英語ノンネイティブ純ジャパの強み、国際協力

国際協力を仕事としながら「XX人はXXする傾向にある」という話をすると、「お前はレイシストだ」と過敏に反応する人がいる。

私の感覚からすれば、それは人種差別ではない。

XX国の出身の人はXXという傾向にあるということを把握しておくことは極めて重要な経験・スキルなのではないかと、最近思う。もちろん、肌感覚で覚えた平均の話で、個人差があるのは当然。それを踏まえても、XX国育ちの人の傾向を抑えながら仕事をすることは、大切であると感じる。

たとえば、文書。私は仕事柄、一日中、誰かが書いた文書を読解したり、編集したりする。

イタリア人やスペイン人の文書は一つのパラグラフが極めて長く、何を言っているのか分からないことが多い。フランス人の英語は、極めて難解な単語(フランス語の言い回し)を多用するため、ノンネイティブには何のことか分からないことが多い。

イタリア人、スペイン人、フランス人に共通しているのは、文書を物語のように書くことである。これは口頭で議論をしていても同じで、彼ら、彼女らはストーリーを語るのには長けているが、話のポイントを一言で纏めることには長けていない。演説が得意なアフリカの官僚も同じような傾向がある。読んでいるうちに、聞いているうちに、ロジックが分からなくなことが多い。

フランス人は人の話をあまり聞かない人も多い。会議などで広く意見を求めるが、他の人の意見を聞いている間に次に何を言おうか考えている。自分の意見を語るのは得意だが、他の人が考えていることを自分の中で消化し、妥協点を模索する議事進行が苦手。

イギリス人は話のロジックが分かりやすい。トピックセンテンスが必ず最初にくるため、そこだけ読めば後段を読まなくてもロジックは分かる。ドイツ人もこれに近い。

アメリカ人はイギリス人と欧州大陸の人たちとの間。ストーリーを語るのが好きで、劇場型のプレゼンが好き。多様な人種が国内にいるだけ合って、意見を聞く姿勢はあるから、英語が流暢でなくても話は良く聞いてくれる。

日本人は、少ない情報を明確に伝えることを好む。西洋人が大量の情報を語りながら考えるブレインストーミングタイプの議論が好きなのに対し、アジア人は一旦自分の中で検討し、相手に伝える情報を限りなく少なく、要点だけ伝えることに長けている。そのため、フランス人のように自己主張を絶対に曲げない姿勢を示すのは苦手だが、妥協点を模索する議事進行は世界一。

ILOには英語のネイティブが少ない。それ故、色々な国の人の英語の癖を学ぶにはとても良い環境である。

国際協力の実務の世界では、英語のネイティブであることは必ずしも強みではないと感じる。もちろん、国際機関で生き残っていくためには必要。しかし、英語ネイティブがよく犯しがちな間違いである、大量の情報をまくし立てるようにプレゼンすることは、開発途上国のノンネイティブの政府関係者と話すときには役に立たない。相手が理解しているかを常に感じ取る繊細さこそが本質的には必要なスキルである。

このように、書き手や話し手がどこの出身で、どこで教育を受けてきたのかを把握することは、国際的な職場で仕事をする上で極めて重要だと感じる。

こんな問題意識を持てるのは、ノンネイティブの強みである。帰国子女でもなんでもない、純ジャパで良かったと、心から思う。