危険な香りに敏感になると、日常生活が楽しくなくなるという話

女性は妊娠すると匂いに敏感になるという。普段は気にならない歩きたばこや、職場の同僚の香水や整髪料が気になるらしい。

それと同じかどうかわからないが、「危険な香り」を嗅ぎ分ける五感も人によって随分違うような気がする。

最近、私は「危険な香り」とやらに随分敏感になってしまったと感じる。日常生活をしていてもあらゆる場面で「危険な香り」を探してしまって、それを避けるにはどうすべきか思いを巡らしてしまう。

政府や外交と近い環境に身を置いて海外生活をしていると、様々な会合に参加する機会がある。何百人も集まって、立食をしながら色々な人と話す会合だ。

昔は、おいしい料理やお酒をたらふくいただいて、いろいろな人と話すのを楽しんだものだが、最近は随分変わってしまった。

楽しむよりも先に、「危険な香り」を常に探す癖がついてしまったわけだ。

たとえば、会場へ入る時。

会場周辺の警備状況を確認する。怪しい車はないかはもちろん、警備員の数、装備、モチベーション、配置など、いろいろと目に付く。

警備員の装備が、防弾チョッキ無しのピストルだけだとかなりやばい。襲撃されても突破されるだろう。

また、レセプションの規模や参加者の政治的なランクに対して、警備員の数が少なかったり、ピリピリ度が低い場合(雑談していたり)は要注意。一か所にやる気なく固まっている場合も不安だ。いずれ突破されるにしても、時間稼ぎは期待できない。

会場に入る時。

たいてい、招待状の持参が求められる。ただ、招待状と照合するためにIDの確認があるかどうかはポイントかもしれない。それがなければ、要注意。悪い奴が紛れ込もうと思えば入れてしまう。

会場に入ってから。

避難経路を確認する。襲撃されるとすれば正面玄関か、屋上から窓を割ってくるか、どこからくるか。入り口で発砲音がしてから、会場までに何分かかるか。そんなシミュレーションをあれこれしながら、逃げるとすればどこかをひたすら考える。

会場での立ち位置。

立食の場合、立ち位置は自由でいろいろ動き回ることができる。その際に気を付けていることは、入り口に背を向けて立たないことと、窓付近に立たないこと。爆発があったとき、窓付近にいればガラスを被る。入り口に背を向けて立つと、入り口から襲撃された場合には最初のターゲットとなってしまう。壁に背を向けて全体を見渡せる位置に陣取るのが良いのだろうか。これについてはまだ自分の中で結論が出ない。

乾杯。

美味しいお酒や料理が振る舞われるので後ろ髪をひかれる思いがする。が、最近は「危険な香り」を感じた場合は、乾杯が終わったら何も頂かずに退出することも多い。

こんなことばかりやってると、全くつまらない。その通りである。

何もこれは、レセプションの時だけではなく、日常生活でも同じである。

最近は、街中を歩いていても些細な変化や人の行動に敏感になっている。

たとえば、最近のジュネーブの街には、あちらこちらに道路をブロックできそうなコンクリートが無造作に置いてある。道路脇、ホテル、幹線道路、公的機関。知人に聞いてもみんな気付いていないと言っていた些細な変化だ。おそらく、有事の際には、突っ込んでくる車をブロックできるように要所においてあるのだろう。あとは、上空を旋回するヘリコプター、重装備の警察、装甲車が街に増えたこと。

何か一般には出回らない治安上の情報があるのか。あるいは、ターゲットとなりそうな人が来るのか。

また、道行く人の観察も怠らない。人種、服装はもちろん、両手に変なものを持っていないか、歩行は正常か。挙げたらきりがないが、すれ違う人はいろいろなところに目が行く。

そんな感じで危険な香りを探しながら街歩きをしてしまうわけで、散歩していても全くウキウキ感はない。

外出するとどっと疲れてしまうのはこのためなのだろうか・・・。

 

JICAに入った新人の頃に危険地の担当をしたことがあった。具体的には、ソマリアとケニア。ケニアと言っても、ソマリアや南スーダン国境の地域。

言うまでもなく、外務省の渡航基準ではもちろん渡航禁止区域であって、JICAの内部規定でも渡航禁止区域。

そんな地域を担当していたことから、テロ情報のウォッチは日常業務で、その手の安全対策に思いを巡らす日々であった。

また、新人職員には辛い仕事もあった。危険地で支援を必要としている人に対して、どうやって支援するか。

事業展開をする上で、スタッフを配置しなければならないが、死んだらどうする。それでも事業をやるのか。

そこで事業をやるという判断へ、強くプッシュしていくのはある意味で辛い仕事だった。

毎晩のように、あの人が死んだらどうしよう。って考えて寝て、出勤したら、その人を配置して事業展開する手筈を整える。

防弾車のカタログを見て、どっちにしようか悩んだ日もあった。

軽装備の防弾車の場合、長い距離を走れるが、スピードは遅く、地雷にもやられる。重装備にすれば対戦車地雷やロケットランチャーも防げるが、距離的に空港まで退避できない。さて、どっちにしようか。

そんな日々もあった。

実際に自分でもそうした地域へ足を踏み入れたこともある。両脇にライフルを持った警官が座って、何もないサバンナを何時間も走る。防弾車で未舗装の長距離は走れないので打たれたら吹っ飛ぶ普通のランクルだ。襲撃されれば警官は「よくて」応戦して時間を稼いでくれるだろうが、最悪の場合は逃げてしまうだろう。闘ってくれてもきっとすぐに拘束されてどこかに連れていかれる。

常に危険と隣り合わせ。襲撃や爆発に巻き込まれることなんて、ほとんどないのだけれど、自分の判断で死ぬリスクにあえて一歩近づく。生きて帰ってこれてよかった。そんな感覚がなかったかといえば、嘘になる。

 

あとは類似の経験としては、世界の権力者が集まる国連総会やワシントンDC。

普段は人でごった返す大都会ニューヨークの一角がブロックされ、マシンガンで重武装した兵隊や装甲車に囲まれながら歩く。

守られているから大丈夫なのだろうが、世界中からターゲットとなりそうな人が集まるわけで、何があってもおかしくない状況。

行動するときの安全な導線の確保。イベント開催時のセキュリティのアレンジ。

 

話が脱線してしまったが、今振り返れば、「危険な香り」を感じ続けて仕事や生活をしていることに気付く。

仕方のないことなのかもしれないが、敏感になりすぎていると、日常生活はつまらなくなる。

途上国へ行くと、外国人が食事をするようなオシャレなレストランはあまり行きたくない。襲撃されたら逃げられないよなぁ、とか考えながらハラハラしながらナイフとフォークを握る。

ヨーロッパで生活していても、バスなどの公共交通機関はなるべく避けて、徒歩を選びたい。

クリスマスマーケット、コンサート、シアター、映画館、デパート、ショッピングなど、人の多い場所は避けたい。人込みに入ると、巻き添えのリスクは避けられない。

絶対行かないという話ではないのだけれど、常にどうやって逃げようか、襲撃されたときのシミュレーションをしているわけで、心地よくなかったり、帰宅後に精神的に疲れてしまう。

 

あとは、JICA職員という立場で海外に住んでいたり、渡航したりしていたことも大きい。

リスクを避けるというのは、自分の命を守るためという側面もあるけれど、JICA職員の場合もう一つの側面もある。

自分に非がなくても、自分が政治的なターゲットとなりうること。まだ小者だったからそんなリスクは少なかったが、公人として働くというのはそういうことでもある。

また、安全対策を管理・指示する立場にある以上、自分が些細な事件にでも巻き込まれれば、関係者に示しがつかなくなってしまう。

そんなことを考えながら、出張、駐在をしていた。担当国の治安状況もあって、出張中に徒歩で外出したことはほとんどないし、駐在をしていても数ブロックの小さな区画の中で何年も暮らした。

どおりで、出不精になるわけだ。書きながら妙に納得した。

 

そんな生活を何年もしてきたことから、外出することはほとんどなくなった。365日中、340日くらいは自炊だし、52週中、40週くらいは週末自宅から一歩も出ない。

引き籠りである。この場合、危険を意識して外に出ないというよりは、外に出ない生活が習慣になってしまったのだろう。

ウェブサイトを何個も作ったり、読書したり、統計データをいじったり、論文書いたり、難しい経済の勉強をしたり。

頻繁に外出している人をみたら、「あなた何でそんなに暇なんですか?」って思ったこともあったくらい、籠城生活が完成されてしまっていた時期もあった。

話がまた飛んでしまった。

 

危険な香り。

日常生活と危険な香りのバランスをとりたいですね。

という話を今日はしたかった。

危険な香りが気にならず、食事を楽しんだりできる人が心底うらやましい。