アメリカではサービスが悪くても儲かるが、日本ではきっと儲からない
築120年のアパートの自宅には、当然のことながら洗濯機がついていない。
つければよいといわれるかもしれないが、配管がないのでつけられない。
よって、100世帯以上が暮らすこのアパートには、コインランドリーが地下一階に設けられているだけである。
世帯数のわりに洗濯機の数が少ないのだから、週末ともなれば順番待ちの大渋滞となる。
渋滞を避けるために土曜の朝一に洗濯物をラウンドリーへ持っていくのが私の日課だ。
ただ、地下一階まで降りてまた昇ってくるのは面倒くさい。
だから、徒歩30秒の隣のカフェで、カプチーノかカフェラテとクロワッサンを食べるのが日課となっている。
カフェにはテラスがあって、ウェイトレスが寒空の中テーブルのセットを始めている。
手慣れた手つきで塩や砂糖を定位置にセットしている。手際は良い。
ただ、気になることがある。
テーブルを拭いていない。
昨日のお客が残したコーヒーカップの足跡が残っている。
食べかすが落ちている。
それを食べに来た小鳥の糞がある。
椅子も揃えないのだから、テラス全体が雑然としている。
塩や砂糖のセットもポンポン投げるように置く。
真ん中に置いてあったり、端っこに置いてあったり、不揃いだ。
日本人の感覚だと、「この店は教育が行き届いていない」ということになる。
ただ、これはおそらく教育の問題ではなく感覚の問題だ。
日本人は気にするが、アメリカ人は気にしない。
そういうことだろう。
もちろん個人差はあるので、あくまでも平均の話だ。
気にする人が少ないから、店も教育する必要がない。
教育コストがかからないから、店は支出を抑えることができる。
サービスの質が日本ほど高くなくても儲けをたんまり得られるのだから、アメリカ企業はよく儲かる。
最近日本ではアメリカにならって、企業へ利益率を高める努力を求めている。
いろいろな議論があるのだろうが、大事なことを忘れてはいけない。
お客様が神様の日本と、企業が神様のアメリカの違いだ。
カフェでサービスの質が日本基準と比べて悪くても、儲かるのがアメリカ。
客の立場に立って、どちらが気持ちの良い社会か考えることが大切かもしれない。
金儲けだけを考えているとついつい忘れてしまう大切な視点だろう。
開発援助に異国の地で携わっている人にとっても、客商売とサービスの質に関する感覚の違いは大切な視点だと思う。