ジャーナリストの間違い
4月上旬の記事について、大衆紙コンパスの記者にメッセージを送った。彼女は年金の話をよく書いてくれている。この記事も技術的な内容を理解しようとして書かれていて好感を持つことができる。
一緒に働いているバンコクの同僚にその記事を送ったところ、「タイの年金制度で保険料の改定があったと書いてあるが、それは間違っている」という指摘を得た。「一部誤報がある」わけなので、間違っている部分を丁寧に記者に伝えたわけだが、返ってきたのは、「BPJS Kesehatanが言ったことをそのまま書いただけ」という回答だった。
インドネシアでよくある「自分は悪くない」という言い訳である。これには私も慣れたもので、「いつもの感じね」と捉えて返信もせず、静かにアプリを閉じた。
インドネシアの社会は、言い訳文化である。この国では言い訳を良いことと捉えており、言い訳をすることが大切だと考えている節がある。「言い訳せずに、結果だけを見る」日本社会や一般的な国際社会とは住む世界が異なる。
それでも、「内心はしっかり受け止めていて欲しい」と感じる。ジャーナリストとして、「ロフェッショナルに事実確認をすべき」という趣旨だったわけだが、果たして伝わったかどうか。次の記事で信頼の審判が下る。
ところで、この手の話はインドネシアだけではなく、日本や先進国でもよくあることだ。ジャーナリストが発言者の文字通り伝えるようでは、ジャーナリストの価値がない。事実のみを伝える役割は、プロのジャーナリストから個人のSNSへ移り、要約する作業はAIに移った。信頼できる緻密な取材と事実認定を重ねるジャーナリストやメディアが生き残っていくこととなる。
まあ、余計なお世話だったのかもしれない。私も老害に一歩足を踏み入れたような気がした。