緩い社会制度の裏には、他人に注意することができないインドネシア人の性格がある
インドネシアではいたるところにセキュリティガードがいる。デパート、オフィスビルの外には必ずセキュリティガードがいて、カバンを開けさせてチェックをする。その後にセキュリティゲートがあって、X線を通すこともある。空港で見かけるようなシステムが街のいたるところにあるわけだ。
一度試しに、カバンチェックを担当するセキュリティガードを無視して素通りしてみて欲しい。彼はおそらくあなたを止めないだろう。一度だけ小さな声で、「ちょっと待ってください」というかもしれない。しかし、それを無視しても、彼は追いかけてくることはない。
これはインドネシアでルールの適用がゆるい最も具体的な例だと思う。この国の人々は、他人に何か強制したり、自分が正しいことをしている時に間違ったことをしている人を正すことができない。それは部下と上司の関係でも起こることで、部下が上司に意見するという場面はほとんどない。もしそれができる部下がいるとすれば、その人は素晴らしい部下を持ったということになる。極めて稀なケースである。
インドネシア政府と社会保障の適用策を議論した際の話をしよう。「強制加入が必要な適用事業所が法令違反をしていて、そこの従業員が社会保険に加入していない状況が散見される」という課題があった。それによって、約半数の加入すべき従業員が加入できていない実態があり、法令にのっとって政府が適用していけばよい話である。
これを解決するための方策を議論する場で、政策立案をする立場の人たちと話をすることがよくある。驚くかもしれないが、「守れない法令であれば、みんなが守れるくらいに緩くしよう」という方向に議論は向かう。
私は当然、「法令はその社会があるべき姿へ向かうための道標のようなもので、それを変えることで法令を遵守する企業の割合を増やすというのは馬鹿げている」と言った。しかし、「インドネシアでは法令を遵守させることが非常に難しいので、守れない法律は緩めることで対応する」という反応が当たり前のように返ってくる。
前提として、先進国の感覚からすればインドネシアの法令が過度に無理な水準を要求しているケースは少ない。労働・社会保障関連の法令では、国際労働基準に満たない部分を改善していく(より水準を上げていく)フェーズにある。
法令違反をしている事業所を処罰したり、何らかの行政措置を取ることによって、法令違反をするとどういう結末が訪れるかを、社会に知らしめていくプロセスが必要である。しかし、私が受けた反論としては「摘発するにも数が多すぎて予算がかかる」というものだった。
通常の社会で一部の業者を摘発すれば、他の業者も摘発を恐れて法令を遵守する方向へ向かう。しかし、この国の人々の根幹には、何かを強制したり、他人のことに口を挟むことに対して著しく抵抗感があるようだ。仮に予算計上して摘発を担当する行政官を配置したとしても、おそらく行政官は違反者に対して強く言うことができないだろうし、任務を遂行しない担当者を咎める人もいない状況が生まれるだろう。想像に容易い。
最初の話に戻る。私の知人は必ず、2回あるセキュリティチェックの1回目を無視する。なぜなら、2回目のセキュリティチェックが数十メートル先で行われるわけで、両方のセキュリティチェック担当が真面目に仕事をしているとは思えず、適当に通過する人も素通りさせているからだ。自分だけ馬鹿正直に鞄を開けて見せる必要がないというスタンスだ。彼の後ろをついていくと、真面目な私は鞄を開けて見せるが、彼は振り向くこともなく素通りしていく。セキュリティチェック担当の困惑した顔はいつも滑稽ではあるが、これがこの国の人たちの性格であり、社会全体が法令を適用することができない最も具体的な例だと思う。これが日本やほかの社会であれば、上司に事案を報告し、こういうことが起きないように徹底する策を練る。ここではそんなことは起きない。
これを解決するためには、また新しい世代が次の世代へ、小学校初等教育から規律と法令遵守について徹底的に叩き込むことでしか解決することは難しいだろう。インドネシアが法の下に平等で、法のもとに裁かれ、法に基づいて国家運営されていくようになるには、まだ一世代や二世代かかるのではないだろうか。そう考えると、50年後ぐらいはかかるのだろうか。