日本とイスラムの価値観と文明の衝突
大東亜戦争時に生きたインドネシアのリーダーたちの証言をまとめた本を読んでいる。出版社の特性上、日本にとって耳触りの良い証言が多く、差し引いて受け止めた方がよいかもしれないが、証言の節々に興味深い価値観を垣間見る。その価値観は80年たった今でも、日本とインドネシアに根付いているような気がする。
「インドネシア駐屯日本軍人がイスラム教に理解があり、業務中の礼拝を認めたり、裸で川で泳ぐのを止めたりした」という証言。
現代、日本人が異文化に入ったとき、相手の文化に譲歩する場面が多い。一方、日本で働く移民が業務中の礼拝を求めたり、ハラル料理を求めたり、髪や顔を覆う衣類を身につけたり、集団礼拝をしたり、土葬を求めたりしたとき、昔からその土地にいた日本人が「それは不快だからやめてほしい」と主張すると「それでも宗教上大切なので譲れない」ということで反発が起きるだろう。
「日本がオランダを駆逐して解放してくれたのはとてもよかった、これは神が与えてくれた贈り物だと思った」という証言も興味深い。
目の前の人間や社会規範よりも神が優先されることによる違和感は、日本の価値観とは離れている気がする。どれほど尽くしても、神のおかげと理解されることは、日常に違和感を生むのだろう。
これらは80年前の証言だが、今も共通する体験が日常にある。西洋における移民問題の争点の一つであり、根源にある価値観の相違。日本の移民問題で反発が起きつつあるのも、これが一つの理由だろう。
ハンチントンが文明の衝突を論じてから久しい。国と国の衝突を論じていたと思っていたが、最近の欧州や日本での移民問題を見ると、彼の理論が身近に感じられる。
移民として異文化へ入り込む場合、日本人的な感覚からすれば、文句はあれど移民先の社会や人々へ自分の価値観を押し付ける場面は少ない。「これは絶対に譲れないので、あなたの社会が変わるべきだ」という話は聞かないし、思い当たらない。「郷に入っては郷に従え」には但し書きがついていて、「ただし神が認める範囲内において」ということなのだろう。
こうした話をすると、「人によっては寛容な人もいる」という反論がある。しかし、こと移民問題に関しては、受け入れる社会からすれば数の多少は関係なく、違和感をもたらす異質なものとして認識してしまう。一人でも不寛容な人がいたり、社会規範を変えようとする人がいれば、受け入れ側はその人だけでなく所属集団全体に拒否感を感じる。それが欧州で起きていることなのだろう。日本社会は持ち前の寛容さによって受け入れるのか、ある一定のところまで我慢をし、そこから拒否反応が生まれるのか。
昔の証言を読みながら感じたことである。