インドネシアにはボスはいるが、リーダーはいない
インドネシアの国民性で特徴的なのは、話を聞いて咀嚼し、それに応じた返答をすることで会話や議論をできる人材が少ないということだ。これは役職が上になればなるほど、そういった傾向が強い。一方、他の多くの国で感じたのは、偉くなればなるほど他人の話に耳を傾け、それを咀嚼し的確な反論をすることで有益な議論を展開する人材である。
以前、インドネシア人の同僚が言っていたことを思い出す。「この国にはボスはいるけどリーダーはいない。」数年働いた今、これはとても納得することができる。インドネシア人は、子供の頃からの教育で他人を叱ったり、自分と立場の違う意見に対して反論したり批判したりするということがタブーの社会で育ってきた人々である。大人になってから自分が力を持って部下に指示をすることはできるが、部下から上がってきた意見を咀嚼して聞く耳を持ってそれを取り入れていくという国民性は、この国で育っていないような気がする。
部下もまた、下から具申して上司を突き動かしていくというような人材は極めて稀少であり、これまで見たことがない。日程調整一つとってもそうで、「上司に別の業務があると言われたから」という理由で、対外的なアポをドタキャンすることはよくある話だ。その際に、上司に「対外的なアポがあるので、そちらを優先しなければいけません」と説明することは、まず100%なされない。上司は、部下が自分のせいで対外的なアポを断ったことを知らない。自分の個人的な別の都合を優先し、組織的には最悪の対外的な対応を行ったことを、組織の長は知らないのである。
それでもインドネシア社会はそれで上手く回っている。会社や社会、国全体でこれが日常的に起きている。人々は、「仕方ない」で片づけ、納得する。「本人は悪気がないので許すしかない」といったり、「神のいたずら」といった論理らしい。いずれにせよ、現場で一体何が起こっているのか、上司は知る由もない。
こうした状況を理解した上で、私たちはこの国で仕事をしている。全て肯定的にとらえるのであれば、「この国はきっと、強烈なリーダーシップでトップダウンで成長していくことになる」ということだろう。だからこそ、この国の人々はリーダーが好きなのだと思う。
また、感覚的にはどこか、アメリカや中国と似ているような気がする。支持するかしないかは別として、これらの国の人々は、国や会社が強力な権力を持ったリーダーに動かされ、国民は「お上と自分は関係なく、自分や家族を自己防衛する」といった価値観を持っている。