インドネシアの社会保障制度と再分配の構造的課題
インドネシアの社会保障制度において、生活保護制度は極めて大きな割合を占めている。この生活保護制度は2000年代から始まり、現在では年間約1000万世帯が受益している。平均的な家族構成を5人と仮定すると、約5000万人が生活保護を受けていることになる。これは世界最大規模の生活保護制度といえ、社会保障財源の税財源の約20〜25%が当てられている規模の大きな国家プロジェクトである。
一方、健康保険制度については、インドネシア政府は国民皆保険(Universal Health Coverage: UHC)を実現していると宣伝している。政府発表によれば約2億7000万人がカバーされ、人口の95%をカバーしていると主張している。しかし、実態はそれとは異なる。社会保障機関(Badan Penyelenggara Jaminan Sosial: BPJS Health)の公表データによれば、2億7000万人のうち2億1000万人のみがアクティブメンバーであり、残りの約7000万人は失効しており、実質的にカバーされていない。国際的な定義では有効な加入者数をもって健康保険カバレッジとするので、全国民の約70%程度がインドネシアの健康保険カバレッジであり、政府の主張とは裏腹に国民皆保険とは言い難い状況である。
さらに重要なのは、2億1000万人のうち1億3000万人は保険料を支払っておらず、政府が税財源から保険料を負担しているという点だ。実際に保険料を支払っているのは約8000万人にすぎない。これがインドネシアの健康保険制度の実態である。
社会保障制度の税財源の配分に関しては、特定財源としてはっきり区分されておらず(イヤマークされた予算ではなく)、財務省が全体予算から割り振っている。生活保護の受給者選定においても、(貧困削減政策としての建て前から)政府は所得下位20%や40%を対象とするとしているが、実際には予算の範囲内で1000万世帯分を割り当て、その受給者を「貧困層」と見なして給付するという逆算的な配分方式が採られている。
また、貧しくない世帯が受給しているという指摘も多く、この制度の有効性には疑問が投げかけられている。税財源による社会保障給付が実際には「補助金のばらまき」となっている状況は、宗教的価値観(喜捨の文化)も影響していると考えられる。政策対話の場では「貧困削減」という言葉を使えば支持が得られるという実情がある。貧しい人へお金を配るのは良いことであるという暗黙の了解が、政策対話をしていても感じられる。
社会保障向けの税財源の調達方法に目を向けると、インドネシアでは国民のほとんどが所得税非課税となっている。月収が日本円で約5万円以下(ジャカルタの最低賃金相当)の人々は所得税が非課税であり、ジャカルタ以外の地域ではこの金額以下で働いている人が多い。つまり、国民の大多数が合法的に所得税非課税となる仕組みである。
一方で企業負担は世界的にも高水準である。法律で定められた解雇手当や退職金が高額で、労働法改正で半額に引き下げられたものの依然として高い。また、出産手当や病欠手当についても社会保険化されておらず、企業が都度支払う仕組みとなっている。これは企業のキャッシュフローの不安定化や、支払いを拒否する企業の発生につながる。社会保険化による負担の平準化が望ましいが、労働組合は既得権を手放すことを望まず、国民も社会保険料の引き上げに強い抵抗感を示す。
労働組合は法令上の権利を死守することに固執するが、法令順守する企業が少なければ、労働者は個別企業と交渉・裁判をしなければならないわけで、不利な状況である。本来であれば、社会保険化をすることで、国の機関が保険料支払いをモニタリングする体制へ移行する方が、労働者と企業の両方にとってよいはずだ。
また、興味深いことに、給与明細で天引きされる社会保険料への抵抗は強いが、消費税への抵抗は相対的に低い。このため、財務省は財源確保のために消費税率を引き上げる戦略をとっている。2024年末の消費税引き上げは、メディアを通じた全国的な議論となったため、一部の引き上げに留まった。しかし、2022年4月の消費税引き上げに際しては何の騒ぎも起きず、実施された。なお、インドネシアの消費税率はASEAN地域で最高水準となった一方、社会保険料は最低水準に抑えられている。
このような構造は逆再分配の効果をもたらしている。多くの社会保障が税財源でまかなわれるなか、その税収は消費税という形で低所得者層を含む全国民から広く薄く集められている。消費税の税収が「貧しい人に対する社会保障に充てる」と説明されているが、実態は貧困層を含む全国民から集めた消費税を使って一部の人々に配分するという矛盾した構造になっている。雇用保険を例にしても、会社勤めの労働者が加入する制度にもかかわらず、労働者は保険料負担をせず、税財源が投入されている。
しかし、メディアを含む世論には社会保険の理解が広まっておらず、社会保障は政府からの施しと考えられていて、税や社会保険料を通じて国民自らが負担しているという意識が乏しい。このような再分配機能を果たすべき社会保障が実質的には機能していない「ハリボテ」状態が続けば、社会不安につながる恐れがある。インドネシアでは独立後、約30年ごとに社会的緊張が高まり、富裕層である中華系住民への攻撃などの形で社会変革が起きてきた。1960年代後半と1990年代末の二度の事例がある。これは偶然ではなく、再配分を含めた経済政策・社会保障政策も遠因と考えられる。
現在の逆再分配の構造を見直し、適切な再分配システムを構築しなければ、格差はさらに拡大する。インドネシアの社会保障制度と税制は、表面的な制度設計と実態の乖離を抱えたまま、構造的な課題に直面している。
※この記事は、AIが筆者のポッドキャストを文字起こし・執筆し、筆者が編集したものです。