インドネシア駐在員のコロナ療養記

これはインドネシア駐在員が新型コロナウイルスに感染し、回復するまでの日々を綴った記録である。

11月17日木曜日

鼻の奥の微かな渇きと、午前4時半のアザーンが朝を告げる。

こじんまりとしたジャカルタのアパートには、一人暮らしには十分すぎるほどのリビングとベッドルームがある。掃除嫌いの私にとっては十分すぎるほどの広さではあるが、高級デパートに出入りするジャカルタ市民や日本人駐在員にとっては信じられないほどの狭さだろう。18平米が二部屋。YORKのエアコンが1つずつ備え付けられてる。ダイキンのお膝元の日本ではお目に係れない、米国ブランドのエアコンだ。

2つあるエアコンにリモコンは1つ。なんともインドネシアらしい。

インドネシア生活に慣れてしまった私は、不便に感じることもなく、リビングのエアコン1台に頼った生活をしている。部屋にいるときはもちろん、カビ防止に外出しているときも、寝るときも、27度に設定している。環境活動家から見れば、24時間エアコンをつけっぱなしで生活している私は格好の敵なのだろう。

ときどき困ったことが起こる。1つしかないリモコンの指令が、知らぬ間にベッドルームにある2つ目のエアコンを起動し、凍えながら起床するということがある。この日の朝はまさにそうした状況で、凍えながら起きることとなった。エアコンの送風を直接受けながら寝ていたせいか、喉に若干の違和感を覚えながらの起床となった。

11月18日金曜日

翌日のソウル出張を控え、200枚に及ぶスライドを2週間かけてまとめた。韓国政府と共催で毎年実施している雇用保険制度に関する実務家研修の講師を引き受けていた。ようやく準備が終わり、昼を告げるアザーンがアパートの窓を揺らす。

喉の状態は悪化するでもなく、良くなるでもなく、微かな違和感だけが不気味に残っていた。悪化して万が一熱があがれば、搭乗拒否。丸一週間研修講師を務める一大イベントに穴をあけることとなる。念のため、ロキソニンを飲み、気分を和らげる。それでも、嫌な予感が頭から離れず、箱買いしている抗原検査キットを冷蔵庫から引っ張り出す。夏頃に2,000円でトコペディアで買った。30回分あった綿棒とリトマス試験紙は、15回分くらいまで減っていて、今回もまた一本線を見ることになるのだろう。あくまで安心料というか、陽性反応が出たためしがないので、安物の試験紙を信頼していない。

片眼を瞑って涙をこらえる。そこまで突っ込まなくても良いという人もいれば、私のように達成感を得るために思い切って突っ込む人もいるはずだ。試験紙に3滴垂らして15分待つ。手慣れたものだ。机に向かってやりかけの仕事に戻る。

集中すると試験紙のことなど忘れてしまう癖がある。スマートフォンのストップウォッチが30分を指していた。振り返ってバティックのテーブルクロスに目をやると、カラカラに乾いた試験紙にくっきりと二本線が出ている。何かの間違いに違いない。15分のところを30分も待ってしまった。もう一度試してみよう。こういうときは、不思議とすべてを自分の理想に近づけて解釈しようとする。現実が信用を失い、理想が現実に勝る。何度やっても結果は変わらない。現実は変わらない。

翌日の出張への影響を考え始める。否が応でも現実に戻される。万が一、コロナウイルス陰性反応が出て診療所から陰性証明書がもらえれば、多少調子が悪くても出国できるはず。万が一、コロナウイルス陽性反応が出れば、陽性証明書を使って各方面と調整を開始しなければいけない。色々な現実が錯綜する。

最寄りの診療所で検査を受けるも陰性。使っている抗原検査キットは全く同じものなので、鼻の奥まで突っ込めば陽性となるはず。そう言ってやり直させるわけにもいかず、陰性証明を受け取って帰宅。インドネシアの検査精度は検査員の質次第のところがあって、信用できないと身をもって経験した。

11月19日土曜日

夜中の2時に目が覚める。目覚まし代わりのアザーンにはまだ早い。強烈な喉の痛みが、唾を飲み込むたびに眠気を吹き飛ばす。仰向けで寝ていると唾が喉にたまり、無意識に飲み込む。人は寝ている間も無意識にそうしているのだろうか。飲み込むたびに目が覚めるので、横向きになって唾を垂れ流しながら寝ようか。そんなことを考えているといつの間にか朝になっていた。

20時発のジャカルタ発ソウル行に乗れるか。15年ぶりのアシアナ航空を楽しみにしていたが、そんなことはどうでもよくなるほどの朝。体験したことのないような染みるような喉の痛みと、38度4分の発熱でコロナ陽性は疑いのない状態。8時開院の診療所へ朝一番で向かう。ガラス越しの問診と喉を見ただけで終わる診察。ワクチン接種履歴を聞くこともなく、PCR検査を受けて要請であれば、遠隔診療で薬を届ける。淡々とした手慣れた対応だ。

薬は効果への疑念から日本でも治験が打ち切られたアビガンが「基本」と言われたが、他の選択肢はあったのだろうか。他のオプションを示されるでもなく、問うわけでもなく、フラフラの私は二つ返事で了承した。

前回PCR検査を受診した際は、結果の受領まで24時間を要した。今回は5時間後にはWhatsAppで結果が送られてきて、Positiveの一文字。銀行振込をモバイル端末で終えて、スクリーンショットをWhatsAppで送る。診療所はすぐにGoJekで薬を発送した。遠隔診療は然程特別なものではなく、LineやWhatsAppで病院と連絡し、銀行送金をアプリで実行し、GojekやGrabのバイクタクシーが配達してくれる仕組みがあれば可能なのだと身をもって感じた。アビガン以外の薬を受け取ってグラブタクシーで帰宅。解熱剤は効果てき面で、2時間ほど眠りについた。

昼過ぎに起きると、同僚からの電話や各種対応が始まる。

兎にも角にも、出張のキャンセル手続をしなければならない。最終的には韓国政府と調整役の同僚が宿泊予定先と調整してくれて、キャンセル料を払わなくて良いことになった。出張に行かない場合のキャンセル料の公費支出手続きというのは難易度ウルトラEで、マニュアルもなければ規則もない。土曜日の内にホテル側と契約手続きを新たにするか。出張者へ支払い代行させるための決裁を取るか。色々な事務手続きの可能性を同僚と議論したが、陽性証明書の提出でキャンセル料を免除してくれた宿泊先には感謝しかない。

担当するはずだった講義も同僚が引き受けると言ってくれたことで、肩の荷が下りた。私が用意した200枚のスライドには目も通してもいないだろうが、とりあえず引き受けて何とかする力が必要となる。日本では考えられないことだが、この会社で最も必要とされる力である。

残すは、乗るはずだった航空便のキャンセル。アシアナ航空の電話番号をインターネットでようやく見つけた頃には、営業時間の正午をまわっており、キャンセルができない。旅行会社を通じて買ったチケットであるためか、インターネットでのキャンセルも通らない。会社が提携する旅行会社が発行したEチケットには緊急連絡先や変更方法は記載されていない。休日に連絡するのは申し訳ないと思いつつ、部下の事務スタッフのWhatsAppに連絡し、旅行会社のEmailアドレスを入手する。直前のキャンセル対応をメールでしか受け付けないというのはかなりのリスクだが、何とかキャンセルできた頃には搭乗時間の直前だった。

仕事の調整がひと段落して、ふと思う。この状況で呼吸困難になれば、ここでポックリいくのだろう。人間の命は儚い。この2年間で多くの同僚家族が無くなった。ピーク時には医療体制が崩壊して、死亡率は10%程度あった。今はそれほど状況は悪くないが、ジャカルタで一人暮らしをしていれば、緊急時にどこへ連絡すべきかも、連絡できるかもわからない。航空便のキャンセルすら難しい社会で、死にかけているときに上手く立ち回る自信はない。

11月20日日曜日

薬が一向に届かないので、診療所のWhatsAppに問い合わせる。結局、アビガンは昨日届いていて、バイクタクシーはセキュリティーへ渡し、セキュリティーは受付けに渡し、私はそれを知らなかった。診療所は発送の連絡も、受領の確認もせず、アパートの受付けも住人に連絡しない。昨夜から続く一連のドタバタ劇とスムーズにいかない仕組みは、いかにもインドネシアという感じだ。

喉の痛みはひどくなるばかりで、喉奥の両脇が白く変色してきた。膿というやつか。37度4分の発熱。若干の鼻水と痰は色が付いた。ひどい頭痛を抑えるために痛み止めを飲むにも、朝食を摂らねばならない。普段通り、オートミールを口にするも、固形物を腫れた喉は受け付けない。それでも何とか、ミルク、ヨーグルト、キウイ、バナナを流し込む。キウイが喉にしみる。

投与初日は、朝食後と夕食後にアビガン8錠800mgを飲む。2日目以降は2錠200mgで5日間投与する。9時ころに朝食を終え、薬を投与。喉の痛みはかなり収まり、唾や水を飲み込んでも然程痛みを感じなくなった。熱は解熱剤のおかげで36度1分まで下がり、少しの痰と頭痛が残るだけとなった。味覚や匂いは多少の低下があるものの、風邪の症状と然程違いもない。頭痛が抜ければ起きて生活できそうだが、もう少しベッドに甘えることにする。

11月21日月曜日

朝、36度7分。喉の痛みは昨夜より若干強いが、薬の切れ目だろうか。悪化している感じはない。鼻は通っているものの、嗅覚はここ数日で一番弱い。頭痛はひどくはないが、頭の前部まだ重い。咳は出ないが痰の量が増えた。

今日と明日は病欠。声もガラガラ。薬のせいか、胃がやられている気がする。若干のキリキリ感と違和感。昨日も今日も三食お粥。ジャカルタへ移住してきた華僑には感謝せずにはいられない。

夜、咳が出始める。とうとう呼吸器へウイルスが到達した。

11月22日火曜日

喉の調子は上向いた。咳も昨夜ほどは出ないし、熱や頭痛もない。嗅覚はないが、舌の感覚は生きている。胃腸の調子が良くないのか、キリキリ感は抜けない。お腹を下しているわけではないので、薬にやられたのだろう。全体的な調子で言えば、陽性になって以来、一番調子が良い。

11月23日水曜日

朝、36度1分。朝から調子が良い。頭痛もなく、嗅覚異常からくる若干のボーっとする感覚はあるものの、頭は比較的クリアになっている。初めての症状としては、寝返りを打った時に、横隔膜と肺に痛みがあった。横を向いたときのこの痛みは原因不明で、以前にもあったため、コロナウイルスとは関係ないかもしれない。相変わらず嗅覚はない。全体的な調子は、仕事を多少できるくらい良い。講師を代理で引き受けてくれた同僚から、どうしても一本だけやって欲しいと頼まれ、明日の研修をZoomで引き受けることとした。この調子であれば、問題なくこなせそうだ。

病欠も簡単に取れるので、全快するまでおとなしくしていることに決める。今週いっぱいはソファーに寝転んで過ごすこととする。

11月24日木曜日

ワールドカップ、ドイツに歴史的勝利の朝。前日と体調は然程変わらず。相変わらず嗅覚はない。夜になると咳も多少出る。韓国の研修講義のため、昨日は一回通しで発声練習を試みたが、40分間話し続けるのは喉が多少しんどい。水を飲みながらならできるが、声を張ることは難しい。かろうじてマイクを通してならできる。

結局、質疑応答含め、一時間通しで話すことができた。アドレナリンが出ていれば、調子も上がるのだろう。痰が絡み、嗅覚はまだない。頭のボーっとする感じはあるが、他の症状は回復傾向にある。

11月25日金曜日

相変わらず調子は上向き。嗅覚が戻らないので、何を食べても匂いはしない。コロナウイルスの症状として味覚異常が言われることが多いが、鼻の感覚がないだけで舌の感覚に問題はない。塩見、甘味、酸味、全て問題ない。

スーパーマーケットの管理が悪いため、朝食のミルクが腐っていることが稀にある。匂いがしないので、食物がいたんでいても気付くことができないリスクがある。インドネシア駐在員特有の悩みか。一時間以上座っていると息切れがする。体力低下による態勢の維持も辛い。

11月26日土曜日

相変わらず調子は上向き。嗅覚が若干戻ったようで、シャンプーやイソジンの匂いがする。

11月27日日曜日

体調に変化はほぼない。鼻の重たさはあるが、食べ物の匂いはほぼ戻った印象あり。

11月28日月曜日

鼻の感覚がまだ重く、痰が少しからみ、息苦しさが残っている。この症状がもう少し残るとすれば、後遺症のようなものなのかもしれない。いずれにせよ、今日を仕事はじめとし、体を少しずつ戻していく。一週間もダラダラと寝起きしていると体力も落ちるようで、一時間椅子に座っていると背中やどこかしら疲れてくる。習慣になっていたジム通いはもう一週間控える。インドネシアの基準では、症状のある人は症状が無くなってから3日間は自宅隔離となっている。誰かに監視されているわけでもないのであくまで自己判断だが、一応守ってみようと思う。

仕事に対する姿勢も少し離れてみて見つめなおすことができた。一種のリフレッシュのようなものか。何でもやりますという姿勢は大切だが、選択的に目に見える成果が出ることを優先的に進めていく。アウトプットに拘る。言うが易し、相手の都合で飛んでくるメールやWhatsAppや依頼を無視する練習が私には必要。全てに応えていることで自分のやるべきことが後回しになっている。断るだけでも時間と気力の浪費になっている。

11月29日火曜日

喉と鼻の境目に炎症が残っているのか、鼻づまりはないものの鼻声が続いている。呼吸もまだスムーズではなく、若干、「ゼーゼー」と聞こえるような違和感が残る。痰もからみ、咳払いで30分に一度取り除く。

振り返ってみると、感染ルートはおそらく一つ。感染前の二週間で人と対面で接したのは一回だけだった。11月15日火曜日にインドネシア政府主催の会合に招かれた。その際に、昼食を4人で摂ったのがほぼ唯一の機会だった。それ以外は、自宅勤務を続けていたのと、ジムに行ったくらいで、人と対面で話すことのない生活をしていた。いずれにせよ、感染ルート特定は無理な話。

薬ももう飲みつくしたし、仕事にも復帰したので、記録はここまでとする。