近視眼的なインドネシアの世論を動かすには?
最近、経済界、労働組合、政府とやりとりした中で、いくつか印象的なやり取りがあった。健康保険、労災保険、雇用保険、失業対策、経済政策、関税、年金政策、介護保険など、ここ最近はあらゆるテーマで三者会合に出席している。ありがたい悲鳴である。
経済界からは現状に関する市況の厳しさに関する指摘があった。縫製産業は過去数年で数十社が倒産し、向こう数カ月で相当数の倒産が見込まれる。ホテル業界も新政権が給食無償化のために予算削減を実施したことによって、政府がホテルで会合を開催しなくなったために、半数以上の雇用削減を実施しているようだ。ホテル業界に関しては、経済界から政府に公式に申し入れを行ったという噂もある。
ちなみに、ジョコウィ政権の初期にも同様の政策を実施したが、ホテル業界からの申し入れによって撤回され、コロナ渦ではむしろホテル業界救済の名目で政府の内部会議を五つ星ホテルで連日開催していた。税金の使い方に苦言を呈する良識ある官僚もいて、「ジョコウィ大統領も一期目は国民の人気取りのための政策を打ったが、二期目はなりふり構わずやっていた」と言っていた。
話を経済界の話に戻す。
「国家開発計画で介護保険新設をうたっているが、今日、明日、数カ月先に商売を継続できるかの瀬戸際にいる会社が多い。こうした会社を救済しなければ、いったい誰が雇用を生み出すのか。長期の話をしている場合ではない。」
また、プラットフォームワーカーの話に及んだときの話も印象的だった。
「不況が訪れると、会社や工場での仕事を失った労働者はゴジェックの運転手となる。ゴジェックには300万人の登録があって、そのうちの90万人が実際に運転手として日々活動しているとする。しかし、そのうちの10万人程度しか毎日8時間も働いていないだろう。インドネシアの労働者は会社へ低賃金や待遇について文句を言うが、どれほど生産的なのか。フル稼働して毎日8時間働いている人はほとんどいないだろう。休憩、煙草、スマホ、雑談、昼寝など、すべて合わせると決められた労働時間を真摯に守って働いている人がどれくらいいるのか。」
この話の続きは、別の会合である官僚と話した時にも振り返ることとなった。
「結局、インドネシア人は近視眼的で短絡的に物事を考えていて、年金のような数十年先の議論ができる国民性を持ち合わせていない。少子化が進んでいるデータを示し、身の回りの知人(親の世代、自分の世代、子供の世代)の家族構成を見ても実感として子供の数が減っているにもかかわらず、年金政策のような将来への投資の議論になると、『自分は子供に面倒を見てもらうから年金保険料を払う気はない』と真顔で言う。」
先の経済界の発言と官僚の話は一致していて、別の角度からインドネシア人の国民性について語っている。
官僚との話では、厚生年金の拡充や基礎年金の新設のためにはどうすべきかと言う話に及んだ。むしろ、その話をするために久しぶりに会って話をすることとしたのだ。
インドネシア国会は2023年1月に金融セクター強化のためのオムニバス法(P2SK)を可決し、昨年末に実施規則(政府規則)案が政府に提出された。しかし、法務省が世論の批判を想定し、「議論が煮詰まっていない」との理由で1年延長することを決定した。この法案を作成したのがこの官僚チームで、一緒に三者会合を何度も実施してきた。また、私たちの政策提言も理解し、最も重要な部分を採用していただいた。具体的には、三階部分の強化が当初案だったが、二階部分を強化することを提案した。インドネシアの年金制度を知っている方にしか理解頂けないと思うが、つまり、確定拠出年金(JHT)の保険料を引き上げるのではなく、確定給付年金(JP)の保険料を引き上げることを提案し、採用して頂いた。自己責任の要素が強い社会へするか、政府が老後の責任を持つ社会にするか、歴史的な岐路の選択に関する話である。
「政府職員としては、この年金の対象ではないし、改正されなくても自分の家族にはまったく問題ない。自分の道徳心に基づいて、国民にとってよい政策を実行するように努めている。しかし、近視眼的な国民はそれを支持しない。」
話の中でも出ていたが、結局、「たばこに毎月1000円払い、保険料の100円増額に反対するのが世論であり、そこに合理性はない」のである。
ILOの私たちと年金改革を一緒にすすめてきた背景には、「労働組合の説得が政策実現には重要で、労働組合は政府よりもILOを信頼しているから」だそうだ。私も年金改革の成功は、「労働組合が労働者側のイニシアティブで世論を突き動かし、大統領が世論の波を感じた時にのみ前進する」と考えている。この国の将来を良いものにするためには、この一年で労働組合の幹部が年金政策の重要性を理解し、自らの言葉で世論を動かし、世論が大統領を動かすしかない。経済学者含めメディアも世論も保険料を短期的なコストとしか見ておらず、世論と国民性の変容なしには、この議論は前に進まない。
「社会保障を担う実施機関の幹部を選ぶ選定委員会には研究者を入れる規則になっているが、この国には年金政策を研究している人も、基礎的な知識を持っている人もいない。」
人材が育つ前に、一部の人だけで年金政策を動かしていかなければ、人口動態を考えれば取り返しがつかないことになる。もうすぐ手遅れになることは目に見えているのだ。
金曜の夕方に二時間ほど喧々諤々、国の未来と政策の動かし方について作戦会議を行い、解散となった。帰り際にトイレで連れションしながら言われた言葉がまた印象的だった。
「もう六年以上一緒に仕事していて、インドネシアに長くいすぎた」という私に対し、「インドネシア人よりもインドネシアの将来を考えている」と。たしかにその通りかもしれない。