ボロイ昭和の居酒屋
最近は東京の下町の居酒屋でさえ店員は日本人ではなくなった。
好みのボロイ昭和初期創業の飲み屋がどんどん減っていく。
ただ飲み食いするだけなら良いのだけど、ボロイ昭和の雰囲気を楽しみに行くと、やはり日本人の年季の入った接客がなくてはならない。
こういう雰囲気を醸し出す接客は、数年日本で修行するだけでは身につかず、この地でそういう人に囲まれて生まれ育ったひとにしかできないのだろう。
移民問題は僕らのような外国かぶれの者が議論に参加せず、日本から一歩も出たことのない人たちが真剣に議論したほうが、「日本らしさを守りながらどうすべきか」雑音なく考えられる気がする。
経済とか財政とかちっぽけな価値観はどうでもよく、ボロイ昭和の居酒屋とかああいう崇高な雰囲気は二度と戻らない。
外国かぶれの僕らは、ボロイ昭和の居酒屋に一歩足を踏み入れたとき、「あぁ、故郷へ帰ってきた」と感じるのである。
ボロイ居酒屋を守ってきた大将と30年通い続ける常連に出会ったとき、僕らはほっとするのである。