バンコクのお粥と経済成長と社会の分業
バンコクの街角で熱いお粥を啜りながら思うのは、経済成長と社会の分業についてです。
産業の発展段階を考えるとき、大規模店舗が郊外にでき、中心部の商店街が閑散としていくのが一般的です。
同様に、バンコクのような大都会ではオフィス街が街の中心から郊外へ向けて広がっていき、地元の古き良き風情は失われていっています。
もうじきお粥を振る舞う屋台も、朝食を買い求める行列も無くなることでしょう。
大規模デパートや大都会のビル群が屋台を駆逐していないエリアでは、人々は今も昔も食事を買い求め、屋台へ並んでいます。安く美味しい屋台が活気を生み出しています。
そこに経済成長は無いものの、社会の分業を垣間見る気がします。美味いものを作る人が朝食を振る舞い、各家庭の厨房と食卓を担っています。
経済発展が進むと人々は、屋台で食べることをやめ、スーパーで買い物をするようになります。
スーパーで買った食材を自ら調理し、労働と家事の一人二役を担うようになるわけです。富裕層であればメイドやシェフを雇い、資本家や労働者としての役割に注力できます。しかし、多くは一人何役もこなすようになるでしょう。
社会の分業と経済発展とバンコクの朝食。このお粥が冷めてしまう日がいつか来るのでしょう。