アジアの社会保障の課題は、貧困を脱した中間層がカバーされていないこと
貧困を脱した中間層が陥る罠
アジアの社会保障の課題は何か?私なら「中間層の罠」と答えるだろう。貧困を脱出するための制度整備が進む一方、頑張って貧困ラインを超えた人々に対するサポートが極めて少ない現状がある。貧困から脱出する後押しはしておいて、その先に待っているのは中間層になったが故の罠というわけだ。これは私が勝手に考えた造語なので、もう少し説明したい。
マクロ経済用語で「中所得国の罠(Middle-Income Trap)」という言葉を聞いたことがあるだろうか。中所得国の罠は、「新興国が安い労働力を背景に経済発展を遂げた後、賃金上昇とともに経済が停滞する現象」を示す用語だ。つまり、中所得国となった段階で、貧しかった頃の魅力が失われてしまい、中途半端な存在になってしまう。そのため、投資家の関心を失い、市場での競争力を失い、経済全体が停滞してしまうわけだ。
似た現象がミクロレベルでも起きつつある。多くのドナー諸国や開発途上国政府にとって、貧困削減を達成することが至上命題となっている今、貧困層は中間層に比べて支援の対象となりやすい状況がある。実際、社会保障分野に関して言えば、貧困世帯を対象に現金を給付する社会扶助(Social Assistance / Cash Transfers)の導入が過去十年で急速に進んだ。低所得国の限られた予算の中で効率的に貧困削減を達成することを第一目標に置いた政策だ。
たしかに、貧困層にターゲットを絞って貧困を脱するために必要な最低限の現金を手渡せば、より少ない予算で効率的に貧困率を下げることができる。しかし、その弊害が顕在化しつつある。貧困層にターゲットを絞ることは、それ以外の人々を対象から外すことを意味する。貧困から脱したばかりの人々は、貧困層とほぼ同程度に貧しく、貧困に陥るリスクが高いままであることが多い。それにもかかわらず、社会保障でカバーされていない中間層が極めて多い現状がある。貧困から脱して中間層になったが故に陥る社会保障のカバレッジの罠。これを「中間層の罠」と表現してみた(※)。
アジアの人々の半数以上が社会保障でカバーされていない
アジア開発銀行(ADB)の調査によれば、アジアの人々の半数以上が社会保障へのアクセスが無いという。老後の生活に対する不安、病気になっても病院へいけない不安、失業時の保障がない不安など、大多数の人々がリスクを抱え、不安とともに暮らしている。
アジア諸国の多くは、社会保障のマスタープランである国家社会保障戦略(National Social Protection Strategy: NSPS)を策定している(バングラデシュ、カンボジア、インドネシア、キルギス、モンゴル、ネパール、パキスタン、ウズベキスタン、ベトナム)。一般的に、「様々な社会保障制度を組み合わせて、すべてのリスクから国民を守ること」がNSPSで定められているが、貧困削減に特化したプログラムに予算が割かれることが多く、貧困に陥るリスクを扱うプログラムは二の次とされてきたのが実態だ。
社会保障が最重要政策の一つとなりつつある
8月1日~5日、ADBはアジア大洋州諸国の政府・援助・学術関係者を集め、社会保障に関する会合(Asia Pacific Social Protection Week)を開催する。会合の目的は、中間層を含む包括的な社会保障システムの構築を政府に促すことだ。
また、持続可能な開発目標(SDGs)によって、社会保障が最重要政策の一つとみなされるようにもなった。SDGsを見ると、目標1貧困撲滅に不可欠な要素として、社会保障システム構築(SDGs 1.3)が明記されている。
このように、貧困層に対する保障が手厚くなる一方、中間層が見過ごされてきた実態がここ最近の社会保障の議論では重要な論点となりつつある。国際的な議論とアジア地域の文脈の両方において、社会保障の役割が貧困削減と不平等の是正を促す政策として再認識されている。
※ミッシング・ミドル(The Missing Middle)
開発経済学の世界では、ハーバード大学が説明している「ミッシング・ミドル(The Missing Middle)」がこれに近い。開発途上国では、零細企業(Microenterprises)と大企業が多い一方、その間にあるべき中小企業(Small and Medium Enterprises: SMEs)が圧倒的に少ない。金融アクセスや利益率などが原因として指摘される。大企業と零細企業の両方と競争することが難しいのが問題の根源だろう。
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