インドネシアの生産性が低い庶民レベルの理由

インドネシア政府の開発優先事項の一つに生産性の向上がある。人口が多いわりに経済成長が今一つという指標で、経済指標を労働人口で割って計算したりする。

マクロ指標はよくわからないので、地場の肌感覚にかみ砕いてみる。たとえば、今朝の出来事が良い例。8時50分ジャカルタ発の列車に乗って出張に出た私だが、ひと悶着あった。

ジャカルタの特急列車の玄関口はガンビル駅と言って、中央通りより東側にある。西側に住む私は中央通りを跨いで車で10分くらいの距離に住んでいる。グラブタクシーに乗ったのは出発の一時間前。

毎週日曜日の中央通りは歩行者天国となっており、自動車の乗り入れ禁止(カーフリーデイ)。グラブドライバーに「今日はその日だよ」と伝えると、「オーイエス」と言いつつ、中央通りに向かう。中央通りに到着してUターンしなければならなくなった時点で「今知った・・」というような絶望的な表情。

タクシードライバーであれば、歩行者天国の規制は知っておくべきで、先ほどの忠告も真剣に捉えていなかった。この時点で15分経過。

歩行者天国を大きく迂回する作戦に出たドライバーは北上し、再び中央通りへ向かう。北上した距離が甘く、再び中央通りを越えられず。運転手に若干の焦りと絶望的な表情。

最初のUターン時点で、警備員に規制区間を確認しておけば避けることができたミス。二回目のUターンをした結果、運転手は策が尽きた様子だったので、「そこを左に曲がって、降ろして下さい。時間ないので歩きます。」と伝えて下車。

45分の乗車後、中央通りを越えることができず。キャリーケースを抱え、炎天下2キロを30分で走り、ぎりぎりで乗車できた。結局、この日は歩行者天国に加え、マラソン大会を開催しており、おそらくタクシーを乗り捨てていなければ到着することはできなかった。

東側へ抜ける回路を設けず、中央通りを完全に止める行政の対応にも改善点がある。また、グラブやグーグルマップにも反映されていないことによって、ドライバーへの周知もされていない。ただ、こうしたことが日常的に起こっても、改革を個人、会社、国レベルで促す行動は限定的なのだろう。

日本のカイゼンは私たちにとって当たり前の日常行動だが、世界中で珍しいもの(Innovation)としてとらえられている。日常的に規律と改善を繰り返す社会構造はインドネシアの生産性の向上にも役立つと思う。受け入れられることはないだろうけれど。

ちなみにその後、グラブアプリを通じてクレームを入れ、払い戻しの要求をしたわけだが、ここでもひと悶着あった。「目的地に到着せず、2kmも走らなければならなかったので、払い戻しをお願いします」「ブッキングコードを送ってください」(送る)「ありがとうございます。改善に努めます。」・・・

「ドライバーは悪くなく、グラブアプリがマラソン大会の情報を反映していなかったのが原因なのだから、会社が払い戻しすべきです。」と念押し。通常、この手のクレームはグラブは即座に返金手続きをするので、担当者の能力の問題だと思われるが、生産的なやり取りではない。個人レベルでの改善が必要。

数日後、結局担当者は逃げ、返信はなかった。これは普段の仕事でもよくあることで、都合が悪いことには返信しなかったり、忘れたことにしてしらばくれる人は多い。社会全体としても戦うことでことを荒げない風潮があり、「仕方ない」でおわるため、カイゼンが現場レベルで起こらない。

類似の事例はいくつもあり、例えば昨日のメータータクシー。1400円の会計に2000円を渡し、お釣りがないと言って400円だけ返してきた。こういうことがあれば、次回は起きないようにしようと多めに釣り銭を確保しておくべきだが、ゴネたり小さな嘘をつくことで得しようとする人もインドネシアには多い。

小さな嘘の事例は多すぎて数え切れないが、例えば遅刻や病欠。遅刻は日常行事で、寝坊であっても渋滞ということにする。腹痛、かぜで容易に病欠を取るが大したことがないので病院へ行かず翌日にはピンピンしていて、病欠は月曜に多い。こうした小さなことの繰り返しで信頼や生産性が損なわれている。