労働市場センター長と朝のコーヒー

インドネシア版ハローワーク「労働市場センター(Pusat Pasar Kerja)」が2021年に設置され、それ以来の付き合いとなるセンター長のユスフさん。例えるならば、日本のハローワークで一番偉い人であるわけだが、いつも気さくに気軽に会ってくれて、情熱をもって語る姿に感銘を受ける。

SIMカード事件で電話番号を変えたことをきっかけに、先週から500件ある連絡先に年始の挨拶とともに変更通知をWhatsAppで送っていた(電話番号を変えても同様の問題が起きないLINEは優秀)。ユスフさんからもすぐに返答があり、「久しぶりに会いましょう」と私からお誘い。その日の打ち合わせが始まる前の7時半から1時間半くらいコーヒーを飲みながら談笑するに至った。

聞くと、「今年はジョブフェアを100回実施する」「職員数は700名に増えたが、日本のハローワークが2万人規模の巨大組織であることを踏まえると、まだまだこれから」「選挙があるが、自分たちは全国の労働者のために雇用サービスを提供するだけで、それは政府が変わっても同じこと」などなど。本当に熱い人だ。

熱いだけでなく、聞く耳と実行力を持ち合わせている。「雇用保険制度の何が問題だと思いますか?」と聞かれ、制度改正が必要な部分をいくつかお話しした。労働大臣へ手交した文書に詳細を記載したので、打ち合わせ後に文書を送ることとなった。この国では、組織の長に文書を届けるだけではなく、個人的な繋がりでこういったブリーフィングを差し込むことが大切。

「制度の瑕疵はわかりましたが、制度を変えずにできることは何でしょうか」。難しい問いが来た。制度上、零細企業は雇用保険への加入義務がなく、任意加入が可能となっている。一方、任意加入の場合は民間保険と同様に、加入者数の伸びは極めて小規模となる。五千万人いる全国の従業員をカバーするには制度改正を経て、零細企業に強制加入を適用することが不可欠。それでも、「自分に与えられた状況で最善を尽くしたい」との問いと理解した。

こういう話になると、専門性や職務上の経験値ではなく、発想力の問題となる。他国の好事例を探しても、任意加入で社会保険の適用拡大を実現した例は見当たらないからだ。それでも目の前の課題に応えなければならない。

話は加入者数の増加ではなく、「もっと多くの企業が人材募集を労働市場センターに登録するようにするにはどうすべきか」という方向へ移った。自由経済において、「企業に人材募集は労働市場センターを通じてしか行ってはいけない」という法律を作ることは難しい。一般的に、民間の人材募集ポータルは企業側から手数料を徴収する一方、公的雇用サービスは無料で人材募集することができることが、企業が公的雇用サービスを利用する最大の利点。ただ、インドネシアのように口コミで仕事が決まっていく社会においては、こうした一般論が当てはまる労働者は高所得・高学歴の「ハイクラス転職」くらいなもので、全国の農村部で成立する理論ではない。

細かく刻まれたキウイを摘み、中煎りのアラビカ種で淹れられたコーヒーを飲みながら、ハタと気づく。「待てよ。俺も、農村部出身だった」と。北海道十勝の人々にとっても「田舎」と言われる人口6,000人の士幌町。雇用や公的制度に関する住民の情報源は役場。役場が発行する月刊広報誌「しほろ」や「役場だより」は、毎月登録世帯へ紙で配布される。若者はSNSを使うというのはステレオタイプで、関心のない若者は役場のアカウントなどフォローしない。役場側から毎月送り付けることで、関心のない住民の目にも留まる。そして、自分の人生において必要なタイミングが来た時に、「そういえば、役場の広報誌があったな。役場に聞いてみよう。」となる。役場のホームページには、ハローワーク帯広が発行する求人情報が毎週公開される。役場へ行けば、印刷物も置いてあり、役場に直接届けられた求人情報も得られる。農村部における雇用サービスは、役場が重要な役割を担っている。

また、「年寄りしか印刷物は読まないし、年寄りも広報誌を読むのが面倒になって誰も読んでいない」と言う人もいるかもしれないが、農村部では親が子の情報源であることが多い。誰々がどこに就職して、誰と結婚・離婚し、どこの農家が業績が良くて求人しているか、どこがブラック企業か、等々。この手の話は親や年寄りが一番よく知っている。何しろ、田舎の年寄りはやることがない。時間を持て余した年寄りコミュニティの噂による情報網は強力な広報資源である。

この話を一通りした上で、「役場が日常的に行っている広報活動の一部に、労働市場センターに届いた求人情報を掲載するように役場と連携してはどうだろうか」とユスフさんへ伝えた。「それは良い考えだ」ということで、出勤してきた通りすがりのスタッフを横に座らせ、「これから実施するパイロット事業の一つに組み込もう」とすぐに指示。聴く力と行動力が素晴らしい。