国際機関の人事異動、椅子取りゲームの先に
数年前に一緒に働いていた部下からメッセージが届いた。「空席が出るから応募してください」と。昨年あった内外公募に関して、同僚の一人が勝ち取り、私も他の同僚もその公募で負けた訳だが、今度は勝った同僚がいたポストが空席となる。その空席をまた公募するということで、延々と玉突き人事が行われるのである。
人事部が権限を持っていて職員を指名して配置転換するのなら話は早いが、いわゆる日本的な人事異動が存在しない。国際機関はおそらくどこも同じだろうが、良くも悪くも公務の世界のなれの果てが国際機関である。平等の名のもとに、ほぼすべての採用を外部公募する。日本国内の利害関係者を考えれば多く見積もって一億数二千万人程度なわけだが、国際機関ともなれば利害関係者は八十億人となる。後ろから刺されないように、少なくとも手続き上は外部公募となるわけである。
その結果生まれるのは職員不在の空白期間である。空席が半年間となるのはザラで、一年から二年ということも通常運転である。実務的な観点からすれば、まったく無意味で、空白期間がこれほど長いと、毎回新任で着任する職員はゼロからの積み上げとなる。それまでに積み上げた組織としての記録も記憶もなくなっていることが多い。それは、記録を細かく残し、引継ぎを繰り返す日本の行政機関とは全く異なる組織文化だからである。欧米的な組織文化であるため、知見やコネは組織ではなく個人に蓄積される。しかし、巨大な公務を担う機関であるがゆえに、最長で単年度契約、外部公募という究極の不安定さがすべての職員を取り巻いているため、離職率は極めて高い。隣のチームへ異動するときも、公募と競争の果てに勝ち取って動くわけであり、仲間意識というよりチーム間の引き抜き合いの様相を呈している。
冒頭の話に戻すと、かつての部下からもう一度戻ってきてほしいと言われるのは嬉しい限りだ。実際、その国へ着任すれば新しい挑戦だけでなく、自分のレベルも相当上がっているため、よい仕事ができるのは間違いない。ただ、この殺伐とした零細企業の経営者の集まりのような国際機関の職場環境にあって、国を異動するということは、ゼロからスタートアップで事業を立ち上げるのと同じことを意味する。民間企業の経営経験がない私が言っても正確ではないかもしれないが、民間の方と話をしていると、私たちがやっていることはその感覚に近いらしい。つまり、新しい資金源を確保し、従業員を集め、事業所を立ち上げ、家賃から光熱費から人件費まですべて計算し、クライアント周りをしてニーズ調査を行い、ニーズに合ったサービスを提供する。そのサービス対象が、一国の未来永劫続いていく社会保障政策ということで、直接のクライアントである政府、労組、経済界の向こうには、間接的なクライアントである数億人の国民がいる。
かれこれこの業界に20年程いて、国際機関は10年となる。国際的な公的機関で、企業内スタートアップのような働き方をしながら、零細企業を経営し、一国の労働・社会保障政策に真剣に取り組む。本気でやろうと思うと、あまり長くは続けられない仕事である。最近その実感を強く持つ。
極論、他人の国で、その国の国民よりも大きな責任を感じ、国民がまだ考えていない先の先のことを見越して超長期の政策を作り、法整備を行う。ふと立ち止まって考えると、自分のことや、身の回りのことにもっと時間を割いてもよいのではないかと考えることがある。
そんなことを考えながら、別の同僚に、「空席応募するの?」とメッセージを打った。「いや、今の仕事もそろそろ疲れたから、いったん自営業になる」と。そういうのも大事だよな、と日々感じる。
私の現状としては、とりあえず、12月までは予算があるので自分の給与は払える。来年の予算が不確定なので、部下に見通しを伝えることができないため、部下も別の公募が決まればそちらへ動く。新しい予算が確保できた時点で、給与に予算を振り分け、契約を更新する。毎年自転車操業である。