台湾の英雄「鄭成功」は日本生まれ日本育ちだった
漫画から学ぶことは多い。ここ最近で一番大きな学びというか驚きだったのは、台湾(や中国)で歴史上の英雄とされる鄭成功が日本人の母を持つ日本生まれ、日本育ち(7歳まで)だったと知ったこと。
ポルトガル人が種子島に鉄砲を持ち込んだ翌年の1544年、ポルトガル人は台湾を見つけた。彼らは麗し島(イラ・フォルモサ)と感嘆の声をあげ、西洋社会ではフォルモサ島と認知されるようになった。
1602年、オランダが東インド会社を設立し、インドネシアの植民地化を開始。日本や支那との貿易拠点とすべく、オランダは澎湖島を占領。明と戦闘の末、交渉が行われた。1624年、明は澎湖島を領有する代わりに、オランダの台湾領有を認めた。
鄭成功は漢民族の明王朝に遣えたが、満州民族に明は敗れた。鄭成功はその後も清と戦いを継続して漢民族の王朝復興を目指すが敗走し、新たな拠点建設のために台湾へ向かう。1662年、鄭成功はオランダを駆逐。ここに38年間のオランダによる台湾の植民地化が幕を下ろした。鄭成功の戦果によって、西洋人の植民地拡大の北限が台湾で止まったとされる。
1683年、鄭政権は清に降伏し、台湾は福建省に編入された。