向日葵畑に朝顔の花を咲かせる
朝顔の花
小学校の夏休みの思い出は、朝顔の日記を付けたこと。
朝顔は不思議な花で、種を植えるとすぐに目が出て、花が咲く。
昨夜はつぼみだったのに、今朝は立派な花を咲かせている。
しっかり面倒を見てやれば、すぐに結果が見えるわけだ。
どうりで飽きっぽい小学生の教材になるわけだ。
ただ、朝顔の花は役に立たない。
せいぜい押し花になって、廃品回収間近の少年ジャンプの間から零れ落ちてくる。
花を咲かせ、タネとなって、また花を咲かせる。
すぐに始まりと終わりがやってくる。
それが朝顔の魅力だ。
向日葵の花
夏になると畑一面が黄色に覆われる。
人の背丈もある立派な向日葵が、太陽の傾く方向へ首をかしげていく。
黄色の笑顔が陽の目を見るまでに、向日葵はひた向きに背伸びを続ける。
いつ途中で折れてダメになってしまうかもわからないが、来る日も来る日も水をやる。
長い不安のトンネルを抜けたとき、ほんの数日、ほんの一瞬だけ最高の花を咲かせる。
それが向日葵の魅力だ。
向日葵を咲かせるために、朝顔を植えること
研究論文や政策文書を書く。
それは、孤独との闘いである。
誰かが書いた文書を黙々と読み、自分の言葉で少しずつ新しい文書を世に送り出していく。
仕事が進むときもあれば、進まないときもある。
「今日のオレ、生産性低いな」
そんな日には、誰とも会話したくなくなる。
そもそも周りを見渡しても、誰も手を差し伸べることはできない。
ただひたすら、来る日も来る日も黙々と書く。
それは、自分との闘いである。
ふとした瞬間に思うことがある。
「この仕事の成果はいつ出るのだろう」
作成している文書の長さにもよるが、完成までに1ヶ月かかるものもあれば、半年かかるものもある。
その間、ひたすら自分と戦い、言葉と向き合う。
なかなかしんどい作業である。
そんなとき、大切に思っていることがある。
向日葵だけを待ち望むのではなく、朝顔も植えてみよう。
長期の目標を達成するためだけに努力を続けることは難しい。
短期的な成果がすぐに出ることにも取り組むこと。
それが、大きな向日葵の花を咲かせる近道だ。
私にとっての朝顔とは何か。
ネットで記事を書くことも一つだ。
今日記事を書けば、明日には世間の反応がわかる。
色々な試行錯誤をしながら、世間が求めているものを世に送り出していく。
そんなことの繰り返しで、毎日朝顔の花を咲かせ続ける。
一方で、本業の政策文書作成は向日葵。
とてもじゃないが、毎日8時間、同じ文書と向き合って、ひたすら自分の言葉と格闘するのは疲れる。
これが数日なら良いが、1年中の話だ。
だからこそ、本業の長期的なゴールを達成するためは、朝顔を育て続けることが大切なのである。
※要は、「長期的な成果を求めるだけでなく、短期的に成果が出ることにも同時に取り組むことが重要だと感じる」という話です。