現地の声を聞くことと

国際協力に携わってよく言うのは「国を愛せ」ということ。しかし、多くの人が履き違えている。その国の社会や文化、人々を全て肯定的に捉えることが国を愛すことだと思っていないか。

短期の旅で訪れた人や日本企業や日本の公的機関や日本人職員と現地で仕事をしている人はなかなかこの感覚を持つことができない。

私も当初はこういう状況で仕事をしていたが、社会保障政策という国の社会を根本から変える仕事に携わる中でこの気持ちは180度変わった。社会や文化を理解した上で正しいこと間違っていることを自分なりに咀嚼し、それを相手に伝え解決策を示す。それが私が求められている外国人としての役割。その国の文化社会を全て肯定し、笑顔で話を終えていては、私たちの存在価値はない。

ILOの仕事で特徴的なのは社会対話というもの。これは端的に言えば話し合いのこと。具体的に言えば、インドネシアには多くの労働組合があって、7つの全国組織が ILO のメンバーとなっている。また、経済界を代表する団体が1つあり、そこも交えて話し合いをしなければならない。これに加えて社会保障に携わる行政としては、労働省、厚生省、財務省、計画省、福祉省、女性省、経済担当調整省、人間開発担当省、大統領府など、多岐に渡る。

1対1の折衝することもあるが、多くの場合、労働組合、政府、経済団体を一同に集めて年金問題を議論したり、今後30年の国のあり方について議論をしたりする。

その中で見えてくるのはこの国の人々の考え方である。社会的価値観、宗教的価値観が、西洋が作ってきた社会保障の価値観と相反する感覚にぶつかったりもする。

民主主義否定したり、原始的なコミュニティによる互助会は支持するが社会保障は信用しないう議論もあったり、時間を守らないこと(例、やろうと思っていたのに忘れたから労基罰則を受けるのは不当)をよしとする風潮があったり、古い家族形態を維持して女性を家に置いておくのは当たり前とする価値観だったり。

ある意味嫌な部分というのも、実体験として毎日触れることになる。インドネシア人は元来、相手を否定することができない国民性。つまり、議論は和気あいあいとお茶飲み会のような感じで進行し、否定的なことを言う人がいっrば、スマホに目を落として時間をやり過ごし、それ以上かぶせた議論は起こらない。

私はこういうインドネシア人の心の中に踏み込んだ議論を年間100回以上は行っていて、その中で社会や文化を否定することもあるし、その結果30年後の社会が良くなって、30年後の人々にあの時変えて良かったと思われるような提案をしている。

その中で私が感じるのは外から来たものの役割として、その国の文化や社会を肯定だけしているのでは、全く意味がない。みんなに好かれる仕事をしたいが、仕事の特性上、必ずしもそうはならない。

私が JICA から ILO に転職して一番大きく変わった職業倫理は、要請主義を採用する日本の ODAから、国際基準という目指すべき社会や制度があって、それに近づけるための仕事へ変わったこと。つまり何が正しくて何が間違っているか言う権利と義務を私は追って仕事をしているという。その基準から離れた社会、文化、行政のあり方があるとすれば、どう正すべきかを提案する。時には、社会や文化に対する批判も行わなければならない。

少し固い話になったので、インドネシア在住10年の方が語るインタビュー動画で締める。

多くの日本人は、ここで語られている「インドネシアにはホスピタリティがない」に共感できないかもしれない。旅行で来たり、日本のコミュニティで仕事しているとわからない部分だと思う。