技術に置いて行かれるベテランと部下の眼差し

日々の仕事の中で若い人たちから指示を得るために重要な一つの要素は技術への順応性であると感じる。少し前の話で言えば、そろばんから電卓へ、そして電卓からエクセルへの移行した時代を思い浮かべるとわかりやすい。電卓の時代に電卓の使い方がわからない先輩や上司がいた場合、その先輩や上司は部下から仕事ができないと暗黙の了解でみなされてしまう。同じように、メールの使い方がこなれていなかったり、うまくメールでコミュニケーションが取れない上司がいた場合、その人が信頼を得ることは難しいだろう。例えばTO、CC、BCCの使い方などは、私たちが2000年代初期に大学で学んだことであるが、世代によっては必ずしもそういった共通の理解を持っていない人たちがいる。

最近あった出来事でいえば、TOやCCに多くの人たちが入ったメールを送りつけてきて、それに対して全員返信した人たちに対して「全員返信するな」と言ってきた人がいる。返信者は他の関係者にも関係のある内容だったので敢えて全体返信したわけだ。この事例では全員返信してほしくない場合、BCCに全員入れるべきであった。この1回だけでその人は、変わった人だと思われ、信頼を失ってしまった可能性がある。

時代の流れの中で、今後はAIが使われるようになっていくだろう。機械ができる仕事をわざわざ部下にマニュアルでやらせようとする上司は、言わずもがな嫌われていくことになるだろう。そうならないためにも、新しい技術になるべくついていけるように、勉強していかなければならない。

ところで、話が変わるが、JICAをやめてILOに移ってから、緊急の度合いがあまりにも異なることに日々驚く。退社してから緊急事態ということでLINEやWhatsAppにメッセージが入ってくることがあるが、ほとんどの場合は無視をする。私の感覚で言えば、「緊急」というのは、人が死んだり、翌朝の会議場所が変更になったりするようなレベルの話。事務手続きで自分が解決したいことがある時にたやすく「緊急」という言葉を使って、余暇中の同僚や上司に連絡を取る感覚は持ち合わせていない。

その人の仕事にとって緊急であっても、世間一般あるいは自分にとってはそうではないことが多い。昔読んだオオカミ少年の話が手に取るようにわかる。「緊急」という言葉を使えば使うほど、自分の計画性の無さを露呈していることに、本人は気づいていない。他人の信頼を作り上げるのは地道な積み重ねが必要で、それを崩すのは一度の出来事であることが多い。