緒方貞子を評価していなかったが、気付けば彼女の敷いたJICA人生を歩いていた
こんなことを言うと怒られるかもしれないが、緒方貞子という人物をそれ程評価していなかった。
私がJICAで働き始めた当時、緒方さんはキャリアの末期。
組織のヘッドではあったが、経営者としての仕事ぶりが見えなかった。
むしろ、シニア職員が羨望のまなざしで「伝説の人」について語っているのを隣でシラケて聞いていたことを覚えている。
また、幾度となく会議で同席したり案件の説明に伺ったこともあるが、「伝説」とは程遠く、凄まじいオーラを感じたことはなかった。
昨日、野林健編「緒方貞子回顧録」を同僚から借りた。
先述の通り、然程「ファン」ではない人の回顧録。正直、一度断ったが、素晴らしい本ということなので、JICAのチャプターだけでも読もうと思うに至った。
正直なところ、驚いた。
プロフィールにある通り、私のJICAでのキャリアは、アフリカ部、JICA研究所と続いた。
驚いたのは、緒方さんがアフリカ部を作り、JICA研究所も作ったということだ。
緒方さんが就任した当時、アフリカ部は中東・欧州・アフリカ部の中の一つの課に過ぎず、8人で担当していたオマケの部署だったそうだ。
これからの開発援助の将来を考えたときに、貧困問題や平和構築へ積極的に取り組む必要があり、その現場がアフリカにあることは自明だった。
そう考えた緒方さんは、アフリカ部を作り、アフリカのポートフォリオを拡大させることに注力した。
それにもかかわらず、「アジアを犠牲にしてアフリカへ注力する意義はない」と反対する勢力が多かったようだ。
また、JICA研究所については、「国際的な開発の議論でJICAについて聞くことはなかった」当時の状況を打開するために、作ったそうだ。
緒方さんが目指した研究所のアプローチは、海外の研究機関と共同研究を積極的に行い、JICAの知見を世界へ発信していくこと。
私がまさに携わってきた仕事だった。
さらに驚くことは、回顧録に登場しているキーパーソンの多くに私が仕事を通じて会ったことがあるということだ。
私は知らないうちに、JICA人生を通じて緒方さんの敷いたレールの上を歩いていたのだと実感した。
最後に、JICAで働く人はこの本のJICAのチャプターを一度読んでほしいと思う。
緒方さんが何を考えて、アフリカや研究分野への投入を増やしてきたのか。
今、アジアへの回帰や、研究への理解の薄れが顕著になってきていると感じる。
今一度、緒方貞子の回顧録から、当時の経営判断を読み解いてみてはどうだろうか。