の問題点、学歴社会のインドネシア政府
インドネシアは学歴社会で、行政官の昇進に学位が要求されてきた。研究キャリアの人が行政官をやっている。意思決定の前に学術研究を外注して実施しなければならないとなっていて、それによって意思決定が遅く頻度も少ない印象。何書いて良いかわからず、外注先の若手研究者から私に相談があって、私が書いたレポートの引用箇所を示したり、コピペで使えそうなPPTを渡したりしている。何でもかんでも学術・研究・エビデンス好きな人で固めると、実務の停滞が顕著になってくるのを現場で見ている。
また、あるプログラムの責任ある行政官にRCTの結果をプレゼンして、いかに素晴らしい成果をあげたかを説明された事がある。莫大な予算を使ってプログラムを実施し、評価外注し、成果をプレゼンしてきたわけだ。しかし、私の感想として伝えたのは「それだけ莫大な予算使って効果がないほうが驚きで、研究者の論文を書くための社会実験をやっているのではないのだから、その程度の結果で本当に良かったのか、機会費用も含めて考えないといけない」ということだった。つまり、RCTではインパクトの程度や費用対効果、他のことに予算を使っていたときの機会費用について説明することができないという批判をした。
会議をなあなあに終わらせたい同僚が「素晴らしい成果ですね」と続けて会議を丸く収めたが、研究者が短期間アポイントされて政府要職につく国では、数年の成果のみにこだわった政策と、パイロットという名の社会実験と論文執筆が横行し、個人のキャリアにはよいが国の未来には良くないと感じる場面が多い。
そして大きな課題は、こうしたワークフローが行政のSOPに組み込まれていること。学術研究、パイロット、政策決定。実行力が大切な場面が多いわけだが、目的と手段が混同されるリスクはある。
研究者の役割は現象を分析して理解することだと考えている。政治や行政を担う者は、エビデンスがない世の中の99%の事象に対しても対応し、判断して物事を前に進めていかなければならない。決断力、判断力、調整力、勘が大事になる職種なわけだが、インドネシアのように博士号を取っていなければ昇進できない体制だと、研究機関にしか所属したことがなかった人が省庁でかじ取りをしていたりする。
日々、弊害を感じる。調整ができない組織体制や仕事のスピードが遅いことなど、こうした人事制度に起因するところも大きいように思う。適材適所とはこのことなのだろう。