働かなくても食べ物が自生している国では社会保障は根付きにくい
インドネシア人が後先考えず、何とかなるから大丈夫と常々楽観視している民族性であることは駐在経験者はみんな知るところ。公的年金設立の社会対話で人々に「そんな楽観視しているダメ。あなた達はキリギリスであなた達はの子どもが蟻のように働いてあなた方の面倒を見る社会になる。」と私が言ったところで、ほとんどの関係者は耳を課さない。
長くこの仕事をしている人がいった言葉が、なぜインドネシア人は楽観主義なのかを理解する手助けをしてくれる。
「冬がなく、働かなくても食べ物が自生している国では社会保障は根付きにくい」
インドネシアで人々の将来や国のあり方について話していると、これがよくわかる。彼らは農民は収入ゼロで貧しいというが、米が年に3回も収穫でき、バナナや果物がそこら中で確保できる環境では死に対する恐怖が無い。ましてや冬が無いので灯油や毛布を買うためのお金がなくても死なない。
こういう環境で、高齢化が子供の負担を増やすから公的年金制度を今すぐ完備しなければならない、と外人の私が言ったところで刺さらない。平気な顔して「子供が面倒を見てくれる」と初老の中年組は言うし、「それが自分の責任」と若者は言う。
食糧不足や凍え死ぬことのない社会では、死にそうなほど大変な人の数が少ない。仮にそういう人が親戚や地区にいる場合、みんなで寄付を募って何とかする。場当たり的な対処が可能でそうやって生きてこれたのは、数が少なかったからだろう。
少子高齢化のように社会の誰もが等しく苦しむ社会の到来は、圧倒的な数の支援を必要とする人が現れる、インドネシア史上初の出来事となる。その未来を分析とともに伝えて、説き伏せるように全国行脚しても、所詮は外人の戯言で、インドネシア人が自ら変わらねば何も動かない。