ジェンダー平等がつまらない理由

国際協力に携わっていると、ジェンダー平等(Gender Equality)に関する講義やセミナーを腐るほど聞くことになる。国際会議、社内研修など、あらゆるセミナーでジェンダー平等はトピックとして扱われることとなる。

正直なところ、いつも得るものが少ない。

ジェンダー関連のトピックに関して特に男性がとやかく言うと炎上するのが世の常。だから誰も言わないけれど、大体いつも得るものは少ない。女性の中でも、「またか」と思いながら聞き流している人は多いのではないだろうか。ジェンダー関連のセミナーに参加するときに、周りを見回してほしい(ジェンダートピックが好きな人の集会除く)。ボーっとしている人が多いことに気付くだろう。

なぜ、ジェンダー平等の講義はつまらないのだろうか。

国際協力業界には、ジェンダー平等のスペシャリスト(Gender Specialist)と呼ばれる人がいる。ジェンダースペシャリストがいつも言うのは、「ジェンダーは平等であるべきで、途上国は特に女性が機会の平等を与えられていない。女性が土地を所有する権利、議会の女性比率が低い・・・」など。

そんなことはわかりきっている。

彼女たちの話がつまらないのは、彼女たちがアクティビストであることがほとんどだからだろう。誰を説得したいのか。男性ではないか。男社会ではないか。であれば、男性が好きな論理展開で講義やセミナーを構成するべきだろう。

男性が好きな議論とは何か。一つの例は、分析であり、数字である。

なぜ女性の役割と男性の役割が分けて考えられてきたか。その状況を変えたとき、どのような影響があるのか。そして、どのようにして負のインパクトを避け、良い影響を最大化することができるのか。ジェンダー主流化(Gender Mainstreaming)を行うことで経済的・社会的インパクトはどの程度あるのか。統計データを使ったロジカルな論理展開を行うジェンダースペシャリストは本当に少ないと感じる。

こうした根本的な分析を行うことなしに、女性の権利を叫ぶだけのスペシャリストはつまらない。