利害調整が苦手なインドネシア人

インドネシアの大組織と仕事をするとき、若手から幹部まで個人的にやり取りができる関係を築いている。

官僚機構では打ち合わせのたびに部下が大勢参加する。実際にはまったく会議に集中していない職員が多数だが、上司へ呼ばれたので参加するといった具合だ。そのため、私一人に対して先方10人ということも日常茶飯事である。また、登壇する機会が多いため、私が認識していない人にも顔と名前を憶えられていることが多い。何かをプレゼンする機会は年間百回程度はあるだろう。

その都度、なるべく心掛けているのは、若手から幹部まで電話番号を聞くということだ。インドネシアでは必ず会議の後に集合写真を撮るため、会議後には連絡先をスマホに顔写真入りで登録する。WhatsAppで集合写真と相手の名前をそえて、「今日はありがとう」と送る。こうすることで、自分専用のデータベースが機械的にできあがる。私は顔は覚えられるのだが、名前と一致させることが苦手なため、このデータベースを重宝している。

省庁との会議の前には近くのカフェに前入りして仕事をしていることが多く、偶然通りかかった若手と話す事も多い。また、上司から仕事を頼まれた若手が困り果てて私にWhatsAppで相談してくることもある。時には、幹部と部下から同じ内容で相談が来ることもある。幹部が部下に調査指示を出し、幹部も私へ直接相談してくるためだ。インドネシアは組織力が極めて弱く、統制が取れていないことが多い。大規模な組織になればなるほど、この傾向は顕著だ。幹部は自分の部下や組織が何をしているのか把握していないことが多く、部下もそれをよくわかっているので手を抜くことも多い。

これが日本の官僚機構やベトナムのような社会主義国家であれば、組織の誰が会合に出席しても、その人が組織の代表である。事前に発言要領を組織決定し、次回への引継ぎのために議事録も決裁し、保管される。組織力と個人力で仕事をする社会の差だ。インドネシアは完全に後者だ。

最近よく思うのは、インドネシアの大組織において若手は上司へ提言することができない実態だ。たとえば、私へ相談を持ってきた若手がいるとしよう。私が助言の一環で何か新しい提案するとき(組織としてこういう方向へ向かうとよいのでは?)、若手は「それはよいですね、上司と話してください」と言うことが多い。それであれば、「最初から幹部と話すのであなたと話す意味ないよ」といつも思うのである。

組織力が強い国や社会では、部下は会社の代表として振る舞うため、「それはよいですね、持ち帰って上司を説得してみます」と返答する。

インドネシアで色々な組織や個人と仕事をしてきた。年間数百人の若手・幹部と新しい出会いがある。社会全体の傾向として共通しているのは、上司へ提案したり、上司の言うことに対して否定することはない。人々は相手の社会的ステータスによって対応を変え、目上と判断した人に対して、自分の意見を言うことはない。

私の仕事は政策対話なので、工場の従業員、バイクタクシー運転手、中央省庁、地方政府、大学、企業経営者、企業人事、商工会議所など、さまざまな立場の人々と腹を割って国の未来について話す。そのため、こうしたインドネシアの人々の特性を理解したうえで、「殻を破って批判、反論、提言を建設的に行う場や雰囲気をどのように作ることができるか」を、インドネシアの人々と一緒に考え、企画するのも仕事の一つだ。

インドネシアの人々は、個人になると委縮して建設的な議論や反論をできないが、集団になると一気に強気になる傾向がある。それが正しい方向へ向けばよいのだが、デモ隊の船頭以外は何の目的でデモに参加しているのかも正確に理解していないことも多い。多くの場合は仲の良い内輪の集団意識でグループを組み、政策対話もそのように進んでいく。様々な情報や意見を聞いた上で自分で考えて判断し、ポジションをとるのではなく、「信頼している人が言ったから」という理由で、井戸端会議も政策対話も進んでいく。

省庁間、上司との折衝や調整ができないために、私たちに「仕切って欲しい」という要請は絶えない。今週も省庁を跨いだ調整の場をセットし、来週もまた別の省庁間の調整を行う。再来週は省庁内で部下が幹部を説得したい事案があるようで、私にも同席して欲しいという要請があった。

私個人としては骨が折れるが頼られるうちが華なので、なるべく協力するようにしている。しかし、それが正しい方向へ向かうための行動や意見なのであれば、上司や会社を説得して実行へ移す方向へ持っていく意識が、インドネシアの人々ひとりひとりに備わることが大切だと思う。

インドネシアの人々は政府への批判をするが、日常的な庶民生活を観察していても、何かを良い方向へ改善するための提案や利害調整を真剣に行っている場面を見る機会はない。みんな意見の異なる相手と距離をとり、なるべくかかわらないように生きているが、集団になった途端に船頭を担ぎ上げて後方から「そうだ、そうだ」と大騒ぎになる。「騒ぐ前に話し合おうよ、路上ではなく、会議室へ来たらよいよ」と、いつも労働組合の幹部へ話をするわけだが、庶民生活の節々に同様のことが日常的に潜んでいる。