オンライン化が進まない老人優先の日本国会と若者優先のインドネシア社会
国会議員に帰国して出席するよう再三促し、帰国して出席したら問責するとなれば、日本の国会も時代錯誤な気がします。
たとえば、正当な理由なく欠席してはいけないという点で、なぜ病欠や家庭の事情が正当な理由で、その他の私的な理由が正当ではないのか。副業に時間を割いているだとか、これまでダメだとされてきたことすべてを引っくるめて、見直す作業を世界中の公的機関・民間企業は働き方改革の下でやっている。これは正当で、これは不当という誰かの価値観に基づいて議論を始めると何も変わらない。一度すべての価値観を同じレベルで認め、全ての価値観を認めるにはどういう手段が必要なのか検討する。それが進歩ではないか。その手段は国会のオンライン参加だと思います。質疑に立たない国会議員や閣僚が、何時間も何日も対面で会議に出席して寝ないように国民やメディアが見張っているというのは、私ですら最近は経験しない古い職場環境のように思います。
自分の役割がある会議への参加はもちろん。参考までに聞いておきたい会議、顔見せだけしなければならない会議など、参加だけして別の仕事を手元でやることなど、もはや当たり前となっています。出席しながら聞いていないのはけしからんと古い人は言うかもしれませんが、私の経験上文句を言う人はもちろんおらず、みんな同じように仕事を回している環境ではお互い理解しています。質問を聞いていなくて聞き直すときに、「別の会議聞いていた、あはは」などと言う人も日常的にいて、誰も咎めません。
また、私は不器用なのでできませんが、複数の会議に同時参加して、一つの会議で発言して別の会議ですぐ発言するということをやっている人もいます。
対面でなければ感情がわからない、新しい技術に慣れるのは難しい等、年配の人は言います。これは慣れてもらうより仕方なく、慣れることが出来なければ、それこそ正当な理由なく職務遂行できなとみなされるべきではないか、と感じます。
技術の進歩は著しく、職場で導入される新サービスも非常に多いです。その都度研修がありますが、結局一度しか使わなかったサービスもあったりします。新しい時代の働き方に適応するには、歳をとっても学び続けなければいけないのでしょう。
蛇足になりますが、インドネシア社会で生活していると、年配の人への社会的配慮は極めて少ないです。例えば、スマホアプリがなければ、コロナ禍ではスーパーマーケットも出入りできなかったし、最近は現金の受け取りをしていない店舗も増えています。
出前も昔のように電話では受け付けず、スマホアプリでの対応です。出前、タクシー、バスも、現金取引のオプションはおそらく消え、スマホアプリのみです。
若者のほうが多い社会では、日本の老人社会とこうも技術導入の速度が違うのかと、日々感心しています。こういう社会で老人が苦労しているかといえば、どうでしょう。アプリで支払いをしている人は見るし、子供や店員に操作を聞いている人も見ます。一度慣れれば、年配の方も困らないのだと思います。
ただ億劫なだけで現状維持を望むのが歳を取ることの意味で、こうした「正当な理由なく」社会的な進歩を拒むことが当たり前のように正当化されるのが、高齢化社会なのだと思います。