日本統治時代の台湾で実施された開発政策の年表
日本統治時代の台湾において、日本は最高の人材を送り、国庫の四分の一を集中投下し、内地でも実施されていなかった最新の政策や技術導入を実施した。当地開始からの10年程度の間に、後の台湾の高度経済成長の礎を築いたと言われている。欧州諸国が世界中を植民地支配していた時代に、西洋列強からは日本の植民地(開発)政策は高く評価を受けていた。文献から抜粋できる限りの情報を以下にまとめておく。
参考文献
蔡焜燦. 2015. 台湾人と日本精神.
司馬遼太郎. 2009. 台湾紀行.
渡辺利夫. 2020. 台湾を築いた明治の日本人.
李登輝. 2021. 台湾の主張.
年表
年代 | 和暦 | 月日 | 出来事 |
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1895年 | 明治28年 | 4月17日 | 下関条約により台湾が清から日本に割譲 |
5月 | 清国の官僚等による台湾民主国独立宣言 | ||
6月 | 日本軍が台湾各地を占領 | ||
10月 | 台湾民主国が崩壊 | ||
11月 | 台湾総督府設置、台湾の日本統治開始 | ||
1896年 | 明治29年 | 台湾全域に国語伝習所を設置 | |
1897年 | 明治30年 | 1月21日 | 台湾阿片令を公布、アヘン専売制度開始(アヘン吸引者は約17万人) |
1898年 | 明治31年 | 2月26日 | 児玉源太郎が第4代台湾総督に就任 |
3月2日 | 後藤新平が民政局長に就任 | ||
7月28日 | 公学校と小学校の制度を公布 | ||
8月31日 | 保甲条例を公布 | ||
9月5日 | 土地調査局が正式に土地調査事業を開始 | ||
11月5日 | 匪徒刑罰令を公布 | ||
1899年 | 明治32年 | 3月22日 | 台湾事業公債法公布、財政二十箇年計画公布 |
4月1日 | 台湾総督府医学校設立 | ||
4月26日 | 食塩専売開始、樟脳専売制度開始 | ||
9月26日 | 台湾銀行が正式に開業 | ||
10月2日 | 台湾師範学校開校 | ||
11月8日 | 総督府鉄道局発足、民政局長後藤新平が初代長官を兼任 | ||
1900年 | 明治33年 | 12月10日 | 三井財閥等の投資で台湾製糖株式会社創立 |
1901年 | 明治34年 | 6月1日 | 台湾総督府専売局発足、樟脳局・塩務局・製薬所を管轄下に |
9月 | 新渡戸稲造が台湾総督府技師に任命され「糖業改良意見書」を総督府に建議 | ||
11月 | 児玉が殖産興業に関する演説を行い、糖業を中心とした産業保護を表明 | ||
1902年 | 明治35年 | 6月 | 台湾糖業奨励規則発布、臨時台湾糖務局が設置され、新渡戸稲造が局長に就任。製糖業の近代化が本格化。 |
1905年 | 明治38年 | 10月1日 | 日本初の国勢調査に相当する臨時台湾戸口調査を実施 |
1906年 | 明治39年 | 4月 | 児玉源太郎が離台 |
6月 | 後藤新平が離台 | ||
1908年 | 明治41年 | 4月20日 | 台湾縦貫鉄道(基隆-高雄)が全線開通 |
1909年 | 明治42年 | 台湾総督府が台湾事業公債の発行を終了 | |
1911年 | 明治44年 | 台湾総督府が国庫補助金の受け取りを終了し、財政的自立を達成 | |
1917年 | 大正6年 | アヘン吸引者が約6万人にまで減少 | |
1919年 | 大正8年 | 日月潭発電所(ダム)に着工 | |
1920年 | 大正9年 | 嘉南大圳の建設が開始され、烏山頭ダムの建設に着工 | |
1922年 | 大正11年 | 第二次台湾教育令が公布・施行され、日本人と台湾人が同一の教育制度下に置かれる | |
1928年 | 昭和3年 | 台北帝国大学が設立される | |
1930年 | 昭和5年 | 烏山頭ダムが完成し、嘉南大圳が完成 | |
1934年 | 昭和9年 | 日月潭発電所(ダム)が完成 | |
1945年 | 昭和20年 | 10月25日 | 台湾の中華民国への統治権移譲。国民政府が台湾統治を開始、陳儀が台湾省行政長官に就任。本省人・外省人の対立が生じる。 |