今、人生のどん底にいる人へ

2005年の出会い

ライブドア事件が起きたのは、2005年師走のことだった。その前月、大学2年だった私はバイトで貯めた10万円を元手に、ライブドア株を買っていた。ご存知の通り、ライブドアはその後家宅捜索を受け、ライブドアの社長だった堀江貴文さんは逮捕、起訴、収監された。当然、私の手元に残ったライブドア株はほとんど価値を失ってしまった。

ニッポン放送の買収によって、その子会社であったフジテレビを手中に収めることを狙った堀江さん。その野望は阻まれたわけだけれど、インターネットで番組を視聴する時代の到来を感じた私はライブドアを応援する意味で株を買っていたのであった。口が悪いのはどうかと思ったが、堀江さんの目指すところに共感し、バイトで貯めた預金を失っても、その思いは変わらなかった。

彼が正しかったことは、時代が証明した。テレビの視聴率は右肩下がりで、インターネットテレビ(You Tubue、Amazon、Abema TVなど)が外国から日本へ押し寄せている。堀江さんがやっていれば、10年先に日本がアメリカよりも先にインターネットテレビを普及していたのに。

そんな記憶をたどりながら、堀江さんの書籍「ゼロ―なにもない自分に小さなイチを足していく」を読んだ。

今、人生のどん底にいる人へ

日本で会社員をしていると、「人事異動」という謎のシステムによって、僕らの人生は勝手に決められていくことになる。数年間の時間と情熱を傾けていたものが、誰かの一言で一瞬にして他の誰かの元へ行き、僕らは新天地で再び振出しに戻る。こうした不条理の中で働くことに希望を失い、情熱を傾けることを辞めてしまいたくなることが誰にでもある。仕事だけではない。男女関係、家族関係。身の回りのあらゆることが影響して、歯車は悪い方向へ回転していく。

この本は、今、人生のどん底にいる人に読んでほしい。人生は足し算。掛け算のような倍々ゲームは人生にはない。今日の努力が明日に加算されるものだ。遠い将来を憂うよりも、今日より明日、明日より明後日。一日一日を大切に、一つずつ目標を達成していくことの積み重ねで状況は好転していく。

働くことに疲れてしまった全ての人へメッセージを送る本かもしれない。

 

物事の出発点は「掛け算」ではなく、必ず「足し算」でなければならない。まずはゼロとしての自分に、小さなイチを足す。小さく地道な一歩を踏み出す。ほんとうの成功とは、そこからはじまるのだ。・・・失敗して失うものなんて、たかが知れている。なによりも危険なのは、失うことを怖れるあまり、一歩も前に踏み出せなくなることだ。・・・経験とは、経過した時間ではなく、自らが足を踏み出した歩数によってカウントされていくのである。・・・人生の中で、仕事はもっとも多くの時間を投じるもののひとつだ。そこを我慢の時間にしてしまうのは、どう考えても間違っている。

 

合理性だけでは上手くいかない

これを読んで、ハッとしたことがある。自分も仕事中は感情を無にし、機械的な対応を極力心がけてきた節がある。

自宅を一歩出るとそこは舞台で、舞台衣装はその日のスケジュールに合わせて選ぶ。打ち合わせの相手がお堅い人であれば、コンサバなスーツ。強気の交渉事の時は、ネクタイの色を変える。髪型も今風の装いではナメられるので、勝負の時は昭和のサラリーマン並みの七三分けに。25歳で会社員になってから、しばらくはそんなことを考えて舞台俳優を演じてきた。

その中で失ったものは、まさに感情である。自分の人となりをまず知ってもらう。そこを疎かにしていた節は否めない。ああだこうだ文句を言って仕事をしない人もいた。そんな時は、仕事なのだからちゃんとやれよと心の中で思ったものだ。今思えば、自分が人間味を持って接していれば、もっとうまくいった場面もあったのかもしれない。

 

理詰めの言葉だけでは納得してもらえないし、あらぬ誤解を生んでしまう。そればかりか、ときには誰かを傷つけることだってある。僕の考えを理解してもらうためには、まず「堀江貴文という人間」を理解し、受け入れてもらわなければならない。言葉を尽くして丁寧に説明しなければならない。その認識が完全に抜け落ち、多くの誤解を招いてきた。

 

ハマることの大切さ

何かに夢中になることが、全てを好転させる秘密なのかもしれない。僕は昔から何かに熱中すると、寝食忘れるくらい没頭する癖がある。中学の頃は、釣りと競馬。高校はサッカー。大学はネットゲーム。勉強に関しては、ハマると強いが、ハマらないと全くダメ。中学の頃はトップクラスだったが、高校へ入ると400人中396位のこともあり、結局1年浪人生活を送った。

JICAやILOで働いている僕を捕まえて、「あなたのように優秀になりたい、どうやったらなれますか?」と聞かれることが多い。そこでいつも言うことがある。僕はそんなに優秀な人間じゃない。もう一度生まれ変わったって、東大にはいけない。英語に関しても、TOEFLの点数は同期の同僚の中で最下位だ。

そんな僕にとって、勉強や仕事は努力したところで成果は上がらないとわかっている。如何に自分自身を没頭させることができるか。これに掛かっている。人はそれを努力と呼ぶのだろうが、好きで没頭できることを見つければ、それは苦にならない。気付いたころには、誰かが僕を追いかけていた。そういう状況が今なのだと思う。

 

勉強でも仕事でも、あるいはコンピュータのプログラミングでもそうだが、歯を食いしばって努力したところで大した成果は得られない。努力するのではなく、その作業に「ハマる」こと。なにもかも忘れるくらいに没頭すること。

 

孤独や寂しさに耐えること

僕の故郷は北海道十勝支庁士幌町。6,000人強の小さな街だ。同級生のほとんどが、士幌町で生まれ、結婚し、十勝を出ることなく地元で一生を過ごす。北海道外へ旅行したことがある人は少なく、僕が香川大学へ行くことになったとき、香川県が日本のどこにあるのか知らない人も多かった。ましてや、海外留学や海外駐在をする士幌町民は、町の歴史が始まって100年、僕が最初で最後かもしれない。

そういう環境で育った僕にとって、これまで、人生の先輩はいなかった。ロールモデルがいないのである。士幌から香川大学へ行った人も、香川大学からイギリスの大学院へ進学した人も、JICAへ就職した人も、国連へ就職した人も。転職の際も、誰にも相談することなく、自分で決めた。僕の歩く道には道標はなかった。

自分の責任で生きていくことを決断したとき、孤独や寂しさは消えるのだと思う。まだまだ孤独を感じることはあるけれど、この仕事をしている限り、誰にも依存せず生きていく自分を作ることは大切だと感じる。

 

孤独だから、寂しいからといって、他者やアルコールに救いを求めていたら、一生誰かに依存し続けることになる。この孤独は、僕が自分の責任で引き受けなければならないものなのだ。・・・いま、なかなか一歩を踏み出せずにいる人は、孤独や寂しさへの耐性が足りないのではないだろうか。少しでも寂しくなったら、すぐに誰かを頼る。孤独を感じたら、誰かに泣きつく。そんなことでは、いつまでたっても自立することはできず、自分の頭で決断を下すこともできない。

 

本業以外に事業を作ること

最近よく思うのは、没頭できることをいくつか作ることの大切さである。会社員としての生活が全てであれば、それが上手くいかなくなった時に全てが悪い方向へ行く。特に、会社員の場合、人事異動という不条理なシステムの都合、自分の情熱の無いところで仕事をしなければならないことも多々ある。そんな時、本業以外に没頭できることをいくつか作っておくことの大切さに気付く。そうしなければ、本業の不条理だけが記憶に残り、自分の成長は感じられないで終わってしまう。

僕の場合はそれが、オンラインメディアやキャリア相談を始めたきっかけだった。本業の傍ら、いろいろな小さなプロジェクトを作って育てていきたいと思っている。もちろん、それは本業あってのことだけど。

 

どうすれば飽きずに継続できるのか? ロケットとはまったく別ジャンルで、しかも数カ月のうちに結果が出るような小資本のプロジェクトを、いくつも同時進行していくのだ。たとえば、新しいアプリやWebサービスをつくる。