100%正しい情報を誰も求めていない

国際協力や国際開発の世界で仕事をしている人にとっては、アカデミックな論文や文献レビューを踏まえた報告書などに基づいて仕事を進めることが一般的となっている。

そういう意味では、政策と研究の垣根が最も低い業界の一つなのではないだろうか。

こうした事情があるため、情報をネット上に公開するときは抜け目の無い精緻な情報を出さなければならない。

現場で案件に携わっている人ではなく、政策レベルで仕事をしている人には、カンペキを目指す人が多い。

また、国際機関には博士課程を終えた職員も多いことから、アカデミックな気質が仕事のスタイルに表れるのだろう。

つまり、「時間がどんなにかかっても、間違ったことは発表できない」という半ば意地のようなプライドである。

100%の完成度

ここを目指すことに、大きな間違いがある。

100%の完成度で、ものすごく細かく議論・分析を詰め込んだ文書と言うのは、極めて読みにくい。

時間の無い実務家や政策決定に携わる人にとって、この手の文書は未読のままどこかにおいておくものだ。

情報を発信するためのプラットフォームが多様化し、誰もが簡単に発信することができるようになった。

その結果、100%精緻な情報よりも、そこそこの情報を大量に処理することのほうが重要な時代となった。

今の時代、精緻で分厚い報告書は誰も読まない

突っ込みどころが多少あっても、読みやすく、短く、そこそこ正しい情報が求められている。

たとえば、私が社会人になる前の2010年に書いた「貧困指標の計算方法」なんてマニアックな記事は、ほぼ毎日アクセスがある。

偉い先生が書いた「100%正しい」開発経済学の教科書のような細かい情報はない。

それでも10,000回くらい読まれている。

100%正しい情報を誰も求めていない

そこそこ正しい情報を簡潔に、グーグル検索で辿り着きやすいところに置いておく。

これが今の時代に求められている情報発信の基本だ。

情報提供側が満足いくレベルまで推敲を重ねるよりも、ユーザーが求めている形で提供することが重要だと日々感じる。

アカデミアに溺れてしまった人は、これを忘れる傾向にある。

アカデミアと実務の垣根が低い職場で仕事をする中で、自分への言い聞かせも兼ねて共有しておきたい。